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鋼の脈動と黒き血

南の城壁は血に濡れ、北の空は黒き血の霧に蝕まれていた。鋼の鎧は生身の延長であり、背部のシギルが鳴り響く脈動は、戦場の鼓動と重なる。絶望の淵に墜ちた翼を奪還するため、鉄は闇を裂く。だが、救われた命の代償は、街の根底を黒く染める奔流――。鋼の呼吸が夜を震わせる、焦がれる夜の戦記。

          その197





王都アンヘイムの作戦司令室は、鉄の鍋が沸騰するような騒音に包まれていた。床に置かれた巨大な地図の上で、将校たちの指が次々と南の城壁線へ向かう。遠くから響く砲撃の振動が、靴底を通じてふくらはぎまで震えてきた。


「報告! 南門正面にラガン軍第一波、二万が押し寄せて来ます!」

「東門および西門にも敵影確認!」


「とうとう時が来たか。」


巨大な卓上地図を囲む将軍たちの顔は、皆、血の気を失っていた。

上座に座る総司令官ホフラン・ルクトベルグ公爵は、眉間に深いしわを刻んだまま、戦況を静かに見据えている。


「なりふり構わぬ総攻撃……北から迫るロマノス軍に焦ったか。だが我々は、両面を同時に相手取らねばならん。これ以上ないほどの絶望的状況だな」


傍らで老魔術師ラージンが静かに口を開いた。


「公爵閣下。南門の圧力が限界です。今のままでは、あっという間に城壁を登り切られます。魔導アーマー部隊を南門正面に集結させ、『鋼鉄の壁』を築いてください。敵の鋭い矛を、我々の分厚い盾で叩き折ります」


ラージンは、ロスコフが残した緻密な運用マニュアルを騎士レオンハルトへ差し出した。

「レオンハルト。お主とマルコ、そしてダリウスで、この防衛線を維持できるか?」

「可能です」

レオンハルトは短く、力強く答えた。瞳には若さゆえの鋭さと、揺るぎない覚悟が宿っていた。

公爵は重々しく頷いた。

「よかろう。魔導アーマー部隊の出撃を許可する。南門の死守を最優先とせよ」

「ハッ! 直ちに!」

レオンハルトが敬礼し、マントを翻して司令室を飛び出していく。


だが、ラージンの懸念は南だけではなかった。彼は窓の外――北の空を見上げ、表情を曇らせた。そこには、不気味な黒い靄が地面を這うように広がり始めていた。

(……南の戦いは、所詮は時間を稼ぐための陽動に過ぎん。真の脅威はあちらじゃ)

攻撃してこない北の軍勢。だが、その静寂の奥から、重い石が転がるような地鳴りが響いている。儀式《闇潮》の第一段階。黒い血のような液体が巨大な釜に注がれ、街の根底から腐らせるための準備が着々と進んでいた。この「静かな毒」こそがアンヘイムを滅ぼす真の刃であることを、ラージンは予見していた。

(ロスコフ様。どうかご無事で。この絶望的な状況を打ち破れるのは、南の防衛ではなく、貴方様が北で儀式の根源を叩くことしかありませぬ……)


ズガアアアアアンッ!!


激しい衝撃と共に、ラガン軍の魔法砲撃が南門の城壁に着弾した。砕けた石片が雨のように降り注ぎ、煙が視界を濁す。

「怯むな! 撃ち返せ!」

「梯子を登らせるな! 油を撒け!」

守備兵たちの絶叫と、押し寄せる敵軍の地響きのような怒号が入り混じる。ラガン兵たちは死に物狂いだった。後ろから迫るロマノス帝国軍への恐怖が、彼らを無理やり前へと駆り立てている。


その混沌の中、シグルが鳴り響く重苦しい足音が響き、鋼鉄の巨人たちが現れた。

「総員、防御陣形! 俺に続け!」

先頭に立つのは、マルコが身を包む量産型【グラディウス】だ。分厚い増加装甲と巨大な盾を背負ったその姿は、まさに歩く城壁であった。

「おうよ! ビビってんじゃねえぞ!」

その横から、ダリウスの【セントリス】が続けて飛び出す。 防御よりも攻撃を好み、巨大なハルバードを振り回して、押し寄せる敵兵をまとめて薙ぎ払っていく。さらに、レオンハルトの魔導アーマーが冷静に側面のカバーに入り、鉄壁の陣形が完成した。


その時、ラガン軍の巨大な攻城槌が、マルコの盾に激突した。

ガギィィィィンッ!!

