「答えを出せない夜」
「もしもーし。橘です」
「新田です。橘さん、すみません休みの日に。白石さんの体調、どうですか?」
「大丈夫……とは言えないけど、さっきよりは落ち着いてきたよ」
少しだけ間があく。
「新田くん、ごめんね。綾子のことだから、私から詳しくは話せないけど……過去にちょっと辛いことがあってね。今日はそれがフラッシュバックしちゃったみたい」
言葉を選ぶような声音。
「……そうですか」
「ちょっと待ってね」
電話の向こうで、小さく声が重なる。真由が綾子に何かを確認しているのが、かすかに聞こえた。
やがて、もう一度真由が戻ってくる。
「ごめんね。また綾子から連絡するって。それと、明日の約束は難しそうって……謝ってたわ」
「……わかりました。ありがとうございます。お大事にと伝えてください」
短くそう返して、通話を切る。
スマートフォンを下ろしたその横で、森がぽつりと口を開いた。
「ていうか、白石さんと新田さんって付き合ってますよね」
思わず視線を向ける。森は変わらず、どこか飄々とした顔で続けた。
「俺、結構まわり見てるんで」
一瞬、言葉に詰まる。
「……そうだよな。森くんは、いつも俺と白石さんの間に座ってるし。気づいて当然か」
少しだけ肩の力を抜く。
「森くんのそういうとこ、すごいと思ってるよ。よく見てるし、気遣いもできる」
素直に言うと、森はわずかに目を細めた。
——この人も、ちゃんと伝える人なんだな。
そんなふうに思う。
「新田さん」
森が軽く声をかける。
「夜、飯でもどうですか」
白石の部屋。
「……綾子、落ち着いた?」
「うん……ごめんね、休みの日に」
「その言葉、今日何回目よ」
真由が苦笑する。
向かいでは、遥が三人分のココアをテーブルに置いた。甘い香りが、部屋の空気を少しだけやわらげる。
「森くんから大体の話は聞いたけど……フラッシュバック、しちゃったのかな」
遥の声は、あくまで静かだった。
白石はマグカップを両手で包みながら、少しずつ言葉を探す。
「……すごく綺麗な人だなって思って、見てたの」
ぽつり、と落とすように話し始める。
「新田くんと話してるところも見えて……去年から関わりがあるって聞いてたし、そういうものかなって思おうとしたの。でも……あの表情が、どうしても、取引先に向ける顔には見えなくて」
少しだけ視線を落とす。
「私、僻んでるのかなって。嫉妬してるのかなって、自分でも思ってた」
一拍、置く。
「でも、そのあと……片山部長が、同期だって言って」
「……うん」
「それなら、納得できるなって思ったの。だって、私たちだって同期のつながりって強いじゃない」
真由と遥が、静かに頷く。
「でも……そのあと」
言葉が、少しだけ震える。
「付き合ってたって、言ってて」
カップの中のココアが、わずかに揺れる。
「恋人同士だったんだって思ったら……なんか、急に」
そこまで言いかけたところで、
「……そこまででいいよ」
真由が、やわらかく遮った。
「もう、分かるから」
白石は、ゆっくりと息を吐く。
「過去のこと、重なっちゃったんでしょ」
その言葉に、白石は小さく頷いた。
しばらく、静かな時間が流れる。
ココアを一口飲んでから、ふと真由が顔を上げた。
「ていうか……なんで片山部長、あんなに詳しいの?」
真由が軽く肩をすくめる。
「新田くん、リファラル採用でしょ」
「え?」
「中途で入ってきてるけど、片山部長が引っ張ってきたのよ」
遥が続ける。
「前職のL社、うちと取引あったから。確か、片山部長が担当してたはず」
「え、そうなの?」
「だからじゃない?対外的には結構おしゃべりだし、関係性も自然と知ってたんでしょ」
なるほど、と小さく息をつく。
「……誰にでも、そういう過去はあるしね」
遥がやわらかく言う。
「たまたま、今回はそれを目の前で見ちゃっただけ」
「……そっか」
少しだけ、苦笑する。
「辛かったね」
その言葉に、白石はほんの少しだけ目を細めた。
「……あんたは元鞘とか、ないでしょ」
真由がふっと空気を変えるように言うと、
「ないわよ」
遥が即答する。
「大学からずっと同じ人だし」
「だよね」
白石が小さく笑う。
でも、その笑顔はどこか無理をしているようで、真由も遥も何も言わなかった。
しばらくして、白石が口を開く。
「今日はありがとう。あとは……自分で整理してみる」
その言葉に、二人は静かに頷いた。
玄関のドアが閉まる。
一人になった部屋に、静けさが戻る。
テーブルの上には、まだ少しだけ残ったココア。
白石はそれを見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。
——どうしたいのか。
まだ、自分でも分からなかった。




