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大きな流れに乗るフェルスタッド港

新型の大型船を奪取し、海の技術者たちを根こそぎ奪って来たラバァルたちは、ようやくフェルスタット港の真なる再開発を行う事となっていた、一方、陸の方では視察の為、開墾地周りを行っていたタロッチに齎された現場の声は...。   

      その187




【鋼鉄と奈落のアルケミスト】――荒野の錬金術


西の最果て、南の照りつける太陽の下に位置する寂れた漁港が、大陸の歴史の盤面を根本から塗り替える巨大な拠点として、その真の産声うぶごえを上げようとしていた。


海と陸の天才職人たちが熱い血の盟約を交わし、突貫の大工事が始まってから一週間。

フェルスタットの地は、静かな漁村の景色の中に「巨大な化け物」が強引に根を下ろし始めたかのような、異様な活気と混沌に満ちあふれていた。


大地が、巨大な生物の心臓の拍動のように、絶え間なく打ち下ろされる石割り鉄槌の音と、労働者たちの汗塗れの怒号に合わせて微小に震え続けている。

沖合を見れば、ねっとりと重い熱帯特有の海風に抗うように、大桟橋を架けるための『巨大な足場組み』が、ようやく白いサンゴの砂や砕けた貝殻が堆積して出来た地層に、石灰を砕いた石や岩を投げ込む作業が浅瀬に組まれ始めたところだった。

陸では新たな居住区画を確保すべく、泥交じりの丘を削り、根張りの強い木々を切り倒す最初期の「地ならし」が火事場のような勢いで進められている。


実際にその現場で倒木運びの縄を引き、生温かいまま波打つ泥の海に身まで浸かって基礎杭を支えているのは、図面を引く天才職人たちではない。

彼らの手足となって軟泥に働いているのは、ラバァルの圧倒的な力によって屈服させられた元・山賊やゴロツキの集団、海賊の生き残り、そして昨日この港へ流れ着いたばかりの食い詰めた民たちだ。


彼らはビンゴたち『ゴブリンズ・ハンマー』や、海の熟練工から雨あられと降ってくる罵声と指示の下、自分の背丈の何倍もある石塊や木材に必死にしがみついている。突き刺さるような苛烈な日差しの中、まだ泥と木屑にまみれたばかりの、気の遠くなるような底辺の作業。

だがそれでも、行き交う彼らの顔からは日枯れの絶望や死の色はとうに消え失せていた。


代わりにその額から滴る大粒の汗の奥、瞳の中に燃えているのは、泥臭くぎらついた「欲」と「生きるための希望」の光だった。

腕力が続く限り仕事がある。

一日の終わりには、確実に胃の腑を温める濃厚な飯と酒が約束されていた。


そして何より、自分たちの手で組み上げているのは、五年、あるいは十年後には間違いなく『ノース大陸最大の貿易港』となるであろう、この世界で最も力に満ちた自分たちの明日の居場所なのだ。

その単純にして力強い生存の噂は、熱を孕んだ潮風よりも速く、大陸の港から港へと駆け巡った。


結果として引き起こされた異常な現象は――。


「……ラバァルさん。また新しい船団が来てますぜ……」


生木の鼻を突く匂いが吹き込む仮設指揮所。

海側の長たるファングが、手首を組みながら重い声を落とした。彼は見張りからの報告紙を片手に、開け放たれた入り口から見える海岸線と、さらにその遠くの波間の両方を真っ直ぐに見据えていた。


「海を見ろ。まだ大桟橋を架けるために、サンゴの死骸が積もった柔らかい海底の『堆積層たいせきそう』を潰そうと、無数の小舟から砕いた大量の石灰クズを海へ放り込んで、必死に基礎の地盤固めをやり始めたばかりの段階だというのに……。杭一本まともに打てていねえんだ! それなのにどいつもこいつも、血と仕事カネの匂いを嗅ぎつけた飢えた鮫のごとく集まりやがるぜ」


