41.近づく
ミリアの弟・総司に殴られ、気絶したブロードが目覚めたのはミリアの膝の上だった。
くずれゆく意識のさなか、夢を見た。夢の中でブロードは、さきほどの総司と同程度の剣幕で、ギリアンに食ってかかっていった。これは記憶の再現だ――六年前の記憶。
『学院を退学するなんて嘘だろ、ギリアン! なんでだよ!』
『分かるだろ? 僕には冠位を取れるだけの才能がなかったんだ。卒業はあきらめて働くことにするよ。冠位はなくても、魔術師見習いとしては、最高階梯にはある。就職先には困らないさ』
『二人して、すごい魔術師になるって言ってたのは嘘だったのかよ! お願いだよギリアン、退学は撤回してくれよ!』
ブロードはギリアンに追いすがった。ギリアンの考えを変えさせようと必死だった。ブロードは、ギリアンを手で突き返した。
『お前には、お前みたいな天才には、僕の苦悩はわからないさ』
ギリアンは笑った。卑屈で弱々しい笑みだった。
その時にブロードの中での尊敬の対象としてのギリアンが、死を迎えた。
もう分かったよ。ギリアンは夢をあきらめればいい。その代わり、僕はなってやる。ギリアンがなりたかった一角の人物に。アラバードの再来とたたえられるような魔術師に。
――それからギリアンとは反発しあうようになった。
「ミリア?」
両目を開けたときに、顔のすぐそばにミリアがいたので驚いた。
夢から覚めたばかりなので、果たしてどちらなのか(つまりアラバードのミリアか、凍結世界のミリアか)判別がつかなかった。
「よかった。気づいた。大丈夫、痛くない?」
ミリアはブロードの髪にふれた。赤子をあやすように。自分がミリアのむき出しの両膝に頭をのせられていることに気がつくまでそう時間はかからなかった。柔らかく温かかった。なぜだかドキドキする。そういえば、女性とこんなに密接するのは初めてだった。
「痛くない」
ブロードは凍結世界語で答えた。
「そう……よかった」
「総司は?」
この場から、その姿はいなくなっていた。
「知らない。あんなやつ。どうせ友達のところだと思う。もうしばらく帰ってこないだろうから安心して」
初めて誰かから殴られた。実践を交えた魔術の訓練は、今まで何度もしてきたが、そこで傷つけられたことは一度もなかった。その前に勝ってしまっていたからだ。戦場で人を殺したこともある――肉体的に傷つくってこういうことなんだな。痛い。悔しい。痛みを生んだ原因となったやつが憎たらしくもなる。
「ミリア」
「なあに、ブロードくん?」
ミリアに質問をしようとして言葉に窮した。たずねたいことがあるのに、それをたずねるだけの凍結世界語のボキャブラリーがない。
ずっと聞きたかったことだ。
――ミリア、君はどうやって凍結したマナを使用しているんだい?
実を言うと、さきほどもミリアはマナを動かした。
マナを使って総司の拳の動作をにぶらせた。総司の膂力はなかなかのものだ。ミリアの力がなかったらただの気絶じゃすまなかったかもしれない。以前車に轢かれそうになったときに続いて、またミリアに助けられたのだ。
――ミリア、君はどうやって凍結したマナを使用しているんだい?
「ブロードくん?」
ブロードは質問をあきらめ、唇を閉じた。
この近接距離で改めて見てみると、こちらの世界のミリアは、向こうの世界のミリアとまったくといっていいくらい同じだった。肩まである髪の長さも、猫を思わせる目つきもみんな一緒だ。遠くへだてられた異世界にいて、幼馴染と同じ名前を持った少女。二度にわたる邂逅。考えれば考えるほど不思議な偶然だ。
「もう、見つめ過ぎだって、ブロードくん」
ミリアは顔を赤らめた。
それを見ていると、ブロードも頬のあたりが熱を帯びてきた。ミリアの熱が移ったみたいだ。まるで金属から金属に熱が伝播するみたいに。
ミリアとブロードの視線が、絡み合う。吐息が近くに感じられる。心臓の鼓動が高鳴り、それが自分の発する音なのか、相手の発する音なのか分からなくなったとき、唇と唇がその距離を縮めた。
その瞬間。ピンポンベルが鳴ったので、二人の動きは、電源を失った機械のようにぴたりと止まった。
「お客さんだ。出ないと」
ミリアは、言い訳がましくそう話すと、赤らめた顔のまま、玄関へと走っていった。
恋に落ちかけた、とブロードは思った。あのまま口づけしていたらどうなっただろう?
――きっと悲しくなったと思う。
ミリアの顔は、ミリアを思い出させるから。
あやうくキスしかけたブロードとミリア。二人の関係に微妙な変化が……!?