耳をつんざく金属音と共に、激しい火花が散る。衝撃で地面が沈み込むが、マルコは一歩も引かない。背部のシグルが青白く脈打ち、魔力が盾の内部を流れる。

「……重いな。だが、ここは通させんぞ!」

マルコが全力で盾を押し返し、攻城槌を弾き飛ばした。南では、物理的な鉄と血の激戦が始まった。


***


一方、アンヘイムへと向かう帰還路。揺れる幌馬車の中で、レザリアが筆を置き、額の汗を拭った。

「……できました、ロスコフ様」

目の前にある予備装甲板には、幾何学的な雷の紋様が複雑に絡み合い、触れると微かな電気がパチパチと弾けている。それは攻撃を受けた瞬間だけ魔力を集中させ、衝撃を弾き返す『自動反射回路』の試作型だった。

「性能は良い。だが、シグルへの負荷が半端ない。回路が過熱すれば、背部の皮膚が焦げ、神経網が鋭い痛みを走らせるだろうが、今は無理やり着せて走らせるしか手がない...。」


数時間後。岩場が点在する荒野にて、ゲーリック、クーガー、ルーカスの三人が試作回路を備えた【セントリス】で実戦テストを行った。

「行くぞ! 新しい力の見せ所だ!」

ゲーリックが号令をかけ、敵の歩兵部隊へ突撃する。敵は咆哮と共に錆びた剣や槍を突き出してくる。これまでの装備なら、ダメージを蓄積させないために常に魔力を張り続ける必要があった。

だが、今回は違う。

バチィッ!!

敵の槍が装甲板に刺さった瞬間、背部のシグルが激しく脈打つ。試作回路が魔力を一点に集中させ、着弾点から青白い雷光が炸裂する。物理的な衝撃は装甲の表面で弾け、攻撃した敵は感電して後退る。

「……軽い! 魔力の流路が涸れていない!」

クーガーが歓喜の声を上げる。守りを固めれば動きが鈍くなるのが常識だった。知恵と技術でそれを克服した進化の証だ。

だが、同行していたロゼッタが違和感を口にする。

「性能は上々ね。でも、おかしいわ」

彼女の視線は、逃げることなく密集し、ただ防御を固めてこちらを無視する敵軍に向けられていた。

「奴ら、追ってこない。反撃する意志を全く感じないわ。霧の中で、何かを待っている」


空から戦場を見下ろしていたシャナもまた、肌にまとわりつく不快な湿り気を感じ取っていた。地面からはうす黒い瘴気が陽炎のように立ち昇り、視界を歪ませている。それは儀式《闇潮》が準備段階を終え、本格的なフェーズへ移行した兆候だった。

