10.令嬢
ブロードの前に現れたのは一台の馬車。そしてその中にいたのはひとりのかれんな女性だった。
学院前の街道脇にブロードは立っていた。王都からはじまって学院前をよこぎり、そしてブロードの故郷へといたる古い街道だ。地面に敷かれたタイルは年季を帯びている。並木のイチョウは青々としていて、これからの季節への期待に満ちているかのようだ。葉の間で精霊たちが遊び、追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたりしている。季節は春から夏に移ろうとしていた。
ほどなく、王都方面から一台の馬車が近づいてきた。二頭立ての四輪馬車で、車体の屋根や側面にはよく磨かれた黒檀があしらわれている。馬はどちらも葦毛で、立派な体格をしていた。
馬車を目にした時のブロードの顔を、クラスメイトが目にしたら驚愕したに違いない。眉尻を下げ、口角を上げ、まるで締まりのない顔つきをしていたのだから。巨大な幻獣を意のままに操り、蛮族を目の前にしても顔色ひとつ変えないあいつはどこに行った? 彼らは、もしかしたら本人だとは気づかずに通り過ぎてしまうかもしれない。
馬車は、ブロードの目の前で動きを止めた。初老の馬丁が運転席から降りてきて、ブロードのためにドアを引いた。ブロードは乗り込んで、車の中にいた先客にうやうやしく一礼した。
「ミリア」
クッション素材のしつらわれた座席の上に女性が一人腰掛けていた。その女性がブロードに笑いかけた。向日葵、鬱金香、紫陽花、雛菊、薔薇――座席の上で、百もの花びらが一斉に花開いたかのようにブロードは幻視した。
「いつまでそこに立っているの? ランディを困らせているわ。ねえ、早く席に着きなさい」
ランディとかいう馬丁など困らせておけばいいのだ、小憎たらしい反論を飲み込んで、ブロードはミリアの言う通りにした。
「ミリア、ミリア。今日は一段とうるわしい」
ミリアの対面に座ると、彼女の手を取り指先にキスをした。
「ありがとう」
ほほえみが浮かぶ。また百もの花びらが咲いた。後ろでドアを閉める音が響き、それから間もなくランディが馬車を走らせた。
きょうのミリアは、すみれ色のシルクのドレス、スカートにはフリルがついている。普段の王立魔法研究所の制服である重厚なローブ姿も美しいのだが、ドレスはミリアをより完璧に見せる。肩まである透き通るような髪は、緑柱石をはめ込んだカチューシャでまとめ上げている。
「国境での話は聞いたわ。活躍したそうじゃない。また王様から表彰を受けたんですって。まあ、その鳥かごのハトは王家のものね」
「耳が早いですね。その通りです。まあ、僕は大したことをしたつもりはないのですが、いつもこのように大事になってしまうんです」
そういいながらブロードは、かごの中のハトをみた。ハトはポッポーと鳴いた。
「謙遜するのね。国境の街を救ったんですもの。誇っていいわ」
「救ってはいません」
「どういうことかしら」
「その、手遅れでした。僕がかけつけたときにはすでに時は遅かったのです。村人の死体を蛮族は山と積み上げているところでした」
「なんていうこと。ああ、国祖様。お見守りください……」
ミリアは、にぎった右手を左手で包み込んだ。信心深いアラバード信奉者の魔術師がよくやる動作だ。
「気の毒ではありますが、教訓もありました」とブロードは言った。「弱くては生きていられないということです。蛮族の襲来を予期するだけの知恵を彼らは持ち、魔法が使えないのなら剣術や弓術を学び戦闘能力をきたえておくべきだったのです。それなら死ぬことはなかった。強くなくては、生きている資格がないのです」
「まあ。弱いものは死んで当然ということ?」
ミリアは眉根をよせた。
「それは直接的な表現ですが、まあその、同意できるところではあります」
「そう思うのね」
ミリアはため息をついた。
ミリアと再会を果たすブロード。浮かれている彼は、ミリアとの食い違いに気が付かない……。




