「それぞれの、次の一歩」
7月に入った。
デスクに向かう白石の横顔は、どこか軽くなったように見えた。
湿度を含んだ空気とともに、オフィスの空気も少しだけ変わる。
営業陣は半袖のワイシャツに替わり、事務の女性陣も涼しげなオフィスカジュアルへと移っていた。
そしてもうひとつの変化。
新入社員の総合職五名が、3ヶ月の研修を終えて配属された。
そのうち二名が、本社勤務。
営業三課と営業二課——ちょうど、橘真由のいる部署とその隣だった。
「宮城です」
「福島です」
上長に連れられ、各課に挨拶して回る。
真由は軽く目をやりながら、心の中で呟いた。
——次は東北か。
真由の部署、営業三課に配属されたのは、福島。
海外留学経験があり、英語も流暢だという。
初日は社内の案内。
備品の場所、会議室の使い方、ブースのルール。
福島は一つひとつを丁寧にメモに取っていた。
二日目からは、先輩営業に同行して実務を学び始める。
その合間に、福島から何度か視線を感じた。
けれど真由は気づかないふりをした。
昼前。
森海斗がふらっと現れた。
「橘さん、昼行きません?」
「なにー、珍しいじゃん」
真由が眉を上げる。
「一緒にお昼とか初めてじゃない?」
「たまにはいいでしょ」
森は軽く笑いながら、背中に感じる福井の視線をそのままに、真由とエレベーターホールへ向かった。
「で、子猫ちゃんとはどうなのよ」
歩きながら、真由がさらっと切り込む。
「何の話っすか」
森はとぼける。
「はぁ……」
真由は小さくため息をついた。
足を止め、森をまっすぐ見る。
「あんた、ちゃんと結婚できるわよ」
静かな声。
「前向いて、歩いていきなさいよ」
背中を押すつもりの一言。
けれど——
それが森の気持ちに火を点けることになることを、真由はまだ知らない。
「大丈夫ですよ」
森は少しだけ視線を落としてから、言った。
「俺にも、大切な人がいるって……最近やっと気づけたんで」
一拍。
「その人と、ちゃんと前向いていけるようにしたいって思ってます」
ーーなんだ、ちゃんといるんじゃない。
真由は内心で苦笑する。
「それなら、よかったわ」
そう言って、少しだけ柔らかく笑った。
「そういえば、白石さんたち、上手くいったんすね。」
「新田くんに聞いたの?」
「いや、2人の空気でわかります。」
「相変わらず、聡いわね。
でも…本当に良かった。」
そう笑う真由の顔を、森海斗は目を細めて見つめた。
午後。
昼休憩から戻ってきた二人を見て、金田遥が声をかける。
「お昼に二人って珍しいね。何食べたの?」
「定食よ」
真由が即答する。
「健康的でしょ」
「いいなぁ」
遥は笑う。
「今度、佐倉も誘ってあげて。新入社員教育で今詰めてるから」
「了解っす。また誘います」
そのやり取りを、福井は目の端で捉えていた。
けれど——
チャイムが鳴る。
午後の業務が始まる。
もう、以前の自分じゃない。
そう言い聞かせるように、視線を手元へ戻した。
「森さん」
少しだけ緊張した声。
「こちらのお客様から3ケース注文が来たのですが、仕入れ先の在庫が残り3ケースしかなくて……」
福井が資料を差し出す。
「毎月、別のお客様に1ケースずつ定期出荷しているので、このままだと足りなくなると思うのですが……」
森は注文書に目を落とし、すぐに状況を理解する。
「ありがとう」
短く言って、福井を見る。
「その判断で合ってる。いつものお客様を止めるわけにはいかないな」
一瞬考え、
「この新規の方に、今回は2ケースで調整できないか確認する。出荷はそのあと指示出す」
「はい!お願いします!」
はっきりとした返事。
森は小さく笑った。
——ちゃんと、前を向いてるな。
子猫ちゃんも、成長してますよ。
橘さん。
心の中で、そう呟いた。




