↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
親友に嵌められて推薦枠を失った日から、わたしは同じことをする側になりました  作者: 桜野結
第1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/13

第三話 外される

4月25日、木曜日。放課後、進路指導室に呼ばれた。


室生先生は座ったまま、わたしにも座れと言った。


机の上に、印刷した紙が1枚あった。動画の1コマだった。


「知ってるな」


「はい」


「やったか」


「やってません。消しゴムを落としました」


「わかった」


室生先生は紙を裏返した。


「早瀬大の校内選考、佐倉は外す」


わたしは、意味を取るのに2秒かかった。


「……理由を、聞いていいですか」


「今のがそうだ」


「わたしはやっていません」


「知ってる」


「じゃあ」


「知ってるのは、俺だけだ」室生先生は言った。「疑いがある時点で、無理なんだよ」


「証拠はないんですよね」


「ない」


「ないのに外すんですか」


「ないから外すんだ」


先生は椅子の背にもたれた。


「あるなら処分して終わりだ。処分すれば記録が残る。記録が残れば、済んだことになる。今は済んでない。済んでない話を抱えたまま推薦を出すと、うちの枠が来年から消える」


「わたし1人のために、ですか」


「そうだ」


先生は否定しなかった。否定しないことに、わたしは何も言い返せなかった。


「先生は、信じてますか」


「信じてる」


「じゃあ」


「信じてるのと、推せるのは、別だ」


「証明したら、戻れますか」


わたしは聞いた。


「証明って、何を」


「消しゴムを落としただけだって」


「どうやって」


「わかりません」


「そうだろうな」


室生先生は少し黙った。


「無いことは証明できない。やってないことを証明するのは、原理的に無理だ」


「じゃあ、どうすれば」


「あの動画が、そういう意味の動画じゃないと示す。それしかない」


「示すって」


「元のやつが出てくれば早い」


先生はそう言った。言ったあとで、言わなければよかった、という顔をした。


「まあ、出ないだろうけどな」


「誰が撮ったか、調べないんですか」


わたしは聞いた。


「調べない」


「なんでですか」


「調べると、大ごとになるからだ」室生先生は言った。「撮ったやつが出てきたら、そいつを処分することになる。処分すると保護者が来る。保護者が来ると、なんでうちの子だけって話になる。そうすると、元の動画の話に戻る」


