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歪められた因果の綾

               その189




【鋼鉄と奈落のアルケミスト】――第一局面:偽りの饗宴


一夜が明け、アンヘイムの空は戦場には似つかわしくないほど抜けるように青かった。


だがその空の下、南方戦線の拠点都市ホスローは、目に見えない、しかし致死的な毒に侵され始めていた。


ホスローの司令部。そこには十万を超える大軍を率いる三人の将軍が集っていたが、部屋の空気はアンヘイムの砲火よりも冷え切っていた。


「……おい、狐。昨日の補給物資、貴様のとこの第五軍がまた一番いいところを持っていったそうじゃないか」


ドカッと椅子に深々と座り込んだのは第三軍司令官、ヘーゲンス将軍だった。

赤ら顔で常に何かに苛立っている彼は、テーブルを叩きつけるようにして正面の男を睨みつけた。彼の「知性の源泉」は単純明快な怒りとしてしか発現しなくなっていた。


その視線の先、静かな目で紅茶のカップを傾けている男がいた。


第五軍司令官、ディートフリート将軍。

彼はヘーゲンスの怒号など羽虫の羽音ほどにも気にしていない様子で、カップをソーサーに戻すと薄い唇を開いた。


「……人聞きが悪いですね、ヘーゲンス将軍。『手伝い』ですよ。我が軍の兵士は皆働き者でしてね。物資の仕分けが少しばかり早かっただけのこと」


その冷静沈着で抜け目のない物言いがヘーゲンスの神経をさらに逆撫でする。

ディートフリートの視線が一瞬だけ、会議室の隅にいるパタロワに向けられた。

(……あの赤ら顔の猪と、そこの偏屈者。こんな連中と轡を並べるなど……)

ヘーゲンスもまた、ディートフリートの視線に気づき鼻を鳴らす。

(……いつか俺たちを売るつもりだろう、この古狐め)


「ケッ、相変わらずの詭弁だ。……で? そこの猪はどうなんだ?」

ヘーゲンスが顎でしゃくった先には第四軍司令官、パタロワ将軍が腕を組み、険しい表情で一点を見つめていた。


彼は補給物資の話題になど興味を示さない。彼の頭の中は失われた名誉を取り戻すこと、それだけで埋め尽くされている。


「……物資などどうでもいい。我々に必要なのは手柄だ。アンヘイムを落とし、我が第四軍の汚名を雪ぐ。……それ以外に何がある」


猪突猛進。焦りと執念の塊。三者三様、見ている方向が完全にバラバラだった。


これが一国の軍隊を率いる者たちの姿か。彼らの姿はあまりにも矮小で滑稽ですらあった。



その頃、ワーレン家の仮邸宅、客室用の薄暗い廊下にて。


翌朝、敵地ホスローへと潜入する準備を整えたエイゼンは、懐から一枚の羊皮紙を取り出し、月明かりにかざして満足げに見つめていた。


そこにはラガン王国の紋章と、見紛うことなきディートフリート将軍の署名が入った、リバンティンへの「亡命」と「共闘」を約束する密書が記されていた。


「……完璧じゃねぇかこれ、なぁ室長」

見送りに来たタンガが感嘆の声を漏らす。


筆跡、紙質、インクの種類に至るまで全てが本物。

ただその内容だけが、**“完璧な偽り”**だった。


「そうだな。我々の諜報員が命懸けで入手したディートフリートの書き損じと古い公文書から、文字を一字一句錬成した。……芸術品だぜ」

エイゼンは静かに微笑む。彼の「知性の錬金術」はこの完璧な虚構を作り出すことに注がれていた。


「これをパタロワ将軍の元へ?」

「そうだ。明日の夜明け前にはホスローへ潜り込む。……渡すのは、最も劇的なタイミングでな」


エイゼンがその密書を懐にしまおうとした、その時だった。


廊下の空気がふわりと甘い花の香りに変わった。


「――そのタイミング。……私が整えましょう」


闇の中からアンナ・ワーレンが音もなく姿を現したのだ。

寝間着の上にガウンを羽織っただけの姿だが、その妖艶な気配は熟練の諜報員であるエイゼンですら、直前まで感知できなかった。


「……アンナ夫人」

エイゼンが一瞬身構えるよりも早く、アンナの白くしなやかな手が伸びる。

彼女はエイゼンの手からその偽りの密書をそっと抜き取った。


「……!」

(速い……!)

