「少しずつ、動き出す」
4月上旬。
一般職の事務員3人は本社の経理部、白石の部署、橘真由の部署のへそれぞれ配属されるという内示がでた。
午前中、白石の社内チャットに珍しく経理の佐倉からメッセージがきた。
『お疲れ様です。経理の佐倉です。
新入社員の教育係になりました。そちらの部署は白石さんが担当と伺って、教育係ついて、少しお話しを伺いたくお時間いただけませんか?』
経理部の教育係は入社4年目の佐倉に決まったようだ。
以前、何も生み出さない自部署の意義について悩んでいたが、金田遥の言葉に感銘を受け、どんどん先輩社員の仕事を吸収している。
森海斗の同期でもある。
白石は即レスだった。
『お疲れ様です!いいですよ!
今日11時からか、16時からなら時間取れます。
一度経験しているので、なんでも聞いてね!』
佐倉も即レス
『では16時からお願いします。
ブースB予約しました。
よろしくお願いします!』
会議室やブースなどの場所は予約制だ。
来客や社内打ち合わせで使うときに使用時間を想定して予め予約するルールである。
白石は、さすが遥の後輩。仕事が早いな。
と、感心しながら返信した。
16時。
ブースBには既に佐倉が、座っていた。
「よろしくお願いします。」
「よろしくね」
背筋を伸ばす佐倉に、白石が微笑みながら返す。
佐倉の手元には質問したいことをリスト化し印刷したものがあった。
白石の回答や自分のメモが書き込めるよう、余白も多く取ってあるのが見える。
佐倉のリストに一問一答し、20分ほどで一通りのやり取りが終わった。
「教育係のプログラム、スケジュールなど、部署は違えど共有できることは多いから、また他にも疑問点があれば何でも聞いてね。」
「お忙しい時間帯に、ありがとうございました。」
佐倉は頭を下げ、パタパタと自分の席に戻っていった。
熱心だな…
白石は3年前の自分もいろいろな人に相談しながら佐藤菜月の教育係をしていたことを思い出す。
デスクに戻ると、残った仕事を終わらせて、残業もほどほどに退勤した。
更衣室で上着を羽織り、オフィスを出る。
すると、一緒に新田も出てきた。
「ちょっとスカイロビーで話してもいいかな?」
突然だったので驚いたが、OKを出す。
オフィスのある16階からエレベーターで9階のスカイロビーに降りた。
スカイロビーはオフィスと同じくガラス張りで外の景色がよく見える。コンビニやコーヒーチェーン店、喫煙ルームに謎のオブジェやオシャレなデザインのベンチなどがあり、ベンチでは営業マンが電話をしていたり、休んでいる人もいた。
「こっちで話そう。」
新田は、謎のオブジェの裏に連れて行く。
人通りが少しだけ遠くなって、周りの声がぼんやりする。
新田は一度視線を落としてから、白石の方を見た。
「電話、なかなかできなくてごめん。待たせちゃったね。」
少しだけ申し訳なさそうな顔をしている。
「ううん、A社の案件で忙しいの知ってるから、気にしないで」
そう答えると、新田はほっとしたように小さく笑った。
「ありがとう。」
少しだけ間が空く。
そして、ネクタイを軽く触る。
何か言い出す前の、新田の癖の沈黙。
白石はその間が嫌いじゃなかった。
「白石さん、明後日の水曜日の定時後って…空いてるかな?」
思っていたよりも真っ直ぐな言い方で、少しだけ驚く。
「…空いています!」
自分でも少し早すぎる返事だと思ったけれど、もう遅い。
新田がふっと笑った。
「よかった。ちょうど晴れだし…待ち合わせ場所は後でメッセージで送っておくね。」
「うん、ありがとう。残業、無理しないでね」
白石が微笑みかけると、新田も同じように笑った。
それじゃ、と言って新田は足早にエレベーターの方へ戻っていく。
白石はその背中を少しだけ見送ってから、ゆっくり外に目を向けた。
綾子はしばらく外を眺めたまま、その場を動けなかった。
手紙の内容を、頭の中で何度もなぞる。
何回も読んで、もう覚えてしまうくらいだった。
手紙の最後の一文
『白石さんに見せたいものと、伝えたいことがあります。』
早く水曜日にならないかな。
ガラス越しの空がまだ明るくて、それだけで少し気持ちが浮いた。




