「白石さんだけを想ってる」
「はぁ……っ!?」
思わず声が裏返る。
「なんで片山部長がそんなこと公表すんだよ……!」
新田は額に手を当てたまま、深く息を吐いた。今にも血管が切れそうなほど、苛立ちが込み上げている。
森海斗は、その様子を少しだけ冷静に眺めていた。
——こんなに荒れてる新田さん、初めて見たな。
「……まあでも、状況的にきついっすよね」
ぽつりと挟む。
展示会で一緒に回っていた女性が元恋人であること。それが、チーム全体の前で明かされてしまったこと。そして、それを白石も知ってしまったこと。
新田は何も言わず、グラスの水を一気に飲み干した。
「ちなみにですけど」
森が続ける。
「今回の案件、元カノさん起点で動いてたんですよね。転職してからも、連絡とか取ってたんすか?」
新田は少しだけ視線を落とした。
「……元カノっていうより、前職の同期で集まることがあってさ。そのときに話聞いて、今の会社で商売につながりそうだと思ったんだよ」
「あー、なるほど」
森は軽く頷く。
一拍置いて、さらに踏み込む。
「もう、元カノさんのことは何も思ってないんすか?」
その問いに、新田は一瞬も迷わなかった。
「思ってない」
短く、はっきりと。
「今の俺には、白石さん以外考えられない」
普段なら口にしないような言葉だった。けれど、それだけ余裕がないのだと分かる。
森は少しだけ目を細めた。
「……他の人がどう思ったかは分かんないっすけど」
グラスを指でなぞりながら言う。
「俺から見ても、あのときの二人、結構“特別な人”に向ける顔してましたよ」
新田の動きが、ほんの一瞬止まる。
——俺から見ても。
それはきっと、白石から見ても同じだったということだ。
胸の奥が、重く沈む。
「……悪いな、森くん。付き合わせて」
ぽつりと漏らす。
これ以上は、自分で向き合うしかない。そういう声だった。
「全然っすよ」
森は軽く肩をすくめる。
「今日は俺が奢るんで、次はいい報告で奢ってくださいよ」
その軽さに、少しだけ救われる。
——森くんなりの気遣いか。
そう思った、そのとき。
「あと」
森が、何でもないように続ける。
「俺、一回白石さん抱きましたよ」
——は?
一瞬で、空気が凍る。
気づいたときには、新田の手が森の胸ぐらを掴んでいた。
「……今、なんて言った?」
低い声。
森は一切動じず、にやっと笑う。
「さっき、タクシー乗せるときにです」
数秒の沈黙。
それから、新田は力を抜いた。
「……ごめん」
手を離す。
「それも、ありがとう」
肩が、がくりと落ちる。
森は小さく息を吐いた。
「まだそれだけ反応できるなら、大丈夫っすね」
軽く言って、席を立つ。
二人は店を出て、夜の道で別れた。
新田は、スマートフォンを取り出す。
本当は、今すぐ声が聞きたかった。
でも——
今は、待つしかない。
短く、メッセージを打つ。
『心配してます。
白石さんのことだけを想ってる。
落ち着いたら、いつでも連絡待ってます。』
送信ボタンを押したあと、画面を見つめたまま動けなくなる。
——今朝のことが、頭に浮かぶ。
「新田くん、おはよう!」
明るい声。
「展示会とか滅多に来ないから、ちょっと緊張するな」
「大丈夫。俺らもいるし、困ったことあったらすぐ呼んで」
「うん、ありがとう。でも今日は、A社の人たちと新田くんが主役だもんね。頑張ってね」
あの、屈託のない笑顔。
相手を自然に気遣う言葉。
当たり前のように、そこにあったもの。
——それが、こんなふうに途切れるなんて。
新田は静かに目を閉じた。
何もできなかった自分と、
隣にいなかった時間だけが、やけに重く残っていた。