エイゼンが反応する隙すら与えない、流水のような動作。


アンナはその密書を愛おしそうに撫でると、妖艶に微笑みを浮かべた。

物理的には何もしていない。ただ、彼女の指先が紙面の上を滑っただけだ。

だがエイゼンの《穿影の瞳》だけは捉えていた。彼女の指先から、目に見えない**【運命の糸】**が一本静かに弾かれ、その密書に絡みついたのを。


パチンッ、と。

現実の世界では聞こえないはずの小さな音が、確かに響いた。


「……私の愛しい人の邪魔をする者たち。……自らの疑心暗鬼という檻の中で踊り狂うとよいわね」


アンナは満足げに頷くと、密書をエイゼンの胸ポケットへ優しく差し戻す。


「……お気をつけて、エイゼンさん。貴方がそれを手放した瞬間こそが、破滅の始まりね」


そう言い残し、彼女は再び闇の中へ、夫の待つ寝室の方へと消えていった。

後に残されたのは花の香りと、背筋が凍るような戦慄だけ。


「……聞いたかよ、タンガ」

エイゼンは、どこか重みを増したような懐の密書を押さえ、苦笑いを浮かべた。

「……ありゃ、俺たちが束になっても敵わねぇな。……敵に回したのがラガン軍で良かったぜ、本当に」


「そ・そうか?……そんな事より室長。あの奥様を待たせたら、それこそ命が無くなるぞ!


