表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/29

「“意外と”って、よく言われます」後編

午前十時過ぎ。

外出した新田の席は空いたまま、フロアにはキーボードを叩く音だけが静かに広がっていた。


森海斗は、画面に表示されたF社案件の資料を見つめたまま、眉を寄せる。


——あれ。


数値の並びに違和感がある。

昨日まとめたデータと合わない。


もう一度確認してから、小さく息を吐いた。


「……マジか」


このまま提出すれば、先方に出す見積もりが変わる。

気づかれない可能性もあるが、気づかれたら信用に関わる。


森は椅子を引いた。


「ちょっと確認してくるか」


隣の営業三課でもF社と取引しているはずだ。


森は二つ隣の島へ向かった。


ただ、普段ほとんど関わらない部署だ。

誰が担当なのかわからない。


「すみません、F社の担当アシスタントってどなたっすかね?」


一番端デスクにいた事務員に聞く。


「えっと…F社は橘さんが担当していますよ!」

手のひらで差された方向に見覚えのある姿が入る。


茶髪に巻き髪。

華やかなネイル。

細身のパンツスーツ。


橘真由だった。


——うわ、よりによって橘さんか。


美人だがすこしギャルっぽく、気が強そうなタイプに見える。


苦手、というほどではない。

ただ、これまであまり接点がなかった。


しかし今は、そんなことを言っている場合ではない。


「橘さん」


声をかけると、真由は画面から目を離さずに返事をした。


「んー?」


数秒遅れて顔を上げる。


「あ、森くん。どしたの?」


近くで見ると、思ったより落ち着いた目をしている。

森は一瞬だけ言葉を選んだ。


「F社の管理表って、橘さん管理っすよね」


「うん、そうだよ」


「この数値…そっちの部署の分が先月分と合ってなくて」


真由はすぐに椅子を寄せ、森の画面を覗き込んだ。

距離が少し近い。


甘い香りがかすかにしたが、森は意識を画面に戻す。


「どれ?」


指差した箇所を見て、真由の視線が一瞬鋭くなる。


「……あー」


その声色が変わった。


さっきまでの柔らかさではない。

仕事の声だ。


「これ、こっちの営業側の更新が先月末で止まってる」


「やっぱそうっすよね」


「こっちは今月分反映してるからズレてるんだ」


キーボードを素早く叩きながら、真由は淡々と言う。


「このまま出したら、先方に出る数字変わるね」


「ですよね」


「危なかった」


そう言って、真由は軽く息を吐いた。


「森くん、気づいてくれて助かった」


さらっと言われて、森は一瞬言葉を失う。


「…いや、たまたまっす」


「たまたまじゃないよ」


画面を見たまま、真由が言う。


「ここ普通気づかない」


その言い方はお世辞じゃなかった。

ただ事実を述べているだけの声だった。


森は少しだけ居心地が悪くなり、視線を逸らす。


「…よく言われるんすよ」


「何が?」


「“意外と”細かいとこ見るよねって」


真由の指が止まった。


ゆっくりと顔を上げる。


「あー…」


小さく笑った。


「わかる」


森は思わず目を向ける。


真由は椅子の背にもたれ、肩の力を抜いた。


「私も言われる。“意外と”仕事できるんだねって」


少しだけ、苦笑い。


「意外と、って何だよって思うよね」


森は思わず吹き出しかけて、こらえた。


「…思います」


「見た目で判断されるの、まあ慣れてるけどさ」


真由は画面に視線を戻しながら続ける。


「仕事まで軽く見られると、さすがにちょっとね」


その声は淡々としていたけど、

ほんの少しだけ本音が混じっていた。


森は数秒黙ったあと、ぽつりと言う。


「俺も同じっす」


真由の手がまた止まる。


「チャラそう、ってよく言われるんで」


「…ああ、確かに」


即答だった。


森は苦笑する。


「否定しないんすね」


「でも」


真由がこちらを見る。


「さっきの気づき方見てたら、全然チャラくないよ」


その視線はまっすぐだった。


森は少しだけ照れくさくなり、

頭をかいた。


「…どうも」


真由は小さく笑い、再びキーボードを叩き始める。


「じゃ、数字修正しとく。五分で終わる」


「助かります」


デスクを離れようとして、森は一瞬だけ振り返った。


さっきまでの

“美人で派手な事務の人”

という印象が、少しだけ変わっていた。


——ちゃんと仕事見る人だ。


そして多分、

自分と同じように


“意外と”


と言われ続けてきた人。


森は何も言わず、自分のデスクへ戻る。


背後でキーボードの音が、

さっきより少しだけ近く感じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