窓の向こう。南の刺すような陽光を反射してギラつく海面の手前では、小舟に乗った男たちが汗塗れになりながら終わりなき石灰岩をたたき割ったクズ石の投下作業を続け、海が石灰の粉で白く濁って波打っている。

しかし、ファングの金色の瞳が捉えているのはその奥の水平線だ。

そこに、昨日は無かった船影まで増えており、小舟でこちらに入港許可を取り付けにやってきていたのだ。まるで大陸の絶望と貧困から逃れてきたかの一団の様だ。

つい一週間前まで、満潮時に中型商船が一隻やっと寄れるだけだったこの寂れた漁港には、およそ不釣り合いで異常なまでの光景。

その予想を遥かに超えた人の波に、むせ返るような事務所内の熱気が、さらに一段と重くへばりついた。


だが、ファングの向かいで泥まみれの集計板を抱えていたリリィが、ふっと緊張の糸を解くような可憐な笑みを漏らした。

「ふふ……あの無敵の獣のような顔をなさるファングさんが、ただの人の数に驚かれているなんて」


(……笑った顔は、いつ見ても可愛いな。リリィは)

殺伐とした重圧の中で、ファングはわずかな安堵を覚えて小さく息を吐いた。だが、その数秒のなぎは、即座に横から飛んできた鋭すぎる視線によって物理的に遮断される。


「ふんッ! なによ、いっつもリリィばっかりジロジロ見て! このスケベ獣!」

頬をぷっくりと膨らませて腰のナイフの柄を叩き、ファングを睨みつけたのは、かつて共に路地裏で日々の生死をすり減らしていた腐れ縁の勝ち気な女戦士――カリーナだ。


「おいカリーナ、スケベとはなんだ。俺は全体の士気を……」

「無理やりな言い訳すんな! その尻尾みたいな髪、寝てる間に引っこ抜くわよ!」


「……平和だねぇ。こっちが命がけで海の底漁ってるってのに、あの子らときたら色恋沙汰なんて、ねぇ。」

「全くだ。でも血の雨とおっさんどもの体臭よりゃあ、よっぽどマシな風景ってやつさね」

壁際で腕を組んでいたメロディと海賊のお頭たるセラが、同じ年頃の仲間が見せる一見場違いな痴話喧嘩に、やれやれと吹き出すのを堪えるように顔を見合わせた。この一瞬の泥臭くも体温の通った小競り合いが、極限まで張り詰めた彼らの心を繋ぎ止める、一服の清涼剤となっていた。


だが、その和やかな空気を完全にぶち切るように、指揮所の重い木扉が勢いよく開け放たれた。


「――皆さん失礼しますッ!!」


息を切らせて転がり込んできたのは、情報分析員のピーターだ。彼の手には、汗と潮風でしわくちゃになった分厚い羊皮紙の束が握りしめられている。


「どうしたピーター、そんなに慌てて」ファングが目を細める。


「慌てもしますよ! これ見てください! 昨日まで、沖で停泊してこちらの出方を窺っていたボロ船が三隻だったのが、今朝になって一気に五隻に増えてます!」

ピーターが卓の上にバサリと束を叩きつける。

「ただの商船の流れ着きや、職工ぶれじゃない! 酒場で噂を聞きつけたらしく……どの船からも小舟を使って『上陸して仕事にあぶれた這い出し(素人)を雇ってくれ』という許可申請が、一隻から平均したら二十名近くも出されてるんです!」


そこに裏表までびっしり書き込まれた、上陸希望者の推計人口の膨れ上がり方に、その場にいた全員の喉が鳴った。まだ港が機能していないため上陸すら制限しているにも関わらず、先に知った情報を生かそうと我先に目指す人間の欲と数がこの段階で既に増え始めている事を告げていた。


情報分析を担うラモンが、大きな声を上げた。

「ひぃぃ……! ラ、ラバァルあにぃ! マジで大ごとになってきたでやんすね! 