「……ただ事ではありません」


野営地に戻った騎士たちから報告を受けたロスコフの表情は険しかった。

「敵は追撃を放棄し、この地点で何か大規模な儀式を行使しようとしています」

ノベルが地図上の一点を指差す。エクレアもまた、夜の闇よりも深くドロリとした漆黒に染まりつつある北の空を見上げた。

「情報が必要です」

ロスコフは決断した。敵の中心で何が起きているのかを知らねば、対策は打てない。だが、地上からの接近はあまりに危険だ。残された手段は一つしかなかった。


ロスコフは天幕の隅に控えていたマルティーナとシャナの元へ歩み寄り、深く頭を下げた。

「マルティーナ様。厚かましいお願いであることは承知しております。ですが、どうかシャナ殿の力を貸していただけないでしょうか」


敵の対空呪詛の危険性、そして万が一見つかれば命の保証はないことを正直に伝えた。

マルティーナはロスコフの誠実な瞳をじっと見つめ返し、静かに傍らの従者へと向き直った。

「……シャナ。話は聞きましたね? とても危険な役目です。やれそうですか?」

シャナは表情一つ変えず、しかし瞳に揺るぎない忠誠の光を宿して即答した。

「勿論です、マルティーナ様。私のこの翼は、貴女様の道を切り拓くために授かったものですから」


夜の帳が下り、世界が闇に包まれた頃。ロスコフ隊の野営地から、一つの影が音もなく空へと舞い上がった。

シャナは【天使の鎧】の輝きを極限まで抑え、闇夜に溶け込む焦げ茶色の翼で風に乗った。高度百メートル。敵の攻撃が届かないギリギリの高さを保ちながら、眼下の四万の軍勢の上空を滑空する。

(……臭う)

上空ですら、鼻をつく腐敗臭と鉄錆の匂いが漂っていた。その中心部、最も濃い瘴気が渦巻いている一点にシャナは目を凝らした。

そこには異様な光景があった。巨大な台座に乗せられた、直径五メートルはある黒鉄の大釜。中では煮えたぎる泥のような液体が脈打ち、薄黒い蒸気を噴き上げている。そしてその台座を牽引しているのは、岩のような皮膚を持つ二体の巨獣だった。

(あれが、源泉……!)

詳細を確認するため、シャナは翼を畳み、滑るように高度を下げた。八十メートル、七十メートル……。大釜の真上へと接近した、その瞬間だった。


ヒュオッ!!

殺気すら感じさせない、あまりにも唐突な風切り音。

回避行動を取る暇もなかった。闇の底から投擲された一本の手槍が、正確無比な軌道でシャナの左翼を貫いた。

「……ぁッ!!」

激痛と共に、骨が砕ける嫌な音が響く。バランスを失い、身体がきりもみ回転しながら、無数の怪物が待ち受ける闇の底へと落下していく。

(っ……主、よ……!)

立て直そうとする中、彼女の視界の端に映ったのは、大釜の脇で手槍を投げ終え、静かに構えを解く黒いフルプレートメイルの巨体の姿だった。

その佇まいは、ただの怪物のものではない。かつて数多の戦場を支配したであろう、熟練の武人のそれであった。


ドサリッ!!

心臓が跳ね上がるほどの重い衝撃が、足元の地面から突き上げてきた。

それは耳で聞こえた音ではない。タンガの体に組み込まれた《地穿の残響核》が、空から墜ちた「仲間」が大地に叩きつけられた激しい振動を拾い上げたのだ。

「――ッ!! シャナさんが!!」

タンガは幌馬車の屋根から転がり落ちるようにして飛び降りると、血相を変えてロスコフの元へ駆け込んだ。

「ロスコフ様! シャナさんが……敵のど真ん中に堕ちちまった! まだやられちゃいねぇ……けんど、今すぐに助けないと!」

「なんだって……!?」

ロスコフの顔から一気に血の気が引いた。

恐れていたことが起きた。自分の頼みで、彼女を死地へ追いやってしまったのだ。だが、絶望に浸っている時間はない。

「ゲーリック隊長! 直ちに救出に向かってください! 一刻の猶予もありません、何としても救出を!」

「はっ! 総員、起動急げ!」


ゲーリックの怒号が響く。待機していた三体の【セントリス】が、シギルから感じられる振動と共に起動した。背部のマスターシギルが激しく共振し、魔導神経網が脊椎を伝って鎧全体に張り巡らされる。操縦桿もない、モニターもない。ただ、指を握れば鋼鉄の鉤爪が重く閉じ、膝を曲げれば重装の脚が軋みを上げて応える。鎧は生身の延長だ。鋼鉄の巨人の瞳に、一斉に紅い光が灯る。


