「集中できない」後編
片山部長との仕事の話を終え、通話を切る。
静かなビジネスホテルのロビー。
スーツ姿の人間が行き交う中、新田はスマートフォンを握ったまま、ほんの一瞬だけ息を吐いた。
部署の事務は4人。
4分の1。
その確率で、白石さんが出た。
それだけで、胸の奥がじんわり温かくなる自分に苦笑する。
(……俺、だいぶ重症だな)
バレンタインにもらったガトーショコラ。
あの日のうちにメッセージは送った。
「ありがとう」と「嬉しかった」は、どうしてもすぐに伝えたかった。
でも、食べた感想は文字では足りなかった。
翌日の日曜、電話をかけた。
「本当に美味しかった。
とても手作りとは思えないほど」
あのときの白石さんの、照れたような声。
思い出すだけで、頬が緩む。
ホワイトデーの近辺は、最初から出張で埋まっていると分かっていた。
だから先週末の出張で三重県に来たとき、空き時間に店をいくつも回った。
お菓子も考えた。無難だし、失敗もない。
でも、違う気がした。
ショーケースの中で、控えめに光るネックレスが目に留まった。
小さなパール。
派手じゃない。
でも、静かに品がある。
——白石さんみたいだ。
気づいたら、店員に声をかけていた。
柄にもなく、手紙も書いた。
何度も書き直して、便箋を二枚無駄にした。
電話でも、メッセージでもなく。
なんとなく、この方法で伝えたかった。
文字にすれば、自分も逃げられない気がしたから。
「白石さん、いつ読むんだろ……」
思わず小さくつぶやく。
だめだだめだ。
仕事だ。
新田はスマートフォンをポケットにしまい、
客先への経路を再確認する。
今は営業。
余計なことは考えるな。
それでも胸の奥は、どこか落ち着かなかった。
結局、白石綾子の昼休みはほとんどなかった。
ロッカーを開ける時間もないまま、
数字と電話と確認作業に追われる。
家に帰り、部屋着に着替え、ようやく紙袋をテーブルに置いた。
部屋は静か。
深呼吸をひとつ。
まず、手紙から。
封筒を開け、便箋を取り出す。
胸が、どくどくと鳴る。
丁寧な字。
一行目を読むだけで、もう鼓動が速い。
(……だめ、ちゃんと読もう)
最後まで読み終えたとき、指先が少し震えていた。
視線を落とし、小さな箱を手に取る。
ぱちん、と蓋を開ける。
「えっ……」
思わず声が漏れる。
小さなパールがついたネックレス。
控えめで、でも上品で。
灯りを受けて、静かに光っている。
——どうして、こんなに。
似合いそう、って思ってくれたんだろうか。
そう考えただけで、胸がぎゅっとなる。
ネックレスをそっと手に取り、鏡の前に立つ。
鎖を首にかける。
小さな白い粒が、鎖骨のあたりで揺れた。
鏡の中の自分が、少しだけ違って見える。
嬉しい。
でも、それ以上に。
手紙の最後の一文が、頭から離れない。
綾子はそっとネックレスに触れながら、
静かに息を吐いた。
スマートフォンが、テーブルの上で静かに光っている。
——連絡、する?
まだ、少しだけ勇気が足りなかった。