たった一週間でこのペースで這い出しどもが集まってきてるってことは、ここの噂が大陸中に回ったりしたら……一年後、いや半年も経たずに取り返しのつかない数の人間様が押し寄せるに決まってるでやんすよ!」


ラモンは頭を抱え、震える指で地図をぐるぐると指し示した。

「このまま手をこまねいてたら、寝床の板さえ足りず、新しく上陸した連中が全員浜辺で野宿地獄になっちまうでやんす! 抜本的に新しい集合長屋の計画を、今の『何倍もの規模』で今すぐ前倒しで動かさなきゃ、あにぃの描く前に街の腹が破裂するでやんすよ!」


ラバァルは仮設指揮所の最も深い暗がりの席。椅子の背に全身を預け、ただ静かに頷いた。

そして、無言のまま卓の末席で図面を睨む二人の狂的な職人――若き建築の鬼ビンゴと、海の老匠ゴランへと視線を流す。

「……当座の住み処の長屋組みの急造は、ビンゴに任せる。ロット・ノットの地下から応援を呼ぶ手筈も進めておけ」


さらにラバァルは、別の場所にいる男の名前を呼んだ。

「……陸の要である開拓団団長タロッチは、今どうしている」


「タロッチなら今、東の開墾地の視察に向かっています。農業方面の人手を一時的に建築へやり繰りできないか、現場の責任者の生の声を聞くために」

ウィローが即座に答えた。


        *


(フェルスタット東南・開墾地)


その頃、十年来の開拓団を率いていたラバァルから受け継いだタロッチは、団長として地平線の果てまで赤茶けた岩と砂が続く、元は完全なる「死んだ荒野」だった場所の真ん中だ――ある一つの前線拠点の地に立っていた。


ラガン王国――東西に二千八百キロ、南北千三百キロにも及ぶ、ノース大陸で二番目に広大な国土を持つ国。過去三十年で二つの国を武力で併合し肥大化したものの、奪う事しかしない王と権力争いと懐を富ます事にしか関心のない評議委員たちは手入れ一つせず、ただ広大な『無秩序な搾取の餌場』として国土を食い潰してきた。普通の農民は育った麦ごと山賊か役人に奪われ、殺される前に自らも賊に堕ちるしかない、人の心も枯れた大地。


そこにラバァル率いる『ヴェルミナス環』が、遥か遠方の別の土地から、王の目が届かぬ裏側でこの国を喰い破るように作り替え始めてから、すでに十年以上という歳月が経過していた。

彼らの目的は、元から王位の簒奪さんだつや覇権という大層なものではない。ただ純粋に、「飢えた奴らが飢えない国を作る」。その極めてシンプルで根源的な理の延長として、無数に出没する山賊の砦を十年以上にわたりことごとく力で粉砕し、彼らを殺す代わりに開拓の労働力として組み込みながら、この寂れたフェルスタット港の東南の荒土へと辿り着いたのだ。


かつては川一つなく、熱で乾ききった砂埃が舞うだけの見捨てられた不毛の地。

だが今、タロッチの視界を二つの色が明確に分断している。果てしなく続く「赤茶」と、大地の彼方からじんわりと広がり始めている、湿り気を帯びた豊かな「黒」だ。

頭上から容赦なく照りつける熱光の下。

ラバァルたちの支配下に置かれた開墾部隊は、万を超える。だが、彼らが一箇所に無秩序に密集しているわけではない。食糧配給と地下水ロジストの管理、そして元・山賊たち同士の深刻な暴動を防ぐため、この広大な王国の土地数十キロごとに、千人規模を収容する『開拓のキャンプ基地』がいくつも分散して配置され、それぞれが自立した前線として機能していた。タロッチが今見回りに訪れているのも、その血と土に塗れた拠点の一つに過ぎない。


遠く陽炎かげろうの向こう、見渡す限りの赤茶けた荒野のあちこちに、百名単位で編成された黒いゴマ粒のような「開墾小隊」がパラパラと散らばり、太陽に焼かれているのが見える。