エイゼンは深く頷くと、闇夜に紛れて姿を消した。

その懐には、最高級の「偽り」と、最凶の「運命」が収められていた。




偽りの饗宴フェイク・バネット— 野営地編 —


数時間後。ホスロー、第四軍指揮用テント。


ラガン王国の首都ロットノットから急ぎ命じられ、

リバンティン公国首都アンヘイム攻略の前線基地として築かれたこの野営地は、

無数のテントが砂嵐のように張り巡らされた、ただの荒れ地にすぎない。


最前線へ三万の兵が進出した今、残された将軍たちは

この不安定な陣地から指揮を執っていた。


パタロワ将軍は、テント入口に立てられた煤け、裂けた部隊旗を背に立っていた。

それは三年前、鉄壁の砦が陥落した際に刻まれた「汚名」の象徴である。


彼は血走った目で、アンヘイムへの無謀な総攻撃計画を書き殴った羊皮紙を睨みつける。

焦りが、判断を鈍らせていた。


その時、外から慌ただしい足音が近づき、カーテンが揺れた。


「将軍! 副官です!」


入ってきた忠実な副官の顔色は、砂嵐にさらされたように蒼白だった。

震える手で差し出したのは、封蝋を割られた一通の密書だった。


「……将軍。……これを」

「何だ、敵からの宣戦布告か?」

「……違います。我が軍の斥候が偶然捕らえたリバンティンの伝令が持っていたものです。

 宛先はリバンティン公国の『公』。……差出人は……ワーレン侯爵ディートフリート殿です」


パタロワ将軍は、密書をひったくるように奪い取った。


狭いテントの空気が、周囲の喧騒から切り離されたように静まり返る。

封蝋の跡には、意図的に塗りつぶされた不自然な痕が残っていた。

だが、それこそがエイゼンの仕掛けた罠だった。


ディートフリート特有の「隠語」を混ぜて偽装された暗号文は、

パタロワ自身の知識と推測によって“解読できたように見える”よう設計されている。

――敵の欺瞞を見破ったのは自分だ、と錯覚させるために。


パタロワは、自らの知性を信じて暗号を読み進めた。

だが、行を追うごとに、その顔から血の気が引いていく。


そこに記されていたのは、暴言でも罵倒でもない。

ただ冷徹な命令だった。


**「第四軍パタロワはアンヘイム正門へ全力攻勢をかけよ。

 リバンティン軍主力を正面に釘付けにし、疲弊した時点で合図を送る。

 その隙に第五軍ディートフリートは西門へ回り込み、内応して開門する。

 報酬として、開城後の統治権の一部と亡命後の地位をリバンティン公より保証せよ」**


――これは「裏切り」ではなく、「戦略的提案書」としての密約だった。


パタロワの部隊が泥臭く正面突破で消耗している間に、

ディートフリートは涼しい顔で敵と取引し、

手柄を横取りして自分たちを切り捨てる。


その冷徹な計算高さこそが、パタロワにとって最も屈辱だった。


さらに、文書にはリバンティン側からの「返信」の痕跡もあった。


**『ワーレンディートフリート殿。

 貴殿の提案を承諾した。

 約束通り、第四軍が疲弊した時点で合図を送る』**


パタロワの頭の中で、何かが弾けた。


これは噂ではない。

敵が裏切りを承諾し、実行に移す準備が整っているという“確定事項”だ。


手遅れになる前に叩かねばならない――

その焦燥が、彼の理性を焼き尽くした。


「――貴ッ様ァァァァァァ!! ディートフリートォォォォォ!!!」


獣の咆哮のような怒声が、無数のテントが並ぶホスローの野営地全体に響き渡った。

石壁のないこの街では、その叫びを遮るものは何もない。

怒号は砂埃を巻き上げながら、周囲の軍勢へと跳ね返っていく。


不安定な兵たちがざわめき始める中、パタロワは拳を握りしめて叫んだ。


――あの狐なら、やりかねない。


昨日の会議で、冷たい目で自分たちを見下していたあの男。

まさかこんな形で俺たちを「消耗品」として切り捨てるとは。


アンナが弾いた、たった一本の糸。

それはパタロワの指先を伝い、

彼が“自力で暴いた”と信じている暗号文に絡みつき、

**「疑心暗鬼という檻の中で踊り狂う」**よう仕向けていた。


パタロワの名誉への執着と焦りは、瞬時にしてディートフリートへの殺意へと変わった。


「全軍、直ちに武装せよ!!

 標的はアンヘイムではない!!

 ……第五軍の裏切り者どもだ!!」


同じ頃、広場にあるヘーゲンス将軍のテントにも、

“パタロワがこの密書を口実に第五軍と第三軍を同時に潰そうとしている”

という別の偽情報がもたらされていた。


二人は互いの「確信」を疑わなかった。

怒りと猜疑心だけが、唯一の真実だと叫んでいた。


ホスローの街は、アンヘイムへの進軍ではなく、

味方同士の血で血を洗う内乱の炎に包まれようとしていた。


司令部からのアンヘイム攻撃命令は、完全に途絶えた。


――『偽りの饗宴』は、こうして幕を開けた。




【鋼鉄と奈落のアルケミスト】――第二局面:氷獄の解放と知恵の継承


南方戦線が自らの猜疑心という泥沼に足を取られている頃。


ワーレン家の仮邸宅の一室は、南の熱狂とは対照的な、氷のように研ぎ澄まされた静寂と緊張に包まれていた。


レザリアの目の前には、ジルがたった一本の羽ペンで描き出した二つの古代紋章が置かれている。


『引き算』の論理。

『内から外へ』の魔力解放。

それは彼女がこれまで積み上げてきた現代秘術の全てを根底から覆す、まさに天啓だった。


「……それで、こう……。そうだったのね……」


呟きが漏れる。


彼女の脳内で、師がかつて何気なく口にした言葉の断片が次々と蘇り、一つの答えへと収束していく。


『力に力で抗うな』

『流れに逆らうな。流れそのものを変えろ』


あの時は理解できなかった師の禅問答のような教えが、今この瞬間雷に打たれたかのように、その真の意味を彼女に啓示していた。


「……ジル兄さん。……ありがとう」


レザリアは顔を上げた。

その瞳にはもはや迷いの色はない。

ジルはただ黙って頷いた。

レザリアは静かに氷塊へと向き直る。


そして彼女はそっと自らの掌をその絶対零度の表面へと近づけた。

彼女の掌に浮かび上がった【符光律】はジルとは対照的だった。


それは今にも弾け飛びそうな雷光のエネルギーを内に秘めた、鋭くそれでいてどこまでも澄み切った蒼白い光。


そして彼女の指先が氷に触れた。

――キィン……ッ!

