31.猫のほどこし
空腹をかかえながら、ブロードは過ごしていた。目を見張るものばかりある世界だが、このままでは命に関わってくる。そんなとき、一匹の猫がブロードの目の前に現れた。
翌朝、ブロードはキャンプ地にしていた緑地(ごくわずかな緑地だった)で目覚めた。この町は朝方急速に冷え込む。幸いにも火鼠のマントは寒さから身を守ってくれた。マナが使えなくても、火鼠の毛皮はまぎれもなく役立った。
遠くまで行った。市街地から離れたところに何があるのか見定める必要があると思ったのだ。
どこまでも灰色の道が続いていたが、市街地を少し離れると、雄大な自然が広がっていた。山があり、川があった。熊と思しき巨獣が川のほとりを歩いているのを見た。途中道外れで野いちごが生えていたので摘んで食べた(ただ、美味しいものではなかった)。
灰色の道に沿って歩けばどこまで行っても小さな町があり、畑があった。人の痕跡があった。そして車が行き交っていた。あまりに同じような風景が続くうえに、そこにいる平民から面白い話を引き出せそうにもなかったので、退屈になってその日に引き返した。
自然のある場所に行けばマナはあるかと思ったが、期待はずれだった。マナは凍結したまま、ガンとして動かず、ブロードの要請に応えてくれなかった。
とにかく、飲水の確保はできた。
驚いたことに、街中に水道が整備されていたのだ。たどり着いたのは、異様に縦に長い公園。その公園のいたる場所に、水道の蛇口がもうけられていた。はじめは戸惑っていたブロードだったが、他の人間が水を飲むのを真似してみたところ、水にありつくことができた。
困ったのはシモの問題だが、それも同じ公園内にそうした施設が無償で解放されているのを知り、ブロードは感激した。用を足した後は、水流がながれて洗浄していったので、驚きの声をあげそうになった。とても潤沢に水のある世界なのだ。
三日目。最初の野営地に戻った。空腹は限界だった。通貨を得ようと奮闘した。しかし、どうすればいいかは分からなかった。
手っ取り早いのは女子供から盗むことだ。
そうすれば、腕力に自信のないブロードでもことを成しとげることができる。だが、そんなことはレッドマイア家の誇りが許さない。異世界といえど、家名を汚すようなことをしてはならない。これはブロードの信念であった。
よろよろと起き上がり、水を飲んだ。顔を洗い、開けた場所に出ると、生き物の鳴き声がした。
ニャーン。猫だ。動物は、カラスか犬か熊しかいないと思われた凍結世界にも猫はいるのだ。灰色一色で、痩せ型だった。口に小鳥をくわえていた。これから食事にありつこうというわけだ。
猫は狩りの名手だ。もしブロードに狩りの技術があれば食うのに困らなかったかもしれない。馬丁で猟師をしていたランディを思い出す。彼ならこの世界も生き延びられたかもしれない。得意の魔術を奪われた自分は惨めなものだ。どうしようもない無能力者だ。
その後、金のリングを交換しようと歩き回ったが、どこにも目ぼしい店はなかった。歩いているうちに空腹と疲労がたたって行き倒れそうになった。だが、あまりウロウロしていると、あの見回り兵どもに捕まる危険もあった。
四日目。猫の鳴き声に起こされた。目覚めると、猫はブロードの胸に乗っかり、顔をのぞき込んでいた。満月のように黄色い瞳には、ブロードの頬こけた姿が映っていた。灰色の猫。昨日見かけた猫だ。
「何の用だ。無礼者め」
ブロードはこの日落ち込んでいた。こともあろうに金のリングを落としてしまったのだ。道路の途中にある金属の格子の隙間だ。そこには汚く臭い川が流れ、リングはどこか地下世界へと洗い流されてしまった。
金になりそうな指輪はまだある。火の精霊の力を宿した指輪。母からもらった魔除けの指輪。治癒術の効果を上げる白い鉱石の指輪。台座はいずれも純金、一部宝石も使われている。だが、これら家宝を手放すくらいならば、死んだほうがマシだ――レッドマイアの家名にかけて。
灰色の猫は俊敏な動きで草むらから抜け出すと、首を回してブロードに目を合わせにゃあと鳴いた。
「どうしたんだ? なにかあるのか」
猫はまた再びにゃあと鳴く。
「付いてこいと云うのか? 猫ごときが僕を呼びつけて」
ブロードは重い体を持ち上げると、猫の後ろをついて歩いた。猫は立ち止まった。すると、そこに手のひら大の紙箱が落ちていた。
「――これは?」
空腹で倒れているブロードの元に現れた一匹の猫。猫が指し示した紙箱のなかみとは……?




