64.札幌の空
いよいよ凍結マナの解除方法を知り、魔術を取り戻したブロード。空を飛び、札幌の街を見下ろした。
フィリックスとサフィーに別れを告げ、ブロードはカフェを出た。帰りのタクシーはもう必要なかった。
カフェのドアを開けた時点ではブロードはまだ無能力者だった。しかし、カフェから出てきた瞬間、彼は魔術師に戻っていたのだから。
感情のほとばしりを、ブロードはよく知っていた。
ミリアの横顔を思い浮かべる。それだけでいい。心が熱を帯びる。その熱がマナに作用する。凍結せしマナ、目覚めよ、と。
マナが体に流れ込んできた。久しぶりの感覚。精霊が――火の精が、風の精が、ブロードの周りをダンスするように飛び回っていた。
懐かしきわが友、精霊。
ブロードは自らの体を浮かせた。地面から足が離れ、ブロードの体は垂直に上昇していった。大通りのテレビ塔よりも高く、札幌駅の展望台よりも高く、ブロードは空に舞い上がった。空は晴れ、暗幕を背景に何億ものダイヤモンドが輝いていた。ティーシャツのむき出しの腕には寒すぎるぐらいの風が吹きつけてきた。
札幌の街を見下ろした。札幌駅からすすきの駅にかけて広がる、燃えるようなネオンや建物の明かり。輝きに縁取られて浮かび上がる碁盤の目状の街。視界の隅々にまで広がる家々の明かり。そうか札幌よ、これが本当の君の姿だったんだな。
その時だった。
脳裏に女の悲鳴が響きわたった。
間違いなくミリアの声だった。
恐怖の悲鳴。
ミリアに何かが起きたのだ。
家の方角に視線を定めると、ブロードはジェットのごとく飛び出した。闇を裂いて、ネオンの明かりをかいくぐる。繁華街のきらめきから遠ざかり、眠りの準備をはじめようとしている川沿いの住宅地へと降り、部屋の窓からミリアの部屋へと入った。
中は荒らされていた。棚の引き出しもクローゼットの中身も床に散らかされていた。ただの争いの後ではない。そこには強い悪意がわだかまっていた。
ふと、窓の外で赤い光が明滅しているのが見えた。すると、一台バイクが家の前に停まった。乗り手は、バイクから降りるなりコンクリートの地面に倒れ伏した。
急いで駆けつけると、そこにいたのは重吾だった。腫れ上がった額からは血が流れ、顔のいたる所が紫色に変色していた。
「どうした、重吾!」
「ミリアさんが……」
巨体を揺さぶると、か細い声で話し始めた。
「ミリアがどうした、何があった!」
「遅かった。やつらがミリアさんが奴らに連れ去られた……」
「奴らって誰だ。ミリアをどこに連れていった」
「鷲胴豪だよ。あいつが……ミリアさんを倉庫街に連れ去ったんだ……。俺と総司が襲われて……ミリアさんのために俺は隙を見て逃げ出したんだが……ちくしょう」
「倉庫街だな? 重吾、すまないが案内してくれ」
「おめえ、戦えるのか? 望むところなんだが、ちょっとだけでいいから時間をくれ。体がメチャクチャ痛えんだ。息を吸うだけでつれえ」
「傷なら治している」
「えっ?」
重吾は額をさわり、そこに腫れがないことを知った。出血が治っていることも知った。手のひらがすベすべした感触を覚えたのに驚いている様子だった。
「肋骨も折れてねえ? 何があったんだコレ? ブロードが治したの? お前は魔法使いか何かかよ?」
「すまないが説明している時間がない。重吾、頼む。案内してくれ」
「おうよ! なんか知らねえが、重吾さま復活だぜ。ブロード、俺の後ろに乗りな。全速力でブッ飛ばすぜ」
重吾はマシンの運転席に座り、その後ろに、ブロードが座って重吾の腰に手を回した。
「ヘルメットはしないのか」
「出鼻をくじくなよ。今かぶるって」重吾は振り向いてわっと声を上げた。「ってか、なんだそのマントお前」
ブロードのティーシャツの体を、赤色のマントが覆っていた。これこそまぎれもなく火鼠のマントだ。
「めちゃくちゃ暑そうだけどいいのかそれ⁉︎」
「後で説明する。まあ、ライダージャケットみたいなものだと思ってくれ」
「まあいいや。似合ってんじゃん、それ!」
重吾のマシンのエンジンが火を吹く。
「じゃあ倉庫に向かって行くぜ。ブロード、振り落とされんなよっ!」
鋼鉄の馬が怒り狂ったようなうなり声を上げる。二つの車輪を高速で回転させ、アスファルトの地面をすべりだした。
ブロードはミリアの危機を知る。重吾のバイクが轟音を上げた。




