「踏み込んだ、その先で」
白石康介のマンションは3LDK。
広めのリビングに続くカウンターキッチンで、康介が四人分のコーヒーを淹れている。
がっしりとした背中が、やけに大きく見えた。
白石と新田は、涼子に案内されてダイニングではなくローテーブルへ通される。
自然と、向き合う形になる配置。
並んで座布団に座ると、わずかな距離が妙に近く感じた。
「お子さん、性別はどちらなんですか?」
新田が静かに口を開く。
「それがね、まだ分からないのよ」
涼子が柔らかく笑う。
「いつも大事なところ、見せてくれなくて」
困ったようでいて、どこか嬉しそうだった。
「どっちでもいいだろ」
キッチンから声が飛ぶ。
「俺らの子に変わりはない」
そう言いながら、康介が盆にマグカップを乗せてやってくる。
その体格に対して、盆がやけに小さく見えた。
「ありがとうございます」
新田が受け取りながら礼を言う。
ふと、涼子の前にもコーヒーが置かれているのに気づく。
——妊婦って、カフェインは控えるんじゃ…。
その視線に気づいたのか、康介が短く言った。
「そっちはカフェインレスだ。気にするな」
「あ、そうなんですね」
「最近は多いのよ」
涼子が続ける。
「チェーン店でも置いてるし、妊婦さんでも気軽に飲めるの」
「知らなかったです」
「俺も最近知った」
康介はそう言って、自分のコーヒーに口をつけた。
「いただきます」
白石もマグカップを手に取る。
そのタイミングで、新田は持ってきた手土産を紙袋から取り出して両手で持ち差し出した。
「これ、よかったら。お口に合えばいいんですが」
康介が受け取り、無言で中を確認する。
「わあ、美味しそう」
涼子が覗き込み、素直に声を弾ませた。
「……ふん。マナーはちゃんとしてるみたいだな」
ぼそりと康介。
本来は挨拶を済ませて席に着くまでに渡すのが礼儀だが、家主の康介が離席していたので、このタイミングになった。
「営業職ですので。客先にお渡しする際は気をつけています」
新田は淡々と返す。
一拍。
「お前ら、同い年か」
「はい。綾子さんとは同じ学年です。入社時期は違いますが、今は同じ部署で働いています」
「……モテるだろ」
「そんなことないですよ」
即答。
康介の視線が、わずかに細くなる。
「なんで今の会社に移った」
間髪入れず、次の質問。
新田は一度だけ息を整えた。
「前職はL社で営業をしていました」
「L社?あら、大きな会社よね」
涼子が少し驚いたように言う。
「はい。知名度はあります」
新田は頷く。
「ただ、僕がいた支店では……上司が自分の成績を上げるために、部下の手柄を奪うことが多くて」
言葉を選びながら、続ける。
「入社二年目で初めて一人で取った案件も、気づいたら上司の実績になっていました。そういうことが、一度や二度ではなくて」
空気が、少しだけ重くなる。
「正直、ずっと悩んでいました。収入面の不安はなかったですけど……上司の数字を作るために働いているわけじゃない、と」
康介は黙って聞いている。
「そんなとき、今の会社と取引があって——そのときに、今の上司と話す機会がありました」
白石は、ふと片山部長の顔を思い浮かべる。
「相談していた先輩が繋いでくれて、話を聞く中で、中小企業なら一から案件に関われることを知って……そこに魅力を感じました」
「リファラル採用か」
康介が短く言う。
「あの……リファラル採用って?」
涼子が首をかしげる。
「社員の紹介で選考を受ける採用方法だ」
康介が簡潔に答える。
「同業界だと珍しくない」
「はい。紹介ではありましたが、面接や試験も受けて合格しています。それで、今の会社に来ました」
「なるほどな」
康介がコーヒーを一口飲む。
その空気を少し和らげるように、白石が口を開いた。
「新田くん、この間A社との契約まとめて、すごく評価されてるんです」
「まあ、すごいわね」
涼子が目を丸くする。
「A社って、大きいところよね」
「はい。今回の案件は——」
そこまで言いかけて。
白石の表情が、ふっと変わった。
血の気が引く。
ほんの一瞬。
でも、新田は見逃さなかった。
言葉が止まる。
代わりに、新田はそっと白石の背に手を置いた。
触れるか、触れないかの距離で。
——大丈夫。
言葉にはしない。
それでも、伝えるように。
「綾子」
低い声が、空気を切る。
康介だった。
「子ども部屋、見ていけ。だいぶ揃えた」
一拍置いて。
「……あとは、俺が話す」
その言葉に、意味は十分すぎるほど含まれていた。
「行こっか」
涼子が優しく声をかける。
白石は一度だけ新田を見る。
ほんの一瞬。
それでも、何かを託すような視線だった。
そして、涼子と一緒に部屋を出ていく。
ドアが閉まる。
静寂。
「さて」
康介が、ゆっくりと新田を見る。
「ここからは、男同士で話すか」
新田は、背筋を伸ばした。