「戻ればいいじゃないですか」


「戻ると、佐倉の話に戻るんだよ」


わたしは黙った。


「試験中に撮影があったってことは、試験監督が見てなかったってことでもある」


「……」


「そこまで行くと、今度は先生の話になる」


先生はクリアファイルをそろえた。


「悪いな。俺が決めたわけじゃない。規定にそう書いてある」


規定を書いたのは誰なのか、わたしは聞かなかった。


聞いても意味がないことは、そのときにはもうわかっていた。


進路指導室を出て、階段の踊り場で、わたしは計算をした。


早瀬大学経済学部を一般で受ける場合。


去年の倍率は4.8倍。わたしの模試の判定はC。C判定は合格率40パーセント前後だ。


受験料は35,000円。滑り止めを2つ受けて、合計105,000円。


入学金は250,000円。初年度の授業料を入れると、最初の1年で約1,300,000円。


推薦なら、この数字のうち受験料の部分が消える。合格率は100パーセントになる。


わたしは、その計算を2回した。


1回目は、合格率を見ていた。40パーセントをどう上げるかを考えていた。


2回目は、1,300,000という数字しか見ていなかった。


見ているうちに、これが自分で答えを出せる計算ではないことに気づいた。


うちにその金があるかどうかを、わたしは知らない。3月4日の夜に年収を調べようとして、知らないと気づいて、それきりにしてある。


答えを出すには、父に聞くしかない。


中学2年の冬、父は「うちは、学費の心配はするな」と言った。わたしはその一言の上に、4年分の計画を積んでいる。


聞くというのは、その一言がまだ生きているかを確かめることだ。


わたしは聞かなかった。


聞かなければ、まだ生きていることになるからだ。


家に帰って、わたしは母に何も言わなかった。


夕食のとき、母が「今日、進路の話あった?」と聞いた。


「なかった」


嘘だった。


嘘をついたのは4月22日に続いて2回目で、1回目より簡単だった。


嘘は2回目から簡単になる。1回目は心臓が動く。2回目は動かない。3回目からは、嘘だと思わなくなる。


わたしはそのとき、そのことを知らなかった。


知らないまま、味噌汁を飲んで、部屋に上がった。


父はその日、8時に帰ってきた。前は9時半だった。


わたしは自分の部屋で、父が帰ってくる音を聞いていた。玄関が開いて、閉まる。靴を脱ぐ音。鞄を置く音。


そのあと、居間で誰も喋らない時間が、3分あった。


4月26日、金曜日。


昼休みに、柏木千歳がわたしの席の横を通った。


通りながら、こちらを見ずに言った。


「外されたんだ」


わたしは顔を上げた。千歳はもう2歩先にいた。


「なんで知ってるの」


千歳は止まった。振り返らなかった。


「先生が電話で喋ってた。職員室の窓、開いてたから」


「……」


「聞こうと思って聞いたわけじゃない」


「そう」


「大変だね」


千歳はそのまま行った。


大変だね、という言葉に、感情が1つも乗っていなかった。


同情でも、嘲りでもなかった。天気の話をするときの声だった。


わたしはそのとき、少しだけ楽になった。


同情されるより、そのほうが楽だった。


楽だと感じたことを、あとになって思い出す。わたしはあの時期、自分に何も感じない人間だけを、安全だと感じるようになっていた。


4月27日から29日まで、3連休だった。


わたしは3日で20時間勉強した。やったのは英語と数学と、あと化学基礎だ。全部、評定に関係のある科目だった。


外されたのに、評定を積んでいた。


意味がないことは、自分でわかっていた。わかっていて、やめられなかった。


やめると、この2年間が全部消えるからだ。


1年の6月から積んできたものは、1枠のためだけに積んできた。1枠がないなら、積んだものには使い道がない。使い道がないと認めることが、どうしてもできなかった。


だから、わたしは意味のない勉強を3日間やった。


3日目の夜、シャープペンの芯が切れて、替えを探して、机の引き出しを開けた。


引き出しの奥に、3月4日に印刷した評定分布の一覧が入っていた。


——ではなかった。あれは財布に入れてある。


引き出しに入っていたのは、その前に印刷した、2年の2学期時点の一覧だった。


数字は同じだった。4.6が、上から3番目にあった。


わたしはそれを見て、2枚とも捨てなかった。


4月30日、火曜日。


わたしが校内選考から外されたことは、掲示されない。そういう発表はしない。


だが、こういう話は2日で伝わる。


伝わったあと、教室でのわたしの位置が変わった。


変わった、というのは、誰かが冷たくなるということではない。誰も冷たくならない。


ただ、進路の話がわたしの前で止まる。


「推薦どうするー」という会話が、わたしの席の2つ手前で終わる。終わってから、別の話が始まる。


その配慮は、たぶん善意だ。善意だから、断れない。


わたしは自分の席で、その2つ手前の会話が終わるのを、毎日聞いていた。


4月30日から3日、わたしは撮影者を探した。


わたしがやったのは、こういうことだ。


1日目。4月30日。あの日の座席で、わたしの後ろ3列にいた人間を思い出した。7人いた。


2日目。5月1日。7人のうち3人に、それとなく聞いた。「あの動画、誰が撮ったんだろうね」と言うと、3人とも「わかんない」と言った。3人の顔は、隠しごとをしている顔ではなかった。


3日目。5月2日。何もしなかった。


5月2日に何もしなかったのは、次に聞く相手が、あと4人しかいないと気づいたからだ。


4人のうち1人が、神谷楓だった。


わたしはそこで止まった。


止まった理由を、そのときのわたしは自分に説明していない。説明しないまま、リストを閉じた。


その日の放課後、廊下で楓が待っていた。


待っていた、という顔ではなかった。たまたま通りかかった、という立ち方をしていた。


「呼ばれてたんでしょ、この前」


「うん」


「動画の?」


「うん」


「どうなった」


「外された」


楓は口を開けて、それから閉じた。


「……嘘でしょ」


「ほんと」


「そんなの、おかしいよ」


楓は本当に怒っているように見えた。今でも、あれは本当に怒っていたのだと思う。


「先生に言おうよ。わたしも一緒に行く」


「いい」


「なんで」


「行くと、話が大きくなるから」


「大きくなればいいじゃん」


「大きくならないほうがいいって、先生が言ってた」


楓は少し黙った。


「澪って、そういうとこあるよね」


「そういうとこって」


「怒らないとこ」


わたしは何も言わなかった。


「わたしは信じてるから」


楓は言った。


「うん」


「澪がそんなことするわけないもん」


「ありがとう」


わたしは礼を言った。


礼を言ってから、歩き出して、階段の3段目で足が止まった。


いま、楓はどこから来た。


進路指導室は本館の1階だ。3年5組は3階にある。楓の部活の練習は体育館で、体育館は渡り廊下の先だ。


このあいだも、楓は同じ場所に立っていた。


たまたまが2回ある。


そこまで考えて、わたしは別のことを思い出した。


動画の角度だ。


わたしの背中は、右斜め後ろから映っていた。少し高い位置から。前の席の頭が、画面の下に少しだけ入っていた。


実力テストの座席は、出席番号順ではない。学年で共通の試験座席表が使われる。


わたしは鞄から座席表のコピーを出した。テストのたびに配られるやつを、捨てずに入れたままだった。


わたしの席は、窓側の後ろから2番目。


その右斜め後ろ。窓側の一番後ろ。


神谷楓。


わたしは、階段の3段目に立ったまま、その紙を2回見た。


2回見ても、名前は変わらなかった。



お読みいただきありがとうございます! ブックマークや下の☆☆☆☆☆の評価にて応援していただけますと励みになります! どうぞ、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。