そこへ、タンガが一歩前に出た。

「おらも行く! この真っ暗闇じゃ、シャナさんの場所が分からねえ。……おいらなら、地面を通してシャナさんの居場所を感知して見つけ出せる!」

生身で敵の大軍に飛び込むのは、自殺行為に等しい。だが、ロスコフはタンガの強い瞳を見て、止めても無駄だと悟った。

ロスコフは幼馴染の肩を強く掴み、絞り出すような声で言った。

「……頼む、タンガ。シャナ殿を助けてくれ。……ただし、必ず生きて帰ってきてくれよ」

「へっ、当たり前ですよ、ロスコフ様。」

「ちょい待ち!」

決死の空気を切り裂いたのは、野太い声だった。

“岩壁”のジルだ。彼は巨大な杖を肩に担ぎ、不敵にニヤリと笑った。

「お前らだけで突っ込んでも、四万の軍勢に飲み込まれて終わりだ。……俺が別方面からド派手に暴れて、敵の目を引きつけてやる」

「なら、私もお手伝いします、ジル兄さん」

レザリアが、改良作業を終えたばかりの手で杖を握り、前に出た。

「私の『雷』なら、この暗闇の中で最高に目立つはずですから」

「……ほう? 妹弟子と組むのは初めてじゃな」

「ふふ、足手まといにはなりませんわ」

大地と雷の秘術師コンビが、視線を交わして不敵に笑う。ジルはタンガに向き直り、低い声で釘を刺した。

「いいか、タンガ。騒ぎが始まったら、迷わずシャナ殿へ向かい、さっさと連れ出せ。無駄な時間は一秒もないぞ。四万の軍勢だ。俺たちでも、時間を稼げるのはせいぜい数分までだ」

