「仕事の喜びを知る日」
7月の空気が、オフィスにも入り込んでいた。
湿度を帯びた空気とともに、どこか少しだけ慌ただしさが増している。
新入社員の福井は、営業一課に配属されて間もなく三ヶ月を迎えようとしていた。
任されている仕事には、ようやく慣れてきた。
まだ一人前とは言えないが、教わったことには自信を持って対応できる場面が増えている。
電話が鳴る。
福井はワンコールで受話器を取った。
「お電話ありがとうございます。〇〇株式会社でございます」
明るく、はっきりと。頭の中で何度も練習した通りに。
『E株式会社の山田と申します。お世話になっております……福井様でしょうか?』
一瞬、思考が止まる。
E社は、福井が担当している取引先の一つだ。
「はい、福井でございます」
『やっぱり。いつも明るい声で出てくださるので、覚えてしまいました』
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
声で、覚えてもらえた。
『それで、いつも発注している商品なのですが、最近売れ行きが良くて。在庫の確認をお願いできますか?弊社には現在8ケースあります』
「承知いたしました。すぐに確認いたしますので、少々お待ちいただけますでしょうか」
保留ボタンを押す。
落ち着いて、システムを開く。
在庫照会画面。委託倉庫の数量。次回入荷予定。
——大丈夫、できる。
先月までは一度電話を切って、折り返していた。
それが今は、この場で確認して答えられる。
受話器を取る。
「大変お待たせいたしました。現在、弊社在庫は14ケースございます。次回入荷は七月下旬に30ケースを予定しております」
この商品はE社専売。営業確認は不要。
それも、もう理解している。
『ありがとうございます。それでは14ケース、全量出荷をお願いします。発注書はすぐにお送りしますので、手配よろしくお願いいたします』
「承知いたしました。お待ちしております」
電話を切ろうとした、そのとき。
『……福井さんは今年の新入社員だと白石さんから伺いましたが、対応が早くて助かります。今後ともよろしくお願いいたします』
言葉が、詰まる。
想像していなかった一言だった。
「……こちらこそ、いつも事前にご連絡いただきありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。失礼いたします」
受話器を置く。
——嬉しい。
胸の奥から、じわじわと広がる感覚。
仕事って、社内だけじゃない。
外にもちゃんと繋がっている。
そして——認められた。
思わず椅子を回して、隣を見る。
白石は席を外していた。
反対側。森に視線を向ける。
「森さん」
声が少し弾む。
「今、E社の山田様からお電話があって……声で私だって気づいてくださって。それで、対応が早くて助かるって……言っていただけたんです」
一気に言葉が溢れる。
森は椅子をこちらに向け、まっすぐに話を聞いた。
一瞬だけ、福井の頭をよぎる。
——距離を取られているはずだった。
けれど。
「良かったじゃん」
真っ直ぐな言葉。
「ちゃんとやってきたから、そうやって返ってきたんだろ」
奥の席の新田も、こちらを見て小さく頷いている。
「それに——俺らはもっと前から認めてるけどな」
軽く笑って、森はデスクに向き直った。
「……ありがとうございます」
自然と頭が下がる。
すぐに我に返る。
——発注書。
メールを開くと、ちょうど届いていた。
早い。
これが当たり前なのか、まだ分からない。
それでも、焦らず、確実に。
発注内容を確認し、出荷依頼書を作成。
委託倉庫へファックスを送信し、「FAX済」の印を押す。
一つひとつ、確実に。
その途中で、白石が戻ってきた。
先ほどの出来事を伝えると、白石は柔らかく微笑んだ。
「すごいね、福井さん。ちゃんと積み重ねてきた結果だよ」
その言葉に、胸がまた少し温かくなる。
仕事のやりがい。
人とのつながり。
少しずつ、それが形になっていく。
そして気づく。
森に向けていた気持ちは、いつの間にか変わっていた。
恋ではなく——憧れへ。
「……よし」
小さく息を整える。
ひとつずつ、やっていこう。
自分のペースで、積み上げていく。
E社への納期回答を入力し、送信ボタンを押した。
一方、営業三課。
橘真由の部署では——
新入社員の福島が、相変わらず真由に視線を向けていた。
無意識なのだろう。
けれど、その視線を——真由は見逃さない。
「……なんなのよ」
心の中で呟きながら、キーボードを打つ手は止めない。
ただ。
その視線の意味を、考えないほど鈍くもなかった




