第2章:【関ヶ原編PART2】
:ねねのハッキング術と黄金コンビ
比叡山を背に、険しくも静かな山道を下りていく二つの影があった。
漆黒の法衣を纏った天海と、その影に寄り添うように歩む巨漢・弥助。
二人が目指す先は、京の都──おねね様の隠れ家たる『京都新城』であった。
生い茂る木々の隙間から京の街並みが見え隠れする中、弥助は意を決したように、それでいてどこか穏やかな顔つきで天海に話しかけた。
「天海サマ……」
「どうした、相棒よ」
天海は歩みを止めず、深く被った頭巾の奥から優しい声をかけた。
「私は……信仰こそ違えど、既に日の本の魂もこの身に伏せ持つ、この国の人間デス」
その言葉に、天海の唇の端がニコッと柔らかく微笑んだ。
「私も既に、そう思うておるぞ。……あの長い暗闇の歳月に、よくぞ不平一つ言わず付き合ってくれたな。
お前は今、世界の誰よりも頼もしい我が相棒だ。日の本の言葉も、随分と上手くなったな」
主の温かい言葉に、弥助の大きな瞳から涙が溢れそうになる。
彼はそれを必死に堪えながら、胸の奥に溜め込んできた想いを一気に吐露した。
「これまで、共に地下で過ごして解りまシタ。……天海サマが、どれほどお辛かったカ。
あの厳しい暗闇の中での修行、夜の静寂に時折流されてイタ、あの痛切な涙……」
弥助の声が微かに震える。
「あれは、天海サマが常人には想像もつかぬ苦悩と闘いながら、激しく揺れ動きなさっていた証拠デス。
ナガ様を討たれた天海サマも、私の命をお救い下さった天海サマも、今これから何かを成されようとする天海サマも……そのすべては、決してご自身の為ではありませヌ。
すべては、この狂った日の本の世を、民を、裏から救う為デハ……」
「相棒よ……」
天海は微笑みを絶やさぬまま、弥助の言葉をそっと、しかし毅然と遮った。
「……私は、お前が思うほど大層な男ではない。ただの弱き人間よ。
私は……誰よりもナガ様を愛していた。だが、あの御方の暴走を止める術を持たなかった。まさかな……あのような凄惨な本能寺の形になろうとはな……
だが、すべてはあの千年の嘘を操る『闇(晩廷)』のせいじゃ!
私はうすうす気付いておったのだ、奴らの存在をな。……だからこそ、私なりのやり方で、歴史に完璧なケリをつける!」
天海の瞳の奥で、静かな、しかし凄まじい復讐の業火が揺らめいた。
「……この戦が終わればな、相棒よ。お前を必ず故郷の海へと送り届けようぞ。
そして……少しずつで良い、この日の本の歪んだ闇の真実を、世界へ向けて広めるのじゃ」
「て……天海サマ……」
弥助は胸を熱くしながら、大きく首を振った。
「私はアナタの為ならば、どこへでも。……でも、ありがとうございマス。
しかし、不思議なものデスね。天海サマは、あのナガ様と全く逆のことを仰いマス。
ナガ様は本能寺の夜、私に『誰にも語るな、黙っておれ』と仰ったノニ……」
「ふ……クク、そうか。それが、ナガ様とこの余との、器の違いよな……」
かつての主の優しさを思い知るように天海は自嘲気味に笑うと、再び力強く歩み出した。
「よし、参るか。
この先は……この日の本に生きる、様々な人間の醜くも愛おしい心が覗けるぞ。覚悟なされよ、相棒よ」
「ハイ! 私は天海サマとなら、地獄の果てまでどこまでも付いて参りマス!」
──こうして二人は、山道を抜け、ねねの隠れ棲む『京都新城』へと辿り着いた。
厳重な警備が敷かれた城門の前。
天海は恐れる風もなく、晩廷の公卿、そして比叡山延暦寺という裏表の最高権威が直筆で記した「ダブルの通行手形」を突きつけ、堂々と正面突破を果たした。
案内されたのは、人払いをされ、水を打ったような静寂が支配する最奥の広間。