「分かった、ジルさん!」

作戦は決まった。闇夜を切り裂く、一点突破の救出劇だ。


「ここです、タンガさん!」

クーガーが操るセントリスが片膝をつき、鋼鉄の肩を差し出した。タンガは手慣れた動作でよじ登ると、冷たく硬い装甲にしっかりとしがみついた。

「……行くぞ! 魔力を全流路へ流せ!!」

ゲーリック、クーガー、ルーカス。三体の魔導アーマーが、静かさなど捨て去った重苦しい足音を響かせ、闇の中へと猛烈な勢いで疾走を開始した。


***

嵐のように去っていった救出部隊を見送り、ロスコフは残された天幕の中でマルティーナに向き直った。

彼は帽子を取り、深く、深く頭を下げた。

「……申し訳ありません、マルティーナ様。こんなことになってしまい、なんと言ってお詫びすれば良いか……」

声が震えていた。自分の判断ミスが、彼女の最も信頼する従者を危機に晒した。

「ですが、彼らなら……ゲーリックとタンガたちなら、必ずやシャナ殿を救い出してくれるはずです」

その言葉に、マルティーナは静かに首を横に振った。

「顔を上げてください、ロスコフ様。謝罪は無用です」

彼女の声には慈愛があったが、同時に王族としての揺るぎない芯の強さが宿っていた。

「これは、私がリスクを承知で受け入れたこと。……それに、私はただ待っているつもりはありません」

マルティーナは立ち上がり、夜の闇を見据えた。

「私たちも動きます。皆さんだけに負担をかけさせるわけには参りません。……シャナは、私の『手』なのですから」

彼女は振り返り、天幕の入り口で夜風に吹かれている巨漢の影に声をかけた。

「……ゲオリク様」

名を呼ばれた“闘神”は、腕を組んだまま黙って頷いた。

「……承知した」

短い返答だったが、彼がゆっくりと瞼を開き、敵の本陣がある方角を見つめた瞬間、周囲の空気がピリリと張り詰めた。

彼はまだ動かない。だが、その金色の瞳は、遥か彼方の戦場の「気配」をすべて把握していた。

万が一、救出部隊の手に負えない絶望的な事態――例えば、あの『空白カリスト』を超えるような人知を超えた存在が現れたとき、自分がどう動くべきか。

最強の切り札は、静かにその時を待っていた。


それぞれの夜が、激しく動き始めていた。

闇夜を切り裂く重苦しい足音が、静まり返っていた荒野に轟いた。

それは、これまで息を潜めて行動してきたロスコフ隊が、初めて真正面から敵陣を食い破るために上げた咆哮だった。


「――みんな、全力の八割で走れ! タンガさんの指示に従い、最短ルートを駆け抜けるぞ!」

「応ッ!!」


ゲーリックの号令と共に、三体の【セントリス】が、黒い津波のように押し寄せる敵軍の中へと突っ込んだ。

四方八方から重なる足音。盾の壁が次々と形成され、矢が青空を埋める。地面には黒い霧を撒く筒が埋められ、魔導力が近づくと嗤うような破裂音が響く罠が敷き詰められていた。

生者の気配に群がる【成り果て】たちが、腐った牙や錆びた剣を突き立てる。だが、その攻撃が鋼鉄の装甲板に触れた瞬間――。

バチィッ!!

背部のシギルが青白く脈打つ。試作回路が魔力を集中させ、着弾点から激しい雷鳴が炸裂する。物理的な衝撃は装甲の表面で弾け、攻撃した敵は感電して後退る。

「……すげえ! 全然ショックが来ないぞ!」

先頭を走るルーカスが驚愕の声を上げた。以前の甲冑なら、操縦している自分の体にまでガツンと響いたはずの衝撃が、まるで厚い皮で受け止めたかのように消えている。

「それに魔力の流路がまだ涸れていない! これなら、息切れせずに奥まで行けるぞ!」


これこそが、ロスコフとレザリアが心血を注いで完成させた『自動反射回路』の真価だった。常に魔力を張り続けるのではなく、攻撃が当たった瞬間だけ、その一点に防御力を集中させる。この技術革新により、魔導アーマーはただの鉄の塊から、呪われた地獄の中でも活動できる「生身の延長」へと進化したのだ。

「……馬鹿な。なぜ奴らは汚染されない?」

後方で指揮を執っていた【祝福偽装官】の一人が、顔を歪めて呟いた。

彼らの計算では、この黒き血の瘴気の中では、どんな防護魔法も数分で底をつき、中の人間は精神ごと腐り落ちるはずだった。だが目の前の鉄塊たちは、呪いの浸透を完璧に弾き返し、予想を遥かに超える速度で突き進んでくる。


「――そこだ! 右斜め前、敵の列が薄くなってる!」

クーガーの魔導アーマーの肩にしがみついているタンガが叫んだ。彼は目を閉じ、凄まじい速度で流れる風景の中で、地面から伝わる振動だけを頼りに「道」を探っていた。

「了解です、タンガさん! 振り落とされないでくださいよ!」

「へっ、鉱山トロッコの荷台よりは乗り心地がいいって!」

クーガーが甲冑を鋭くターンさせる。タンガの《地穿の残響核》は、敵の密度の薄い場所、そして何より、シャナが囚われている「不自然な空白地帯」を正確に捉えていた。


遠くの空で、激しい落雷と爆発音が響き渡る。ジルとレザリアの陽動班が、派手に暴れ始めた合図だ。敵の意識がそちらへ向いたその一瞬の隙を、鋼鉄の楔たちが貫いた。

「……見えたぞ!」

ゲーリックが叫ぶ。

四万の軍勢の中央付近、ひときわ濃い瘴気が渦巻く場所に、禍々しい祭壇のような檻が設置されていた。その中に、血に濡れた焦げ茶色の翼を力なく広げ、鎖に繋がれたシャナの姿があった。

周囲には儀式を進める偽装官たちと、護衛の【咎将】たちが控えている。だが彼らの視線はまだ陽動の方角に向いていた。【咎将】たちは大釜の儀式に縛られ、直下の魔導感知を封じているためだ。霧の干渉で指揮系統が滞り、迎撃の命令が下るまでに数秒の隙が生まれている。

「……今だ! 蹴散らせ!!」

三体のセントリスが最大出力で加速する。

立ちはだかる成り果ての壁を、雷光を纏った体当たりで粉砕し、一気に檻へと肉薄した。

「なっ、貴様ら……!」

偽装官が気づき、呪いの言葉を放とうとするが、それよりも速く鋼鉄の拳が届いた。

ドォォォンッ!!

