表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/117

「仕事の喜びを知る日」

7月の空気が、オフィスにも入り込んでいた。

湿度を帯びた空気とともに、どこか少しだけ慌ただしさが増している。


新入社員の福井は、営業一課に配属されて間もなく三ヶ月を迎えようとしていた。


任されている仕事には、ようやく慣れてきた。

まだ一人前とは言えないが、教わったことには自信を持って対応できる場面が増えている。


電話が鳴る。


福井はワンコールで受話器を取った。


「お電話ありがとうございます。〇〇株式会社でございます」


明るく、はっきりと。頭の中で何度も練習した通りに。


『E株式会社の山田と申します。お世話になっております……福井様でしょうか?』


一瞬、思考が止まる。


E社は、福井が担当している取引先の一つだ。


「はい、福井でございます」


『やっぱり。いつも明るい声で出てくださるので、覚えてしまいました』


胸の奥が、じんわりと熱くなる。


声で、覚えてもらえた。


『それで、いつも発注している商品なのですが、最近売れ行きが良くて。在庫の確認をお願いできますか?弊社には現在8ケースあります』


「承知いたしました。すぐに確認いたしますので、少々お待ちいただけますでしょうか」


保留ボタンを押す。


落ち着いて、システムを開く。

在庫照会画面。委託倉庫の数量。次回入荷予定。


——大丈夫、できる。


先月までは一度電話を切って、折り返していた。

それが今は、この場で確認して答えられる。


受話器を取る。


「大変お待たせいたしました。現在、弊社在庫は14ケースございます。次回入荷は七月下旬に30ケースを予定しております」


この商品はE社専売。営業確認は不要。

それも、もう理解している。


『ありがとうございます。それでは14ケース、全量出荷をお願いします。発注書はすぐにお送りしますので、手配よろしくお願いいたします』


「承知いたしました。お待ちしております」


電話を切ろうとした、そのとき。


『……福井さんは今年の新入社員だと白石さんから伺いましたが、対応が早くて助かります。今後ともよろしくお願いいたします』


言葉が、詰まる。


想像していなかった一言だった。


「……こちらこそ、いつも事前にご連絡いただきありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。失礼いたします」


受話器を置く。


——嬉しい。


胸の奥から、じわじわと広がる感覚。


仕事って、社内だけじゃない。

外にもちゃんと繋がっている。


そして——認められた。


思わず椅子を回して、隣を見る。

白石は席を外していた。


反対側。森に視線を向ける。


「森さん」


声が少し弾む。


「今、E社の山田様からお電話があって……声で私だって気づいてくださって。それで、対応が早くて助かるって……言っていただけたんです」


一気に言葉が溢れる。


森は椅子をこちらに向け、まっすぐに話を聞いた。


一瞬だけ、福井の頭をよぎる。

——距離を取られているはずだった。


けれど。


「良かったじゃん」


真っ直ぐな言葉。


「ちゃんとやってきたから、そうやって返ってきたんだろ」


奥の席の新田も、こちらを見て小さく頷いている。


「それに——俺らはもっと前から認めてるけどな」


軽く笑って、森はデスクに向き直った。


「……ありがとうございます」


自然と頭が下がる。


すぐに我に返る。


——発注書。


メールを開くと、ちょうど届いていた。


早い。


これが当たり前なのか、まだ分からない。

それでも、焦らず、確実に。


発注内容を確認し、出荷依頼書を作成。

委託倉庫へファックスを送信し、「FAX済」の印を押す。


一つひとつ、確実に。


その途中で、白石が戻ってきた。


先ほどの出来事を伝えると、白石は柔らかく微笑んだ。


「すごいね、福井さん。ちゃんと積み重ねてきた結果だよ」


その言葉に、胸がまた少し温かくなる。


仕事のやりがい。

人とのつながり。


少しずつ、それが形になっていく。


そして気づく。


森に向けていた気持ちは、いつの間にか変わっていた。


恋ではなく——憧れへ。


「……よし」


小さく息を整える。


ひとつずつ、やっていこう。

自分のペースで、積み上げていく。


E社への納期回答を入力し、送信ボタンを押した。





一方、営業三課。


橘真由の部署では——


新入社員の福島が、相変わらず真由に視線を向けていた。


無意識なのだろう。


けれど、その視線を——真由は見逃さない。


「……なんなのよ」


心の中で呟きながら、キーボードを打つ手は止めない。


ただ。


その視線の意味を、考えないほど鈍くもなかった


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