少し離れた場所では、ラバァルが首都ロット・ノットの王立知識院から引き抜いてきた“大地の調律師”の一人――天才魔植物学者のキャロット博士が、泥に汚れた活動着に気丈な眼鏡を光らせながら、体格の倍以上ある元・山賊たちを猛烈な勢いで怒鳴り散らしていた。


「そこの溝、角度が浅いわよ! 地底から組み上げた水が全部逃げるでしょ! 土が呼吸できずに根が死んだらどうすんの!」


川がないなら、地の底から引けばいい。彼女の持つ異常な「水脈探査」の技術が、この干からびた荒野の地下深くを這う見えない真水の層を正確に叩き当てた。それに従って荒くれ者たちが岩盤を砕き、深い縦穴の井戸を掘り抜いて地下水をくみ上げている。

さらに、首都に留まっている変わり者・バジル博士と助手のヤーコンから絶え間なく送られてくる緻密な「土壌改良の配合書」。その理論に基づき、作物が植えられる区画の乾ききった赤砂にだけ、特殊な灰や石灰、計算し尽くされた腐葉を狂いなく混ぜ合わせることで、ただの砂を生命を育む【黒い土】へと錬成している。そこには無駄に流れる泥水など一滴もなく、地底から汲み上げた貴重な水は、黒土のうねを通る計算された細い水路にだけ、血管のように静かに流し込まれていた。


その最前線の乾いた砂埃の中で。開拓団団長であるタロッチは威張ることなくしゃがみ込み、現場の責任者と直接膝を突き合わせていた。


「――だから無理だっつってんだよ、タロッチの兄貴!」

責任者である元・山賊の頭目が、汗と砂まみれの坊主頭をガシガシと掻きむしりながら血走った目で訴える。

「ここの千人の連中は、この何年かでようやく、他の農作業部隊と同じく土作りと水路の匂いに慣れてきたところなんだ。あの気の強ェキャロットの姉御が見つけた井戸の水をどうやって引くか。ロット・ノットのバジルって爺さんの指示書通りに、この死んだ赤砂にどうやって中和剤を混ぜ込み、作物が食いつく『土』に練り上げるか。その気の狂うような匙加減が、何年も掛けてようやく野盗上がりの身体に染み付いてきたんだ!」


頭目は、足元の黒く肥沃な土を両手ですくい上げ、タロッチの目の前に強く突き出した。

「今ここからごっそり大工や港湾工事のために人手を引き抜かれちまったら、この水路も土の配合の維持も全部滞って、せっかくの農地がまた元の死んだ赤砂に戻っちまう。どっちつかずのショボい野盗上がりどもに、そっくり逆戻りになっちまうぜ!」


タロッチはその血気盛んな頭目の言葉を遮ることはせず、たた、ふん、ふんと聞いていた。反論して上に立つのではなく、地面から直接立ち上るような大地の灼熱と、開拓団の男たちの体温。何年もの間、血と泥を啜ってきた元山賊が、ついに「生み出した土を殺したくない」と必死に訴えるその熱量と、鼻をくすぐる石灰と腐葉の匂いを真正面から受け止め、ただ静かに頷いていた。


(……痛いほどよくわかるぜ。港の突貫工事に人は喉から手が出るほど欲しいが、何年もかけて育てた農の根を絶たせれば、この先溢れかえる大勢の命が丸ごと飢える。……ラバァルの言う通りだ、やはり現場の『魂の置き所』を見なければ、本当の采配などできねぇ……)


        *


(仮設事務所)


ラバァルはまるで、荒野でのタロッチの心理を千里眼で透かし見ていたかのように、静かに言った。

「……そうか。ならば農業方面からの人材の転用は不可能と見ていいだろうな」


彼は紅い瞳で一同の顔を冷ややかに見渡す。

「他に、何か意見はないか?」


その重圧のかかった問いに、おずおずとウィローが細い腕を上げ、一歩前に出た。

「……現状の開墾部隊はそのまま継続させます。……そして、これから新しくこの街へ雪崩れ込んで来る者たちを、そのまま海と陸の『大工の若衆(弟子)』として強制的に割り当てるのはどうでしょう」