それは鐘の音ではない。

張り詰めた一本の金属弦を指で弾いたかのような、高く澄み切った共鳴音。


彼女の蒼白い【符光律】が氷塊の青い【符光律】と触れ合ったその一点から波紋が広がっていく。


だがそれはジルのような圧倒的な力の衝突ではなかった。

レザリアの魔力は氷塊の魔力構造を破壊しようとはしない。


まるで複雑に絡み合った知恵の輪に正しい一本の指をそっと差し込むかのように。彼女の魔力はこの大秘術を構成する無数のシギルのその僅かな隙間へと滑り込んでいった。


「――解き放て」


彼女の静かなしかし凛とした声が部屋に響く。

その言葉を合図とするかのように。


氷塊の内部から一斉に光が溢れ出した。

それは暴力的な爆発ではない。


まるで長い冬の眠りから目覚めた春の息吹のように。

無数の青い光の粒子が氷の内側からその構造を静かに解きほぐし、キラキラと部屋の中に舞い始めたのだ。


ゴゴゴゴ……という地響きと共に巨大な氷塊はその形を失っていく。

それは溶けているのではない。


魔力の結合が解かれ、本来のただの水の粒子へと還っていく聖なる儀式だった。


やがてその光と水蒸気が晴れた時。

部屋の中央には一人の老婆が静かに立っていた。


長い銀髪。深く刻まれた皺。だがその背筋は鋼のようにまっすぐに伸びている。


“氷門の”エクレア。

彼女はゆっくりとその瞼を開いた。


「……フン。少し寝すぎたかの」


その掠れた声はまるで数刻うたた寝をしていただけかのような無頓着な響きを持っていた。




「――エクレア叔母様!」


扉が乱暴に開かれ、ロスコフが部屋へと飛び込んできた。

いつもは冷静な研究者であり、一軍の将である彼が、今はただの一人の家族として、なりふり構わず駆けつけてきたのだ。

その後ろには、安堵の表情を浮かべるアンナと、静かに微笑む執事エスターの姿もある。


ロスコフは、椅子に腰掛けた老婆の姿――かつて自分を膝に乗せて魔法の話を聞かせてくれた、血の繋がらない、けれど誰よりも敬愛する“叔母”の姿を認めると、その場に膝をついた。


