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「契約内定もらいました」

4月も後半に差しかかり、オフィスの空気は少しずつ落ち着きを取り戻していた。


橘真由の部署でも、新入社員の岡山が電話を取る姿が増えてきた。最初は受話器を持つ手が震えていたのに、今では「お世話になっております」とはきはきとした声がフロアに響く。


その隣で、香川が少しだけ余裕のある表情で様子を見ていた。


「今の対応、良かったよ。メモもちゃんと取れてたし」


「ありがとうございます!」


岡山が嬉しそうに頷く。


少し離れた席では、三崎がその様子を見ながら、自分の仕事を進めていた。時折ふっと視線を向けては、必要なタイミングでさりげなく口を挟む。


一人で抱え込む形ではなく、みんなで少しずつ育てていくような空気ができていた。


――うまく、回り始めている。


そう感じたのは、真由だけではなかった。


「いい感じっスね。あっちの島とこっちの島、行き来できてますし」


森海斗がひょいと現れて、真由のデスクに肘をつく。


「瀬戸内海ネタ、まだ引っ張るの?」


真由が呆れたように笑う。

森とはよく飲みに行く仲になっており、このネタも話している。


「いやでも、最初の頃より全然いいっすよ。香川さんも顔つき変わってきたし」


「まぁね。ちゃんと考えながらやってるから、大丈夫よ」


そう言って真由はパソコンに視線を戻す。


森は少しだけ間を置いてから、ぽつりと続けた。


「俺、これからA社行ってきます」


その一言で、真由の手が止まる。


「……いよいよ?」


「はい。今日、正式に内定もらう予定っす」


「そっか」


真由はゆっくりと椅子に背を預けた。


「じゃあ、今日はちょっといい顔して帰ってきなさいよ」


「いつもいい顔してますけどね」


軽口を叩きながらも、森の目はどこか真剣だった。

真由に片手を上げて自部署に戻り、ホワイトボードに外出A社 戻り時間13時と記入する。


「A社行ってきます!戻り13時予定です!」

片山部長を筆頭に3人で出ていく。


「いってらっしゃい!」

残された部署のメンバーがこたえた。






午後13時を過ぎた頃。


帰社した片山部長と新田、そして森海斗の三人は、揃って社長室へと向かった。


フロアの空気が、少しだけ張り詰める。


白石はキーボードに手を置いたまま、無意識にその背中を目で追っていた。


——いよいよなんだ。


そう思うと、胸の奥が少しだけ落ち着かない。


どれくらい時間が経っただろうか。


三人が戻ってきたとき、フロアの空気がふっと緩んだ。


片山部長が軽く咳払いをする。


「A社の件だが——正式に契約内定をいただいた」


一瞬の静寂。


そして、次の瞬間。


ぱちぱちと拍手が広がった。


それは徐々に大きくなり、フロア全体を包み込む。


「おめでとうございます!」

「すごいですね!」


あちこちから声が上がる中、新田は少しだけ照れたように笑っていた。


その表情を見て、白石の胸がふわりと温かくなる。


——すごいな。


仕事をしている新田は、やっぱり少しだけ遠く感じる。


でも同時に、誇らしかった。



「田村さん、佐藤さん、14時から打ち合わせの予定だったが、早めて今からでも大丈夫か?」


片山部長の声で、フロアの空気が一度引き締まる。


会議室に呼ばれた二人に向けて、A社の今後の運用について説明が始めるようだ。


「正式に動き出す。事務側の運用も今日から詰めていく」


田村先輩と佐藤菜月が片山部長に連れられ会議室へ向かって行った。


新田は会議室に向かいがてら白石の席に寄る。


「二ヶ月後にA社主催の展示会があるんだ」


新田が資料をめくりながら続ける。


上市(じょうし)前の重要な場になる。うちの部署は他の営業だけじゃなく、事務のみんなにも参加してもらう予定だから…また公式に片山部長から通達あるし、詳しくはその時に」


そう言って新田も会議室へ颯爽と歩いて行った。


——きっと、新田にとっても大きな節目だ。


白石はそう感じながら新田の後ろ姿を見送った。



その日の帰り道。


白石はスマートフォンを手に取り、しばらく画面を見つめていた。


——おめでとう、って言いたい。


でも、職場ではもう伝えている。


それでも。


少しだけ迷ってから、文字を打ち始めた。


『今日はお疲れさまでした。

A社の契約内定、おめでとうございます。』


一度、指が止まる。


ほんの少しだけ、言葉を足す。


『今度、お祝いさせてください。』


送信ボタンを押すと、すぐに既読がついた。


それだけで、少しだけ胸が軽くなる。


仕事としての「おめでとう」と、


恋人としての「おめでとう」が、


まだうまく混ざらないまま、そこにあった。


それでも——


それが、今の自分たちの距離なんだと思った。 


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