ウィローの瞳に、明晰な光が宿った。

「ロット・ノットの掃き溜めスラムの時のように。日当で寝床を稼がせながら、無数の素人どもに石砕きと土運びの基礎を叩き込ませるんです。そうすれば彼らは生きるための技術を得て、街がデカくなるスピードを彼らの肉体そのもので穴埋めできる。彼らにとっても、悪い話ではないはずです」


単に労働力を買うのではない。人の生存本能と尊厳を回復させ、組織の強力な土台へと自発的に練り上げるラバァル流の思想。

その見事な提案に、ビンゴ親方とゴラン技師長がそろって「ほう」と太い息を漏らし、面白そうに口角を上げた。


「ウィロー、あんた中々えげつなくて良いこと考えるじゃない! あたしもその底上げ案に大賛成!」

メロディの声を皮切りに、次々と首肯の波が連鎖する。


ラバァルは静かにそれを見届けた。

「わかった。その案で進めろ。ビンゴ親方、素人どもの受け入れと……彼らに確かな『役割(価値)』を叩き込む準備を頼む」

「へい! お任せを。その辺に転がってる泥土どろつちも、俺らの現場に入れてガチガチの基礎煉瓦に焼き上げてやりますよ」


「――よし。全体の方針は固まったな」

ラバァルは地図を見つめ、静かに、しかし絶対的な重さで口を開いた。

「もはや小手先の受け入れ枠では間に合わん」


彼がそこで一度言葉を切ると、むせ返るような熱気の満ちていた事務所の空気が一新され、完全な静寂がその場を支配した。

全員の視線と呼吸を己の下へと束ねた上で、ラバァルは底知れぬ声でコマンドを下す。


「街の区画と港湾設計を、さらに大きく拡大してやり直す。ラモン、ウィロー、ピーター」

「「「はいッ!」」」

「お前たち三人は、新たに流入してくる全ての人海と物資をせき止め、管理しろ。職能、人数、目的。全てを把握し、海と陸の最適な修羅場(現場)へと振り分ける**“無情の門”**となれ」


さらに、指先がストリートの荒唐無稽な猛獣たちへ向く。

「カリーナ、スパイク、キッコリー。お前たちは、その“門”を通った者たちと交渉する役目だ。建材の独占販売を狙って群がってきた太ったよそ者の商人ども。連中は必ず足元をえぐりにくる。……だが、忘れるな」


ラバァルの紅い瞳の底で、重く深い影が揺らめいた。

「……交渉の暴力的な主導権リードは、常にこちら側にある」


カリーナが、先程の膨れっ面を消し去り、本物の路地裏の鋭い笑みを浮かべた。

「へへっ、任せてくださいよラバァルさん! 小奇麗な服を着た商人共の鼻っ柱をへし折って、尻の毛までむしり取るのは……あたしらの大好物なんでね!」


        *


かくして、仮設事務所の熱気が新たな段階へと切り替わっていくその頃。

フェルスタットの東から南東にかけて数万キロに渡り点在する大地では、机上の計算とは全く別の『血と砂の戦い』が繰り広げられていた。


地平線の果てまで赤茶けた岩と土が続く、死んだ荒野。

そこにある千人規模のキャンプの広場に、腹を空かせた人間という蟻の群れが集っている。

一見すれば、それは覇者の名の下に行われる地獄の強制労働の風景にしか見えない。

だが、その土埃の中に漂う空気は、不思議なほど健全で『生き物のような熱気』に満ちていた。


「おい、そこらの新入り! 砂の叩き方が手温てぬるえ! 腰じゃ! 死ぬ気で腰のバネを入れろ!!」

「ひぃッ! へ、へい! すいませぇん!!」


土にまみれて怒鳴り声を上げているのは、ヴェルミナス環の正規の監督ではない。数年以上前、彼等と同じように右も左も分からずに怒鳴られ、震えていた『先輩の元・山賊』だった。

