75.帰り道
桜野家への帰り道。巨狼ヒロシの背中にまたがったブロードとミリア。ミリアはブロードの背中にからだを預けるのだった。
ビルや街灯の光を後にして、ブロードとミリアを乗せた巨狼は、札幌の町を高速で走り抜けた。ビルの天井からビルの天井へ。大通りから小道へ。むかし牧場で馬に乗ったことはあるが、こんな動物の背中に乗るのは、もちろんミリアにとって初めての経験だった。
「振り落とされないでね、ミリア」
その背に乗る前にブロードは言った。その巨大な体つきに恐怖感もないわけではなかったが、ヒロシの優しげなまなざしと、クンクン匂いを嗅いでは長く大きな舌で頬を舐めてきた親しげな態度に、ミリアは気を許した。強面の重吾に一際なついているというのも面白かった。
「この子って、どこからきたの?」
「僕も詳しくは分からない。ただ召喚獣としての契約をして、僕の知らないどこかから呼び出されていることは確かだ」
「あなたってあなたが言っていた通り魔術師だったのね」
「そうだ」ブロードの端正な面持ちが、優しさを帯びた。「君は信じていてくれた。僕はうれしかった」
「だってあなたの言うことだもん」
ブロードは、ヒロシの背に飛び乗ると、ミリアに向かって片手を差し出した。ミリアはブロードの手をとって同じく飛び乗った。もともと騎乗に適した動物ではないため不安定だった。ミリアはバイクの後部座席に乗った時そうするように運転者(と言うのは不適切な表現だが)の背中に腰を回した。
「ヒロシー! ブロードとミリアさんを振り落とすんじゃねえぞ!」
重吾は、高らかな声を上げマシンを出発させた。総司は何も言わずに通り過ぎていったが、バイクのハンドルを握るその横顔には、確かにほほえみが浮かんでいた。
家までの道はあっという間だった。瞬きしている間に終わったと言っても過言ではなかった。家の横を流れる川が見えてきた。
――ずっとこうしていたいのに。
ミリアは体をブロードの広い背中に預けた。目を閉じると、火鼠のマントを通してその鼓動が伝わってくる。
魔術師だというブロードの話が本当だとすれば、異世界にあるアラバード国から来たと言う話も真実味を帯びてくる。あれからその話はしていないから、アラバード国がどのようなところなのか想像もできないけど、きっとすばらしい場所なのだろう――だって彼が育った場所なのだから。
「ミリア?」
どこかうわずった声でブロードが尋ねた。
「着くまでこうしててもいい?」
「君がよければ」
ブロードの背中からトクトクと早鐘を打つ鼓動が聞こえてきた。ミリアはその音を愛しいと思うのだった。
*****
塀の上で眠っていた猫のギリアンは、突如現れた巨大な狼に警戒感を露わにした。背中を丸め、牙を見せ、戦闘体制をとった。
「ギリアン、安心してこの子はいい子だから」
ヒロシの背から降りたミリアは、自宅の塀の上でおびえ切っている愛猫をなだめた。その手はヒロシの首元をなでてやっていた。
一方ヒロシはと言うと、ギリアンに興味津々な様子で、鼻をくんくんきかせて、夜の匂いとギリアンの匂いとをかぎとっていた。
「ギリアン、落ち着け。名前の主に似て怖がりなやつだ」
「名前のモデルがいるの?」
「僕の兄だ」
ギリアンはくるりと背を向けると家の方に飛び出していってしまった。見ている間に屋根を駆け上がり、ベランダの窓から家の中に入っていった。
「気を悪くしないでねヒロシ。ギリアンも悪気はないと思うから」
ミリアに撫でられて、ヒロシはゴロゴロと喉を鳴らした。
「あなた、なんだか猫みたいね」
そうこうしているうちに総司と重吾のバイクが姿を現した。
「お前らまだ家ん中入ってねえのかよ」
脱いだヘルメットを小脇にかかえ、総司がバイクを降りた。
「俺までお邪魔していいんですかね」
重吾が頭をぽりぽりとかいた。
「いいのよ、休んでいって。あなたも大変だったでしょうから。おいしいコーヒーをご馳走するわ」
「あぁ、お優しい。本当ミリアさんは天使だ」
ヒロシの舌が、重吾の後頭部をべろりとなめまわす。食料と思っていないだろうか? 一抹の不安が過ぎるブロードであった。
呼び出し音が注意を引き、ブロードは数時間ぶりにスマートフォンの存在を意識した。画面を見たブロードは無数の着信履歴とメッセージアプリの通知とメール到着数に驚愕させられることとなった。画面の日時に目を向けた。
――そうか、すっかり頭から抜けてしまっていた。
間もなく日付が変わる。
とても大事な瞬間を逃してしまうところだった。
幸いにも、仲間たちの準備はできているようだ。
「なかに入ろう。僕もコーヒーが飲みたくなってきた」
ブロードは言った。
無数の着信履歴とアプリの通知――仲間からだ。日付が変わる。とてもすばらしい瞬間がやってくる。




