「今年はあなただけに作りました」後編
2月14日、土曜日。
夕方の駅前は、少しだけ人が多かった。
バレンタインのムードで、カップルや買い物帰りの人たちが行き交い、どこか浮き立った空気がある。
白石と新田は、駅近くの落ち着いた和食店で食事をする約束をしている。
待ち合わせ場所には新田が先に着いていた。
「お待たせしてすみません!!」
白石が小走りでかけてきた。
「いや、まだ待ち合わせ時間になってないし、俺も今来たところだから」
休みの日に2人で会うのは初めてだ。
「体調、もう大丈夫そうだね」
新田が言う。
「はい。すっかり元気です!」
白石は穏やかに笑った。
和食店は駅のすぐ近くのビルに入っている。
予約していたのですぐに入れた。
「コートこっちにかけようか?」
新田がいうと白石は「ありがとう」と頷きコートを脱いで渡す。
コートを受け取った新田が固まった。
いつもの仕事で来ている服とは違う。
一言でいうと可愛い。
「どうしました?」
白石が首をかしげると、
「いや…仕事の時と雰囲気違うから。
ちょっと……見惚れてました」
小さな声でもごもごと、口元を隠し頬を赤くする新田。
聞き取れなかった白石は不思議そうにしていたが、あまり気に留めなかった。
注文を済ませ、そこからは、仕事の話。
先日の同期の話。
趣味の話や休みの日に何をするか。
取り立てて特別な話はしない。
けれど会話は途切れず、心地よいテンポで続く。
食事の場はすぐに時間が過ぎ去った。
帰路につき駅の改札が見えてきた。
「あ、ここで」
白石が立ち止まる。
「今日はありがとうございました」
「いえ。こちらこそ」
少しだけ沈黙。
だが気まずさはない。
「また…来週から忙しくなりますね」
「ですね」
小さく笑い合う。
それだけだった。
白石は軽く会釈し、改札の方へ歩き出す。
新田はその背中を見送った。
——何も、なかったな。
心の中で苦笑する。
期待していたわけじゃない。
バレンタインだからといって、何かあると思っていたわけでもない。
それでも。
今日、こうして二人で食事に行けただけで十分だと思う。
静かな満足感が、胸の奥に残っていた。
新田は踵を返し、帰路へ向かう。
数十メートル歩いたところで——
「新田くん…!」
後ろから声がした。
振り返る。
少しだけ息を上げた白石が、こちらへ歩いてくる。
さっき別れたばかりのはずなのに。
「……どうしました」
白石は数歩の距離まで来ると、
小さく息を整えてから言った。
「これ」
差し出されたのは、
小さな白い箱が入った紙袋。
「今日、渡そうと思ってて」
それだけ。
説明も、前置きもない。
新田は一瞬言葉を失い、
それからゆっくり受け取った。
「……ありがとうございます」
白石はいつもの表情のまま、
ほんの少しだけ微笑む。
「それじゃ」
軽く会釈し、今度こそ改札の方へ歩いていく。
その背中を、新田はしばらく見ていた。
手の中の紙袋は、
思っていたよりも軽く、そして温かい気がした。
帰宅後。
コートを脱ぎ、
テーブルの上に紙袋を置く。
しばらく見つめてから、
ゆっくり中を取り出した。
小さな箱。
シンプルで、飾り気はない。
開ける。
カカオの匂いがふわっと広がった。
中には、手のひらサイズのガトーショコラが入っていた。白い粉砂糖が丁寧にまぶしてあり、とても手作りとは思えなかった。
店で買ったものではないと、すぐわかった。
新田の指が止まった。
——小さなホールケーキ…一人分だ。
部署の全員に配るために作れるものではない。
明らかに、個人に渡すための箱。
静かに箱を閉じる。
胸の奥が、
ゆっくりと満ちていく。
新田は小さく息を吐き、
口元を手で隠した。
翌週、月曜。
昼過ぎのオフィス。
森が椅子を回しながら、新田に言う。
「今年はチョコなしっすね〜
土曜日でしたもんね」
「……」
新田はモニターを見たまま、
数秒沈黙してから答えた。
「俺はもらったよ」
森の動きが止まる。
「……え?」
ゆっくり振り向く。
「え?え?え?
ちょ、誰から!?」
そのとき。
後ろから軽い声。
「はい義理チョコー」
橘真由が、小さな市販チョコを森のデスクに置いた。
「え!?俺義理っすか!?」
「義理以外あると思った?」
「いやちょっとは!?」
森が騒ぐ横で、
新田は何も言わずキーボードを打つ。
だが口元には、
ほんのわずかに笑みが浮かんでいた。