新入りたちはその怒声に反発しない。

なぜなら、彼らはこの骨の髄まで軋む過酷な一日の果てに、何が待っているかをすでに本能で理解させられていたからだ。


夕陽が砂の大地に沈む頃。

荒れ野のあちこちに巨大な焚き火がいくつも焚かれ、人の背丈ほどもある大鍋で煮込まれた、塩と脂の浮いた肉と野菜のシチューが猛烈な良い匂いと共に湯気を吹き上げる。

そして灰にまみれた彼ら一人一人の手に、ずっしりと重い熱い黒パンと、なみなみと注がれた濁ったエール酒が配給されていく。


「「「うおおおおおぉぉォッ!!!」」」


千人のならず者たちの爆発的な歓声が、火の粉と共に荒野の夜空へ吹き上がった。

昨日まで他人の首をかき切り、明日の己の食い扶持すら保障されていなかったならず者たちにとって、身を削って正当に勝ち取った「腹がはち切れるほどの飯」と「確実な一杯の酒の酩酊」は、金貨や理念よりも遥かに絶対的で雄弁な、至上の報酬であった。


もちろん、常に平穏が保たれるわけではない。

暴力しか知らずに連れてこられた血の気の多い獣たちの中には、この理屈に納得せず牙を剥く者も当然現れる。


「クソがぁ! やってられっか! 俺はこんな砂いじりのためにここに来たんじゃねェ!!」


一人の目の血走った新参者が、持っていた鍬を焚き火の横へ乱暴に投げ捨て、配給を急がせるよう近くの監督役(元山賊)の胸ぐらを掴み上げた。


その瞬間だった。

――バキィィッ!!

凄まじい骨の砕けるような鈍音。文句を垂れていた男の横っ面が、ひしゃげるような勢いで横へと殴り飛ばされ、地面の砂埃の中へと血を吹いて沈み込んだ。


だが、拳を振り抜いていたのは、絡まれた監督役ではなかった。

殴られた男のすぐ隣で、先程まで黙々とシチューの芋をかじっていた、傷だらけの古参の元・盗賊だったのだ。

硬く握られた拳からは汗が飛び散り、殴られた男の口から流れた血が夜露に濡れている。


「……て、てめえ……! いきなり、なに、しやがる……」

血塗れの砂を吐き出しながら痛みに顔を歪める新参者を、古参の男は見下ろし、深く、静かな殺気を帯びた眼で言い放った。


「うるせえ。……てめえの底ねェ自分勝手で、俺たちの今日の最高に美味い酒の味をマズくすんじゃねえぞ」


その静かで重すぎる一言に呼応するように。

周囲で車座になって飯を食っていた無数の男たちが、誰からともなく音を立ててパチパチと薪や石を握り締め、ゆっくりと立ち上がった。

彼らの目に宿っているのは、かつてのような飢えた狂乱ではない。

この死んだ荒野にようやく根付いた『己の安寧と確実な明日』という居場所を乱そうとする者への、容赦なき【防衛本能テリトリーの敵意】だった。


何十、何百という静かな殺気が、一人の新参者を串刺しにする。


そして、古参の男は顎で、キャンプの広場の中央に高く掲げられた【一本の旗】を示した。

それは、黒い布地に染め抜かれた**『ヴェルミナス環』の紋章旗**。


「新入り。てめえは、自分が今、誰の傘の下で飯を食わせてもらってんのか全くわかってねぇな」

古参の男の低い声が、夜風に混じる。

「俺たちは、ただ地面を掘ってるだけの奴隷じゃねぇ。いいか、昔の俺たちが畑を持とうとも、必ず収穫の前には王の兵士――ふざけた税の取り立てや、ロット・ノットの他のクソみたいな派閥の兵隊どもが押し寄せて、麦も女も根こそぎ喰い物にしていった。反抗すればその場で皆殺しさ」