「……無事で……本当によかった……!」


ロスコフの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

エクレアは、そんな彼の頭に、シワだらけの手をポンと置いた。


「泣くでない、ロスコフ様。……フン、少し見ぬ間に、随分と白髪が増えたの。苦労しておるようじゃな」


「貴女が……貴女がいなくなってから、本当に大変だったんですよ……!」


その光景を、部屋の隅で見ていたレザリアもまた、目頭を押さえていた。

ジルは腕を組み、満足げに鼻を鳴らす。


そして、その部屋にはもう一組、この奇跡の立役者たちが招かれていた。


「……礼を言いますぞ。マルティーナ様、それにお供の方々、遥か彼方、ロマノス帝国まで赴き、恩寵塔と言う所からわしの魂を連れ帰ってくれたと聞きましたぞ。」


エクレアの視線が、マルティーナ、ゲオリク、シャナ、そしてリバック、ロゼッタ等へと向けられる。

伝説の大秘術師からの言葉に、リバックたちは恐縮して頭を下げるが、エクレアはゆっくりと立ち上がり、マルティーナの前へと歩み寄った。


彼女は、マルティーナの中に宿る“光”――女神セティアの気配を、その慧眼で感じ取っていた。

淡い輝きが空気を澄ませ、場の空気は一瞬、聖域のように静まり返る。


「……まさか、女神の如きおん方に助けられようとは。

この老骨、冥土の土産にはまだ早かったようですな」


エクレアは、その場に深く、恭しく頭を下げた。

衣擦れの音だけが響く。

それは、秘術師としての最高礼――長き年月を秘術に捧げた者が、女神の光に捧げる唯一の礼節だった。


「ありがとう。……貴方様方のおかげで、わしは再び、愛する弟子たちと、この危なかっしい主を守ることができそうじゃ」


「頭を上げてください、エクレア様」

マルティーナは、慈愛に満ちた声で応え、そっとエクレアの手を取った。

「貴女の帰還は、私たちの希望です。……おかえりなさい」


その言葉に、部屋中が温かな拍手に包まれた。

エスターが用意した熱い紅茶の香りが、長い間凍りついていた空気を溶かしていく。

それは、絶望的な戦争の最中に訪れた、ほんの束の間の、しかし確かな幸福な時間だった。


だが、エクレアは紅茶を一口啜ると、鋭い眼光をロスコフへと向けた。


「さて、ロスコフ様。……感動の再会はここまでじゃ。ジルから聞いたぞ。外は随分と騒がしいようじゃな」


ロスコフは涙を拭い、表情を引き締めた。

そこにはもう、泣き虫の主の顔はなかった。「鋼鉄のアルケミスト」の顔が姿を表していたのだ。


「……はい。状況は、最悪です」


「結構」

エクレアは不敵に笑い、空になったカップを置く。


「最悪の状況など、わしらの得意分野であろう? ……さあ、行くぞ。年寄りの知恵を、貸してやろう」





数時間後。ワーレン家の仮邸宅、その最も広い書斎。


中央の巨大なテーブルに広げられたアンヘイム北部の詳細な地図を囲む者たちの表情は等しく険しかった。

部屋を支配しているのは重い沈黙。その場に座るエクレアだけが、まるで孫たちの喧嘩を見守るような静かな眼差しで、紅茶の湯気を眺めていた。


その静寂を破ったのは、軍師ノベルの静かだが冷徹な声だった。


「……単純な兵力差はおよそ一対十。街道を進む本隊に加え別動隊による側面攻撃の可能性も考慮すれば、我々に打てる手は事実上存在しません」


それは誰もが分かっている絶望的な事実。

その言葉を受けてマスターナイトのゲーリックが苦虫を噛み潰したように呟いた。


「……魔導アーマー部隊を壁とするにも限度がある。敵が狂信者の集団である以上、精神攻撃への対策が不完全な現状ではまともな防衛線すら維持できん」


出口のない議論。場の空気が停滞しかけた、その時だった。


それまで黙って地図を見下ろしていた岩壁のジルが、その岩のような指で帝国軍の進軍ルートをぐと押さえた。


「……俺は軍隊とは戦えん」


その低い地響きのような声に全員の視線が集まる。


「だが、この**“道”**そのものを奴らから奪うことはできる」


その軍人ではない大地の秘術師ならではの発想に、ノベルとエイゼンの目が鋭く光った。

だが、ゲーリックがすぐさまその戦術的な限界を指摘する。


「……素晴らしいお考えです、ジル殿。ですがそれはあくまで時間稼ぎ。我々が決定的な一撃を用意できなければ、いずれ押し潰される結果は変わりません」


「――だからこそ、わしがいる」


静かに、しかしよく通る声が響いた。

エクレアだった。彼女はゆっくりとカップを置くと、ゲーリック、そしてロスコフを見据えて言った。


「先ほど言ったであろう? 年寄りの知恵を貸すと。……ゲーリックよ、稼いだ時間が意味を成すのは、その時間で何を成すか、だ。……ジルが奴らの**“足”を止める。ならば我々はその間に奴らの“頭”**を叩く準備をせねばならん」


