「静かに崩れる音」
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次回更新は明日12時です。
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6月6日、土曜日。
A社の新商品上市前に、A社主催の展示会が開催された。
白石たち事務職員を含め、営業一課のメンバーは全員参加している。
会場には、様々な企業の担当者が集まり、
名刺交換や商品説明の声があちこちで飛び交っていた。
一番メインのA社のブースでも、次々と人が訪れている。
白石たちも、A社の担当者と名刺交換を行った。
男性も女性も、年齢層は幅広い。
上の世代から、白石と同じくらいの若い社員まで。
その中で——
ひときわ目を引く女性がいた。
「……あの人、綺麗ですよね」
隣で、佐藤菜月が小さく声を漏らす。
「おー、確かに。すげー綺麗な人っすね」
森も思わず頷いた。
途中からA社の担当となった森も初めて見る人物だった。
人の多い会場の中でも、自然と視線を集めている。
ただ“整っている”だけじゃない。
どこか、自信と芯の強さを感じる雰囲気。
白石から見ても、本当に綺麗だと思った。
「私、さっき名刺交換したよ」
後ろから、田村が声をかける。
「開発部の方でね、川上由梨さん。今回の新商品の企画担当だって」
「え、そうなんですか」
「若手のホープって感じね。今、きっと仕事が一番楽しい時期よ」
——同い年くらいかな。
いや、少し上かもしれない。
それでも。
この年で、ここまで大きな企画を任されて、形にしようとしている。
——すごいな。
白石は、素直にそう思った。
そのときだった。
川上が、誰かに声をかける。
視線の先——
新田だった。
「あ」
小さく、息が漏れる。
二人は、自然な流れで言葉を交わし始めた。
どこか、空気が柔らかい。
新田が、少しだけ表情を緩める。
川上も、それに応じるように笑う。
——距離が、近い。
ただの仕事の会話には見えなかった。
胸の奥に、薄く影が落ちる。
「去年から話は始まってましたしね」
隣で、森がぽつりと呟いた。
「開発の人なら、最初から関わってるはずですし」
少しだけ間を置いて、続ける。
「同世代で、それだけ顔合わせてたら……まあ、仲良くもなりますよね」
気遣うような口調。
でも。
——それでも、あの表情は。
森の中でも、引っかかるものがあった。
すると片山部長が戻ってきた。
「お前ら、ちゃんと見とけよ!」
営業陣に向けて言う。
「今回の展示会、他社もいろいろ出してるからな。うちと商売できそうなとこ、勘でもいいから名刺交換しとけ」
「はい!」
返事が揃った。
営業陣はそれぞれブースに向かい、歩きはじめた。
「お、川上さんじゃないか」
片山の視線が、ふと止まる。
「相変わらず、新田とお似合いだな」
「え?」
空気が、一瞬だけ止まった。
「なんですかそれ」
森が食いつく。
「ん?ああ、言ってなかったか」
片山は、あっさりと続ける。
「二人、前職同じでな。新卒からの同期だ」
「え、そうなんすか」
「川上さんも同じタイミングで転職して、今は別の会社だけどな」
そうなんだ…
白石も視線を、もう一度二人に向ける。
「今回の案件も、新田が川上さんから話聞いて、うちと組めないかって提案したのが始まりだしな」
——だから、あんなに。
「へぇ〜……それで仲良いんすね」
森が、軽く相槌を打つ。
「まぁな」
一拍。
「確か、付き合ってたしな」
「え!?」
森の声が、少し大きくなる。
「元カノっすか!?」
その言葉が——
白石の中で、強く反響した。
——元カノ。
一瞬で、音が遠くなる。
視界が、わずかに揺れる。
頭の奥が、ぐらりと傾いた。
遠くで、誰かが何かを言っている。
でも、うまく聞き取れない。
ただ——
二人の姿だけが、やけにはっきりと見える。
自然な距離。
迷いのない表情。
——ああいう顔、するんだ。
胸の奥に、冷たいものが広がっていく。
「白石さん?」
佐藤菜月の声が、近くで響いた。
「顔色、悪いですよ……!」
白石は、ほんの少しだけ瞬きをした。
「……大丈夫」
そう答えたつもりだった。
けれど——
自分の声は、思ったよりも掠れていた。
「白石、一回外出るか?」
片山部長も気付き、声をかける。
「顔色、ほんとにやばいっす」
冗談めかしているけど、目は笑っていない。
白石は一瞬だけ迷ってから、小さく頷いた。
会場の外。
ガラス越しに、展示会の賑やかな空気が遠くなる。
人の声も、光も、少しぼやける。
「……ごめんね」
壁に手をつきながら、小さく息を吐く。
佐藤菜月と森が付き添ってくれた。
「いや、謝るとこじゃないでしょ」
森が、少しだけ間を置いて言う。
「佐藤さん、戻って。あとは俺がタクシー捕まえて家に返すから。」
「は、はい…」
佐藤菜月が心配そうに会場にもどる。
森と2人になった白石は、近くのベンチに腰掛けた。
「聞いてなかったんすか?」
白石は、首を横に振った。
「……初めて、知ったの」
その言葉に、森は小さく息をつく。
「まぁ、言うタイプじゃないっすよね、新田さん」
少しだけ苦笑する。
言うタイプではないのに、森くんには付き合ってること話してるんだ…と、ぼんやりと思った。
「でも——」
言いかけて、やめる。
白石の様子を見て、言葉を選んでいるのが分かった。
「……大丈夫だよ」
先に、白石が言った。
「ちょっと、びっくりしただけで」
——嘘だ。
びっくりなんかじゃない。
胸の奥に、もっと重たいものが沈んでいる。
——また、同じことになるかもしれない。
過去の記憶が、かすかに輪郭を持ちはじめる。
少し呼吸が早くなるのを感じた。
呼びかける森の声が遠のいていく…。
少しずつ、呼吸が浅くなるのを感じた。
胸の奥が、ざわつく。
「……白石さん?」
森の声が、すぐそばで聞こえる。
はずなのに——
遠い。
視界が、ゆっくりと滲んでいく。
「大丈夫っすか」
肩に触れられた感覚だけが、かろうじて分かる。
息が、うまく吸えない。
——やめて。
頭の奥で、何かが軋む。
——思い出したくない。
ぎゅっと、目を閉じる。
それでも。
あのときの感情が、じわじわと蘇ってくる。
——まだ、終わっていないみたいに。




