「悩んでも明日は来る」
どう足掻いても、月曜日はやってきた。
新田も綾子も、通常通り出社している。
いつも通り、新田と森が先に席に着いていた。少し遅れて、事務の女性陣が順に入ってくる。
綾子は、デスクに向かう前に一度だけ深呼吸をした。
「おはようございます」
声を出す。
森と新田、そして周囲の営業たちが一斉に挨拶を返す。
——目を合わせないように。
そのまま、すぐにパソコンへ視線を落とした。
働きづらいな、と思う。
それでも、手は止めない。
やることは変わらない。だからこそ、いつも通りを装う。
佐藤や福井が心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
短く返して、作業に戻る。
少しして、金田遥がデスクに近づいてきた。
普段より少しだけタイミングを見計らったような距離感。
「おはよ」
「おはよう、遥」
それ以上は踏み込まない。ただ、それで十分だった。
橘真由も、自分の席から軽く手を上げる。
いつもと同じ光景。
でも、どこか少しだけ遠い。
片山部長が会議室から戻ってきたタイミングで、綾子は席を立った。
「おはようございます。あの、土曜日は途中で抜けてしまって……すみませんでした」
簡潔に謝る。
「体調はもう大丈夫なのか?」
「はい。ご迷惑おかけしました」
それ以上は聞かれなかった。
仕事に戻る。
業務のやり取りで、新田と会話を交わす。
声も、距離も、言葉も。
——いつも通り、できている。
少なくとも、そう見えるはずだ。
綾子から連絡すると伝えている以上、新田からは何も聞いてこなかった。
ただ。
ふとした瞬間に感じる視線。
気遣うような、踏み込まないようにしているような——
その優しさが、逆に胸に刺さる。
午後。
営業たちは外出が多い日だった。
「A社、行ってきます!戻り16時です」
新田と森が立ち上がる。
「いってらっしゃい」
周囲が声を揃える。
その中で——
「……っ」
綾子の肩が、わずかに揺れた。
“A社”という言葉に反応してしまった自分に気づく。
すぐに視線を落とす。
——まだ、こんなに引きずってる。
分かっているのに、どうにもならない。
このままじゃいけない。
でも、どうやって抜け出せばいいのかが分からない。
手は動いている。仕事もこなしている。
それなのに——
まるで、暗い場所に取り残されたままのようだった。
エレベーターへ向かう途中。
新田は、さっきの綾子の反応を思い出していた。
あれは、驚きではない。
——怯えに近かった。
何があったのか分からない以上、踏み込めない。
何もできない自分に、わずかな苛立ちが募る。
エレベーターに乗り込む。
沈黙が落ちる前に、森が口を開いた。
「気にしすぎっすよ」
前を向いたままの軽い声。
「時間が解決してくれることもありますし」
新田は小さく息を吐く。
「……森くん、人生何回目?」
冗談めかして言いながら、軽く肩に手を回す。
「ありがとな」
「どういたしまして」
森はいつも通り、あっさりと返した。
A社の新商品上市まで、あと半月。
今日の打ち合わせを終えれば、しばらくはメールと電話でのやり取りが中心になる。
コンテナ一便目の納品に立ち会い、流通が回り始めれば、あとは事務側で運用できる。
——つまり。
仕事として、川上由梨と顔を合わせる機会は、ほぼなくなる。
それで、綾子の傷は癒えるのか。
分からない。
それでも——
時間は、止まらない。
新田は静かに前を見た。
進むしかない現実だけが、そこにあった。




