「それぞれの空へ」
5月3週目。
ゴールデンウィークが終わったと思えば、あっという間に5月も中旬に差し掛かっていた。
空港。
人の流れに紛れながら、森海斗は手荷物のバッグを開いた。
中から取り出したのは、小さな御守り。
「何それ、御守り?」
横から、新田が覗き込む。
「なんだ、彼女からか?」
少し離れたところで、片山部長が軽い調子で声をかけた。
森は一瞬だけ視線を落としてから、答える。
「いえ……まぁ、大切に思ってる人からです」
その言葉に、それ以上の追及はなかった。
——先週の金曜日。
ゴールデンウィーク明けの慌ただしい午後。
珍しく、橘真由の方から声をかけてきた。
「ちょっといい?」
そう言って、給湯室へ向かう。
「この間のさ、なんで話してくれたの?」
あのときのことだと、すぐに分かった。
「……なんとなくっす」
いつもの軽さとは違う声で、森は真由の目をまっすぐ見て答えた。
その話をしたのは、彼女が初めてだった。
「そっか」
腕を組んでいた真由が、ゆっくりとそれを解く。
「ありがとう。大切な日に立ち会わせてくれて」
思ってもみなかった言葉に、森はわずかに目を見開いた。
「てゆーか、あんま思い詰めるんじゃないわよ」
少しだけ強い口調で続く。
「あんた、ちゃんと男前よ」
それが見た目のことじゃないのは、すぐに分かった。
「もっと気楽に生きたらいいのよ」
真由の声は、どこかまっすぐだった。
「他人にどうこう言われても、大切な人が信じてくれてたら——きっと心は守れるわ」
そう言って、ポケットから何かを取り出す。
「ほら」
差し出されたのは、小さな御守りだった。
「なんすか、これ」
受け取りながら、思わず聞く。
「毎年、自分に買ってるの。自分を守るために」
少しだけ肩をすくめて、
「森くんにあげるわ」
軽く言う。
受け取っていいのか、一瞬迷う。
それでも——
「……ありがとうございます」
自然と、そう口にしていた。
「じゃーね。海外出張、頑張んなさいよ」
いつもの調子で手を振って、真由は給湯室を出ていった。
——そういえば橘さんの、“結婚に縁がない”って話、聞けなかったな。
そんなことを思い出しながら、森は御守りをバッグに戻した。
搭乗ゲート前。
それぞれが静かに出発の時間を待っている。
席はバラバラに手配されていた。
新田は機内に入り、手荷物を棚に押し込むと、ゆっくりとシートに腰を下ろした。
窓の外には、よく晴れた空。
——ゴールデンウィーク。
自然と、白石のことを思い出す。
体調が悪そうだったあの日。
迷わず、自分の家に来ることを提案した。
付き合って間もないのに。
本当は、少しだけ迷いもあった。
でも、それよりも——
早く、休ませてあげたかった。
部屋は、もともと綺麗にしている方だ。
それでも、白石と付き合い始めてからは、どこか意識が変わった。
いつ来てもいいように。
ココアも、そのひとつだった。
自分は飲まないのに、彼女が好きそうだからと買っておいた。
——特別だな。
これまでとは、明らかに違う。
お祝いの“リクエスト”も、本当は口実だった。
それでも、白石は頬を染めながら応じてくれた。
嫌じゃ、なかっただろうか。
ふとそんな考えがよぎる。
でも——
あのときの表情は、違った。
むしろ。
思い出すだけで、胸の奥が少しだけ熱くなる。
「……いや」
小さく息を吐く。
——大切にするって決めただろ。
自分に言い聞かせるように、視線を落とした。
そのあとも、何度か会った。
送り迎えをして、無理をさせないようにして。
自分の家で映画を見て、他愛ない話をして。
隣に座らせて。
触れて。
キスをして。
——完全に、ハマってるな。
苦笑がこぼれる。
それでも、その感覚は嫌じゃなかった。
むしろ——
心地いいと思っている自分がいた。
「まもなく離陸いたします」
アナウンスが流れる。
シートベルトを締める音が、あちこちから聞こえる。
新田は、ゆっくりと目を閉じた。
——行ってきます。
誰に向けたわけでもない言葉を、心の中で呟く。
機体が、ゆっくりと動き出す。
やがて加速し、地面を離れた。
雲ひとつない空へと、飛行機は真っ直ぐに上がっていく。
それぞれの場所で、
それぞれの想いを抱えたまま。
また少しずつ、日々が動き出していく。




