62.窮地
隠れていたクローゼットのドアを、男に開けられたミリア。絶体絶命の窮地に陥る――。
男はクローゼットに掛かっているたくさんの洋服を目にしたに違いない。積み上げられた段ボールを目にしたに違いない。だが、その影に隠れているミリアのことは見えていなかった。
男の手はハンガーに掛かっている洋服を探る。引っ張り出して、部屋の中に投げた。ウインドブレーカーもダウンジャケットも、スプリングコートもみんな無惨にフローリングの床に捨て置かれた。
男の鋭い眼差しがクローゼットの中を見渡す。男の目から己をさえぎるものがすっかり姿を消した。絶望感と恐怖と不安とが、ミリアの心を壊さんばかりに震わせる。
「ここにはいないな」部屋をあさっていた男が言った。「外に出てるのかも」
「となりを調べるぞ」
二人がミリアに背を向けた。
ミリアは胸を撫で下ろした。
良かった。
見つからなかった。
ひとまず安心だ。
安心は油断とよく似ている。
わずかに身じろぎした。そのわずかな肘の動きが段ボールの空き箱を押しやり、さらにはその上に積まれていた空箱を押しやった。
再び絶望感がミリアを襲った。それは蒸気のようにあっという間にミリアの体を包み込んだ。
隙間越しに、二人の男と目が合った。
「おい」
奥にいた男が、手前にいた男を殴りつけた。
「おめえの目は節穴かよこの野郎、バカが」
「見えなかったんだよ!」
「言い訳はいいんだよ」
奥にいた男はもう一発殴った。鼻穴から垂れた血が顔を真っ赤にする。
「桜野ミリアだな」
殴った方の男がたずねた。ミリアは答えなかった。喉がひきしまって声が出なかったのである。
「俺たちと来い」
ドアが開き、男の手がミリアの手首をつかんだ。男の五本の指はミリアの細い手首をキリキリと握りしめる。喉の奥から小さな悲鳴が上がった。
「いや、やめて!」
ようやくふりしぼった声はか細いものだった。弱気さが相手の嗜虐心を呼び起こすことを、ミリアは経験的に知っていた。むしろ大声を返すべきだったのだろう。でもどうしようもなかった。
「痛えっ!」
急に男が手をはなした。男の見開かれた目がミリアに向けられている。ミリアもなにが起きたのか分からなかった。男の手のひらが真っ赤になっているのだけは見てとれた。その場にブロードがいたのならこう分析しただろう――マナをぶつけて、痛みを負わせたのだと。
「何があった」
もう一人の男がたずねた。
「何でもない。静電気だろう」
男達は今度こそミリアをクローゼットから引っ張り出すと、後ろに回したミリアの両手に手錠をかけた。かチャリと絶望的な音がした瞬間、ミリアは囚われの身になった。
――ブロードくん!
絶体絶命の境地で脳裏に浮かぶのは、ブロードの姿だった。怒れる暴走族の総長――実の弟の総司に果敢に立ち向かっていった時の勇姿。彼なら自分を助けてくれるという確信があった。
――ブロードくん助けて!
ミリアは心中で叫び声をあげた。
ミリアの腹を衝撃が襲った。男が拳を叩き込んできたのだ。痛みが全身を駆け抜けると同時に、ミリアの意識は暗黒のなかに落ちた。
ミリアは、鷲胴の部下に囚われてしまう。彼女はどうなってしまうのか。ブロードは……。




