「5年の付き合い」
二月下旬の、よく晴れた土曜日。
駅前のカフェレストランに先に着いていた橘真由は、入口のドアが開いた瞬間、盛大に吹き出した。
「……毎回思うけどさ」
店に入ってきた女性を見て言う。
「本当、誰だよ!」
長い髪はゆるく巻かれ、低めの位置でまとめられている。艶のあるメイクに、柔らかなベージュのコート。細いヒールが静かに床を鳴らす。
金田遥は、眉一つ動かさずに言った。
「失礼ね」
その後ろから入ってきた白石綾子も、思わず笑う。
「会社と違いすぎるでしょ」
会社ではノーメイク、黒縁眼鏡、ひとつ結び。無機質な経理部のデスクが似合う姿。
けれど今目の前にいるのは、間違いなく“美人”だった。
「素材がいいんだから会社でもメイクしなよー。みんなビックリするよ!」
真由がニヤニヤする。
「仕事中は必要ないだけよ」
遥は淡々とコートを脱ぐ。
「数字にメイクはいらない」
「出た、名言」
三人は笑い合いながら席についた。
毎年恒例、決算前の同期会。
——と言っても、三人は普段からよく集まっている。
三月は戦場になる。だからその前に、少しだけ息を整える。
新卒で本社に配属されてから、五年。
気づけばこの三人の関係も、五年になる。
料理を待つ間、真由がストローを回しながら言った。
「経理、もう忙しいでしょ?」
「来月が本番」
遥は水を一口飲む。
そして、言うか言わまいか少し迷ってから口を開いた。
「そういえばね、後輩が少し落ち込んでた」
白石が顔を上げる。
「うちの森くんと同期の子?」
「うん」
遥は静かに続ける。
「自分の仕事に意味があるのかわからないって」
エンジニアの友人が新しいサービスを作った話。
開発職の友人が世の中を変えるプロジェクトに関わっている話。
そのたびに、自分は何をしているんだろうと思ってしまうらしい。
「経理は、何も生み出していない気がするって」
白石は少しだけ視線を落とす。
事務の自分も、わからなくはない。
営業も製造も、何かを“作った”“取った”と目に見える。
経理は、整える仕事だ。
「それで、遥はなんて言ったの?」
真由が聞く。
遥はグラスの水面を一度見てから、静かに言った。
「経理は会社のインフラだって」
二人が静かに耳を傾ける。
「水道や電気やガスって、当たり前に使えてるときは何も思わないでしょう」
穏やかな声。
「でも止まったら困る」
その一言が、重く落ちる。
「今、会社の誰も困っていないなら、私たちの仕事には意味がある。誰も困らせない。それが役目だって言った」
真由が、ふっと息を吐く。
「……かっこよ」
「事実よ」
遥は表情を変えない。
「攻める部署は目立つ。でも、土台が崩れたら全部終わる。数字は地味だけど、会社の血流みたいなものだから」
白石の胸が、静かに震える。
血流。
止まれば、組織は死ぬ。
「その子、どうなったの?」
「翌日から普通に出社してる。質問も増えたし、顔も明るくなった」
ほんの少しだけ、遥の口元が柔らぐ。
「理解できれば、もっと見えてくるものがあるはずだから」
真由が遥をじっと見る。
「ほんとさ、あんた経理向いてるよね」
「向いてるというより、性格」
「うん、それ」
三人は笑う。
五年も一緒にいれば、相手の強さも弱さも知っている。
目立たなくてもいい。
止めないこと。守ること。
それが自分の仕事だと、遥は知っている。
「三月、地獄だね」
「ええ」
「でもまあ、インフラ止めないでね?」
真由が笑う。
遥は静かに頷いた。
「止めない。絶対に」
三つのグラスが触れ合う。
同期会の帰り道。
帰路が反対の遥と別れ、駅へ向かう途中、真由がふと思い出したように言った。
「そういえばさ」
隣を歩く綾子を横目で見る。
「今年は何も作らなかったね?」
綾子は一瞬だけ目を逸らす。
「……何の話?」
「バレンタインに決まってるじゃん」
今年のバレンタインは土曜日だった。会社は休み。
「まあ、土曜だったしね」
綾子は軽く笑う。
「へえ? じゃあ今年はゼロか〜?」
真由の声がにやける。
綾子は、ほんの少しだけ間を置いた。
「……一つだけ作ったよ」
「は?」
聞き返す間もなく、
「じゃあまた月曜にね! おやすみ!」
そう言って綾子は改札へ小走りで駆けていった。
(一つだけね…)
真由はにやりと口角を上げる。
五年の付き合いだ。
あの声色が“ゼロ”じゃないことくらい、すぐにわかる。
春は、もうすぐそこまで来ている。




