「交わらない想い」
週が明けて月曜日。
先週まるまる海外出張だった新田たちも戻り、フロアには、いつも通りの音が流れていた。
キーボードの打鍵音。
電話の呼び出し音。
誰かの話し声。
その中で、福井は静かに画面に向かっていた。
——送付完了まで確認。
チェック表に書いた一行を、指でなぞる。
一つひとつ、丁寧に。
確認して、送って、もう一度確認する。
手を止めない。
目を逸らさない。
——ちゃんとやる。
自分に言い聞かせるように、作業を進めていく。
ふと。
視界の端に、人影が入った。
森だった。
フロアの奥で、誰かと話している。
——橘さん。
橘真由だった。
少し距離はあるのに、なぜか目に入る。
楽しそうに話しているように見えた。
森が、少しだけ肩の力を抜いて笑う。
真由が、何かを言って、それに軽く返す。
その距離感が、自然で。
——ああいう感じ、なんだ。
胸の奥が、少しだけざわつく。
そのとき。
ふと、真由の視線がこちらに向いた。
一瞬、目が合う。
——まずい。
思わず、視線を逸らす。
「森くん」
少しだけ大きめの声。
真由が、わざとらしく言った。
「あんたんとこの子猫ちゃんが待ってるわよ」
「……は?」
森が、少しだけ眉をひそめる。
「ほら、戻りなさい」
軽く顎で、デスクの方を示す。
森は一瞬だけ視線を巡らせて——
福井の方を見る。
「……じゃ、またあとで」
真由にそう言って、自分の席へ戻ってきた。
隣に立たれると、少しだけ空気が変わる。
「福井さん、これ、確認いい?」
いつも通りの声。
でも——
ほんのわずかに、距離を取られている気がした。
「……はい」
福井は小さく頷く。
——気づかれてる?
胸の奥が、少しだけ痛む。
森は、それ以上何も言わなかった。
いつも通りに仕事をして、
いつも通りに席に戻る。
でも、その“いつも通り”が、
どこか少しだけ遠い。
午後。
給湯室で、福井はカップにコーヒーを注いでいた。
湯気が立ち上る。
その向こうに、人影。
「……あ」
「珍しいわね」
橘真由が軽く笑いながら入ってくる。
「お疲れ様です」
福井は少しだけ背筋を伸ばした。
一瞬、迷う。
でも——
「あの」
声をかける。
「森さんと……その……」
言葉が、少し詰まる。
「お付き合い、されてるんですか?」
一瞬の、間。
真由は、きょとんとしたあと——
ふっと笑った。
「なにそれ」
肩をすくめる。
「ただの飲み仲間よ」
あっさりとした声。
「……そうなんですね」
胸の奥が、すっと軽くなる。
「安心した?」
少しだけ意地悪な目。
「えっ、いや……!」
慌てる福井を見て、真由が小さく笑った。
「まあ、いいわ」
それ以上は何も言わない。
福井はコーヒーを手に、軽く頭を下げた。
「失礼します」
そのまま、給湯室を出ていく。
そして、入れ違いに入ってきたのは——
金田遥だった。
「何?今の空気」
メガネをクイっと上げてにやりと笑う。
「森くんの取り合い?」
「やーめーてーよ」
真由は、少しだけ大げさに顔をしかめる。
「そんなんじゃないって」
肩をすくめながら、コーヒーを入れる。
でも。
——あの子、ちゃんと好きなんだろうな。
福井の表情を思い出す。
——森くんは。
ふと、頭に浮かぶ。
軽く見えるくせに、
本当はちゃんと見ている人。
——ああいう人は。
ちゃんと、大切にしてくれる人と、
一緒になるべきよ。
——私じゃ幸せにしてあげられないから。
その考えは、あまりにも自然に、そこにあった。
真由は何も言わず、
ただ静かにカップを手に取った。
その後ろ姿を見送った遥は、
真由がいま一番大切にしているひとが、誰なのか。
なんとなく、分かっている気がしていた。
けれど、それを口にすることはしない。
まだ、踏み込むタイミングじゃない。
ただ——
いつか、私たちに話してくれる日が来たらいい。
そのときは、きっと…
背中を押すからね。
遥は何も言わず、マグカップにコーヒーを淹れる。
湯気が、ゆっくりと立ち上る。
それを一瞬だけ見つめてから、
静かにデスクへ戻った。