男は焚き火の火の粉を手で払い、あの黒い旗を神を見るかのような恐れと熱を含んだ眼で睨みつけた。


「だがな。この一帯にあの**『ヴェルミナス環の旗』**が立ってから、あの腐れ外道の国の兵士も、他の武装組織の連中も……誰ひとりとして、俺たちの拠点(畑)に足を踏み入れられなくなってやがる。一指し指でも手を出せば、王国軍だろうがただでは済まされんって事を知ってやがるんだ。……わかるか? 俺たちは、この大陸で一番安全で、一番強大な『力』の中で土にまみれてんだよ」


新参者は悟った。

ここはもはや、ただ奪うことだけを正義としてきた無法者の烏合の衆ではない。

ただの農地に過ぎないこの場所が、ラガン王国という国家の軍隊さえも弾き返す、巨大な【死守すべき絶対の秩序ルール】の中に守られているのだと。


だからこそ、この千人の山賊たちは、誰一人としてあの旗から離れたがらない。この『力と美味い飯』の庇護下から放り出されることこそが、再び野垂れ死にへの片道切符を意味しているからだ。


そして、その秩序の破壊者バグがどうなるか。

荒野の入り口に晒された、無残な数体の『見せしめの骸』を思い出し、新参者の顔面からサーッと青白く血の気が引いていった。


「ひ、ひぃ……ッ! わ、悪かった……! 悪かったよぉ! 大人しく土掘りしますからぁ!」


男は醜く引きつった恐怖の笑みを張り付け、先程までの威勢をゴミのように投げ捨てると、這うようにして点呼の列へと戻っていった。


……ラバァルは、何も特別な魔法など使っていない。一歩もこの現場には来てさえいない。

彼はただ、人間に備わる「生き延びたい、飢えを満たしたい」という根源的な本能と、「かつてない絶対的な力に守られたい」という極めて利己的で欲深い本質を、この千人ごとのキャンプという最適な環境の中に等しく配置デザインしただけなのだ。


『てめえの勝手で、俺たちの酒をマズくすんじゃねえ』


その泥臭い言葉こそが、この果て無き荒土を支配する絶対的な新しい【ルール】。

ただ他者の血と金を奪うことしか知らなかった彼らの腕力は、今や汗を流し、死んだ大地から命の麦を生み出すという【次代の目的】を持った大いなる防壁へと作り変えられたのである。


人間の業という最も不安定な素材をかき混ぜ合わせ、泥と絶望という名の鉛から、軍隊や法以上の強固な秩序おうごんを生成する。

それはまさに、人間の本質そのものを精密に弄んだ、壮大にして静かなる錬金術アルケミーの絶対的な到達点であった。


沸き立ち、熱を帯びる仮設指揮所とその背の数十年。

五年後、十年後を見据え、このノース大陸全土の海を呑み込む最大の貿易港湾を創り出そうとする巨大なエネルギーが結集していく。


技術と人が集い、鉄の規律が死んだ荒野に麦を芽吹かせる。

しかし。

彼らがこれから血と汗を流し、何年もかけて築き上げようとしているその“黄金と鋼鉄の夢”のすぐ足元の波間には――。


まだ彼らの想像すら及ばない、深く暗い海流。

どんな大国の軍艦をも凌駕する力と、絶対的で理不尽極まりない“海のルール”を持った、得体の知れない強大な存在が、口を静かに開けて待ち構えている。


熱を帯びて吹き込む南風の潮の匂いに混じる、生臭く、どこか海底の底を這うような深い腐気。

それがただの巨大なうねりの予兆なのか、それとも海そのものが彼らを値踏みしているのか。その答えを知る者は、この時のフェルスタットには未だ、誰もいなかった。





さいごまで読んで下さりありがとうございます、また次からしばらくは、鋼のアルケミスト事ロスコフ方面の話になります、見かけたらまたよんでみてください。     

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