ジルが大地を奪う。

エクレアがその目的を定義し、戦局の視点を切り替える。


その二つの規格外の才能が共鳴した瞬間、部屋の空気が変わった。


「……待てよ」

最初に反応したのはロスコフだった。


彼の研究者としての脳が爆発的な速度で回転を始める。

「……時間を稼げる? 精神攻撃への対策……? エクレア叔母様、貴女のその経験則があれば……!」


「ああ」とエクレアはニヤリと笑って頷く。

「狂信者の手口なぞ知らん。だが人の弱さの突き方なら教えられる。……ロスコフ様、貴方様ならどう防ぐ?」


師からの問いかけ。その言葉に、ロスコフの中で散らばっていたピースが繋がった。

ノベルもまた、目を見開く。


「……そういうことか! 敵の精神攻撃の“パターン”が予測できれば……!」

「――【レプルシオ・マジカ】を完成させられる!」


ロスコフがノベルの言葉を引き継ぐように叫んだ。


「その術式であれば、」

ラージン翁が即座に補足する。

「既存の防御シギルに第3層の認識阻害フィルターを組み込むだけで実装可能です。魔力消費も3割抑えられるでしょう」


「それなら、」

ノベルが間髪入れず戦略を重ねる。

「前線の魔導アーマーだけでなく、後方の通信網にも応用できる。敵の精神汚染による指揮系統の混乱を未然に防げます」


それはもはや会議ではない。

異なる才能を持つ者たちが互いの言葉を触媒として一つの答えを錬成していく、**“共鳴の儀式”**だった。

エクレアは、その様子を満足げに眺め、再び紅茶を口にした。


「……面白いね」


それまで黙っていたタンガがニヤリと笑った。


「敵の足が止まり混乱が生まれれば、奴らの指揮系統の**“流れ”に必ず淀みが生まれる。……俺の《穿界者の残響》ならその最も脆い一点を“聴き取る”**ことができるかも知れねぇ」


ジルが時間を稼ぎ、大地を作る。


エクレアが敵の本質を見抜き、知恵を与える。


ロスコフがその知恵を元に**“最高の盾”**を作り上げる。


タンガが敵の**“急所”**を探し出す。


そして最後にエイゼンがそれら全ての要素を冷徹な思考で束ね上げた。


「……ロスコフ様。……作戦案が見えました」


その声は確信に満ちていた。

「ですがこれを実行するには公国の最高司令部、ルクトベルグ公爵の承認が不可欠です」


ロスコフはその仲間たちの共鳴によって生み出された唯一の活路を静かに見つめていた。

そしてゆっくりとしかし力強く頷く。


「……承認は取ってみせるよ」


その一言でリバンティン公国の未来を賭けた作戦の方向性は決定した。

「――今夜の会議は終わりだ。皆休んでくれ」




翌日。アンヘイム司令部。


重苦しい沈黙が支配する作戦会議室の扉が静かに開かれた。

入室してきたのはロスコフ。そしてその両脇を固める軍師ノベルと元・国家魔術師ラージン。その後ろに影のようにエイゼンが続いていた。


「――ワーレン侯爵。何か新たな報せかね?」

ルクトベルグ公爵が疲れた声で尋ねる。


「報せではありません。……**“提案”**です」


ロスコフは静かにそう告げると隣に控える軍師へと目配せした。


「――先ずはこれをご覧いただきたい」


その言葉を合図にノベルが携えていた巨大な羊皮紙の巻物をテーブルの中央でバサリと広げた。


そこに描き出された完璧な作戦計画書に将軍たちは息を呑んだ。


それは昨夜あの場で生まれた**“共鳴の結晶”**だった。

だが当然の疑問が口を突いて出る。


「……侯爵。計画は素晴らしい。だがこれを実行する**“兵”**がどこにいる……!」

その問いにロスコフは静かにしかし決して揺るがぬ声で答えた。


「――その全ての**“兵”**は」


彼は会議室にいる全ての人間をその鋼の意志を宿した瞳で見据えた。


「我が陣営が全責任を持って用意いたします」


その言葉の重みを補強するかのようにエイゼンが一歩前に出て補強する。


「……公爵閣下。その秘術師は大陸にその名を轟かせる“岩壁のジル”。我々の諜報網でもその伝説は確認済みです。……決して絵空事ではありません」


ルクトベルグ公爵はしばし目を閉じ、深く思考していた。


彼が見ていたのはロスコフという一人の天才の熱意ではない。


その両脇に控えるノベルとラージンという“知性の両翼”。そしてその言葉を裏付けるエイゼンという“確かな影”。

ノベルの実務的な戦略眼と、ラージンの魔術的知識の裏付け。彼らがただの追従者ではなく、ロスコフを支える強固なシステムとして機能しているその圧倒的な事実だった。


やがて公爵はゆっくりとその瞼を開くと言った。


「……よかろう。ワーレン侯爵」


その声にはもはや迷いはなかった。


「――その作戦、承認する。……ただしこれは公国の正規の作戦ではない。あくまで貴殿の責任と指揮の下で実行される特殊作戦と位置付ける。……それで構わんな?」


「……御意」


ロスコフは深く頭を下げた。


こうしてジルとエクレアはあくまでロスコフの**“独立遊撃部隊”**の最高顧問としてこの絶望的な戦場に立つことが正式に決定したのだ。





今回も最後まで読んで下さりありがとう、引き続き続きを見かけたら、またポチって読んでみてください。 

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