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#3

 同じ頃、昼食を済ませていた神永(かみなが) 由佳(ゆいか)はスマートフォンの画面を見ながら全面硝子(ガラス)張りの喫煙所で煙草(タバコ)()かしていた。


「珍しいわね……指名制の依頼だなんて」


 ふーっと口から煙を吐き出す。

 指名の依頼はごく(まれ)なのだ。

 自分が指名されたからには行くしかない。

 そう思ったやさきだった。


「神永。ここにいたのか」


 組織内の誰かに声をかけられたような気がした。

 彼女は視線を感じ、スマートフォンの画面からその声の(ぬし)に焦点を合わせる。

 煙草を吹かしながら優雅に一礼する由佳。

 喫煙所(そこ)に入ってきたのは彼女の同僚の先輩にあたる鳴上(なるかみ) 海斗(かいと)


「すみません。鳴上さん」


 彼女は煙草の火を始末している中、彼は由佳の(となり)に立つ。


「謝罪はいらない。さっき、執務室に行ったら、おまえの秘書が「喫煙所にいるはず」って言われたからさ……そろそろ会合の会場に行くから支度(したく)を始めろ」

「はい。鳴上さんはピアスは外されたのですね?」

「会合の度にピアスはダメだろうと秘書から言われてな……透明ピアスで対応してる。神永って(あか)い口紅を持ってたんだな?」


 鳴上はすでにピアスを透明のものに切り替えていた。

 彼の耳や口元に開いているピアスホールが多いせいか透明ピアスが入っていないところが目立っている。


 彼女も昼食を()るついでに黒口紅(くろリップ)は落とし、化粧室で普段は使用しない紅い口紅を塗ってきた。

 Yシャツの襟を正し、胸元の刺青(タトゥー)はボタンを閉めて対応している。


「ええ。私も胸元を出すことや黒い口紅はやめなさいと。普段は使う機会がないのですが、紅い口紅を準備しておいて良かったです」

流石(さすが)に胸元も隠してるようだけど、キチンとした模範生(もはんせい)みたいで……」

貴方(あなた)こそ人のこと言えませんわ」

「まあ、そうだな。じゃあ、俺は玄関で待ってるから」

「分かりました」


 由佳は鳴上と別れ、喫煙所の壁時計を見る。

 只今(ただいま)の時刻は十三時三十分を少し回ったくらい。


 本日の会合は十五時から。

 会場が彼女らがいるビルから遠く、移動距離が長い。

 遅刻しないよう、ゆとりを持って移動するため、ゆっくりしている時間がないのだ。


(たと)え、指名が私だけであっても敵の人数はどうあれ、徹底的に()らなければならないわね」


 喫煙所の扉を開け、執務室に戻る途中、彼女の紅黒い()には狂気が宿る。


 その瞳には光などは入っていない。


 真っ黒に染まった漆黒の瞳には誰もいない廊下を静かに捉えていた。



 †



「はぅっ! 急がなければ!」


 我に返った由佳は急ぎ足で執務室に戻り、会合後すぐに現場に入れるよう、武器を準備する。


 彼女が事前に《・・》護身用として忍ばせておいた黒手袋と刃渡りが長い折り畳み式のナイフや医療用メス。

 敵の人数は不明なので、護身用の武器だけだとおそらく足りなくなるだろうと思い、予備として数本ずつ用意した。


貴女(あなた)、定時で上がりなさい」

「な、何かあったのですか?」

「会合後に急遽(きゅうきょ)現場へ行かなければならないご用ができてしまったわ。ご用があったとしても構成員たちが書類を提出する程度だろうと思うけれど、戸締まりしてから上がるのよ」

「承知しました。お疲れ様です。道中(どうちゅう)お気を付けて」

「貴女もね」


 支度と秘書との会話を終え、椅子のS字フックにかけておいた鞄を()げ、由佳は玄関で鳴上を待つ。


「俺より早かったな」


 彼は車の窓を開け、彼女に声をかけた。

 ゆっくり徐行し、静かに止めると、外に出てくる。


「ええ。事前に準備していましたので、早めにこちらに来られました」


 由佳がこういうと車の助手席のドアを開けて待っている鳴上は「そうか」と答えた。

 そして、続ける――


「……せっかく車の中をあたためておいたのに冷えてしまう。早く乗れ」

「はい」


 ようやく彼女は車の中に乗り込み、ドアが閉められた。


 気になる会合の様子は後ほど簡単に――


 現時点では空はまだ明るい三月の昼間ではあるが、十八時までには暗くなり、気温も下がっていく。


 今宵(こよい)、会合後に依頼をこなそうとしている由佳は静かに車窓(しゃそう)を眺めていた。



 †



 執務を終え、自室に戻ってきた来栖はスマートフォンの画面を見る。


「いつの間に依頼が……しかも、滅多(めった)にない指名制……」


 それは一年に一回あるかないかの指名制の依頼――


「今日は早い時間帯の勤務でよかったが、もし自分が泊まり番だったら代わりがいないから危うくスルーするところだった……支度をしなくては」


 彼は眼鏡を外し、(デスク)の中にしまった。

 眼鏡と言っても、来栖が普段から使っているのは度が入っていると視力矯正用のものではない。

 度が入っていない伊達眼鏡(だてメガネ)


今宵(こよい)も長くなりそうだな……」


 ふと眼鏡を外した彼の目元に闇が入り、口角が上がる。


 ネクタイを緩め、シャツのボタンを外す――


 燕尾服からクローゼットに収納されている黒背広(スーツ)に身に(まと)う。

 拳銃入りのポーチも身に付け、刃物もいくつか忍ばせる。


 冷静で有能な執事から冷酷非道なイケメンホスト風の暗殺者に姿を変えた。


 これが本来の来栖の正体――


 彼は同業者に見つからないよう、闇の世界に踏み込んだ。



 †



 二人のところに届いた文面は以下の通りだった。


『この依頼は無作為で送信しています。本日21時より実施。貴方1人だけかもしれませんし、他にいるかもしれません。複数の場合は男女ペア等になる可能性もございます。あらかじめご了承ください』と――


2026/07/02 本投稿

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