ゲーリックの甲冑が振り下ろした巨大な戦鎚が、シャナを閉じ込めていた鉄格子の檻を根元から叩き壊した。

「シャナ殿!」

「……っ、ゲーリック……?」

鎖に繋がれたままのシャナが、ゆっくりと目を開ける。彼女の体は儀式によって魔力を吸い上げられ、ひどく衰弱していた。

「無事か! 今すぐ鎖を切る!」

ルーカスのアーマーが巨大なカッターで呪いの鎖を一気に切断した。崩れ落ちそうになるシャナを、クーガーのアーマーが大きな掌で優しく受け止める。

「……またせたな, シャナさん!」

タンガが肩から身を乗り出し、シャナの手をぎゅっと握った。

「……タンガ……。また、助けられちゃったわね。」

「へっ、お互い様だって。……さあ、脱出だ!」


だが、感傷に浸る時間はなかった。

異変に気づいた【咎将】たちが、一斉にこちらに向き直った。彼らが放つ殺気は凄まじく、空気が重く冷え切ったように感じられる。さらに最悪なことに、大釜の台座に亀裂が入ったことで、主を失い暴走し始めた釜からドロリとした黒い血の奔流が溢れ出し、周囲の地面を瞬時に腐食させて黒く染めていく。儀式の脈動が乱れ、シャナが封じられていた鎖が緩む。

「!! ……逃げるぞ! ここにいたら飲み込まれちまう!」

タンガの悲鳴に近い警告に、ゲーリックが即座に反応した。

「総員、反転! 全速力で離脱せよ!!」

三機はシャナを抱えたまま、来た道を爆走し始めた。背後からは忘却醸造官フォーゲッターズ

たちが放つ黒い呪詛の槍が雨のように降り注ぎ、足元では黒い血の津波が追いかけてくる。

バチィッ! バチィッ!

その度に試作回路が作動し、致命傷を防ぎながら突き進む。その代償に、背部の皮膚が火照り、神経網が鋭い痛みを走らせる。魔力の流路が乱れ、吐き気とめまいが襲う。

「……魔力の流路、まだ涸れていない! 全流路で走れますぞ!」

ルーカスが叫ぶ。かつてならとっくに枯渇していたはずのエネルギーが、驚くほど維持されている。ロスコフたちが授けてくれたこの「新しい力」が、彼らの退路を完璧に支えていた。

「逃がすな! 追え!!」

敵の怒号が響くが、重装の異常な脚力と、タンガによる最短ルートのナビゲートに、混乱した敵軍は追いつけない。


やがて、敵陣の端を抜け、闇の荒野へと躍り出たとき、彼らはようやく肺いっぱいに空気を吸い込んだ。

「……やった。やりやがったぞ……!!」

クーガーの掌の上で、タンガはぐったりとしたシャナを抱きしめながら、夜空に向かって吠えた。

ロスコフたちが待つ野営地まで、あと少し。


大釜の裂け目から儀式の流路が断たれ、溢れた黒い血は街の地下を這い、根腐れをさらに加速させていた。儀式の脈動は乱れ、大釜から噴き上がる蒸気は薄黒い霧へと変じて、北の空へ吸い込まれていく。

街の底はすでに黒く染まり、崩壊はもはや避けられない。


それでも彼らは、絶望の淵から仲間を奪い返し、「魔導アーマーはこの地獄でも戦える」という揺るぎない証を持ち帰ったのだった。


だが、それは街の滅亡を少しばかり遅らせるだけの、焦がれるような代償だった。

それぞれの夜が、激しく動き始めていた。





今回も最後まで読んで下さりありがとう、また続きを見てください。 


忘却醸造官フォーゲッターズとは下記の者たち全体を差す名です。 

記憶摘出官(最下層)

 ↓

感情醸造師(黒き血の精製)

 ↓

祝福偽装官(偽祝福の流布)

 ↓

夜哭の司祭(儀式の最高位)   

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