漆黒の法衣を纏い、威厳に満ちた佇まいで立つ天海は、いまや豊臣の母たる北政所ねねと、静かに対峙していた。
深い頭巾の奥から覗く、すべてを見透かすような鋭い眼光。
天海は朗々とした、しかし地響きがするほどに重厚な声を響かせ、懐から取り出した一本の巻物を厳かに広げた。
「……ねね様。これが近く勃発する関ヶ原における、天下平定の為の絵図にございます。
タヌキへ、ねね様名義の密書を届ければ、あやつは勝利を確信し、東軍を動かしましょう。
毛利は動かさず、島津は敵中を逃がし、小早川は寝返らせる……
すべては、我が手の内にございます」
天海はこれ以上ないほど冷徹に、端的な完璧な「謎の高僧」として、淡々と国家の最高機密を説明してみせた。
喉を潰し、音を失った十八年間の地獄のような修行。
筆跡も、歩き方も、この重々しい声も、指先一つの所作に至るまで、すべての『明智十兵衛』の痕跡を抹消してきたのだ。
絶対に、この女にすら、我が正体がバレるはずがない──
天海の胸には、絶対的な確信があった。
ねねは、じっと天海が差し出したその巻物を見つめていた。
だが、やがてふっと息を吐いて手元のお茶をすすると、いつもの穏やかな、慈愛に満ちた笑顔で口を開いた。
「へぇ……よく出来た絵図だねぇ。感心しちゃうよ。……ところでさぁ、お前さん」
「は、何なりとお尋ねくだされ……」
天海がさらに声を低く響かせ、謎の高僧としての威厳の鎧をガチリと身構えた──まさに、その瞬間であった。
「フフ……お前さんさぁ、十兵衛だよね!?」
「…………は?」
天海の頭の中が、一瞬にして真っ白になった。
広間を圧していたはずの謎の高僧のオーラが、音を立てて霧散していく。
「な、何を仰いますやら。それがしは比叡山の奥底より参りたる僧、天海と申す──」
「いやいや、十兵衛だって!」
ねねはクスクスと少女のように悪戯っぽく笑いながら、天海の顔を人差し指でピシッと指差した。
「声を変えても無駄だよ。あのね、お前さん、真面目な話をするときに左の眉がピクッと上に動くの。昔からいっつもそうさ。
ナガ様に、理不尽に怒られてる時もさ、うちの旦那サルと、裏で激しく口喧嘩してる時もさ、いっつもそれ。
フフフ……懐かしいねぇ」
天海の背中に、ドッと滝のような冷や汗が噴き出した。
喉を潰し、骨を削るような十八年の地獄の擬態修行が、ねねの
「お袋の観察眼」
という、あまりに世俗的で強大な刃の前に、一瞬にして無に帰した瞬間であった。
「……あ、バレちゃいましたか?」
天海はガックリと両肩を落とすと、いつもの、あの十八年前の懐かしい地声に戻って頭を抱えた。
「昔からのクセ、どうしても抜けてないですか……ううむ、我ながらまだまだ修行が足りんな……比叡山の地下でもう十年籠るべきであったか」
頭を抱えて本気で凹んでいる七十三歳の老僧の姿を見て、ねねは「カハハ!」と膝を叩いて豪快に笑声をあげた。
──その時である。
張り詰めた空気の緩んだ広間と、外の廊下とを隔てる高級な唐紙の襖の向こうから──
ガタッ!!!
「ひえっ!? ……痛っ!」
若い女の、なんとも情けない悲鳴が響き渡った。
ねねの目が、一瞬にしてキッと鋭く据わる。
「誰だい! 豊臣の母の部屋を覗き見るとは、いい度胸じゃないか!」
バッ!! とねねが強烈な勢いで襖を開け放つ。
そこに転がり込んできたのは、平伏しながら、ガタガタと生まれたての小鹿のように震えている、美しい着物姿のおてんばな三十路──お初であった。
お初は廊下にしがみつき、泥棒猫のように必死に聞き耳を立てていたのだ。
平伏する彼女の脳内は、今しがた耳に飛び込んできた、特大の歴史的爆弾発言によって、完全にパニックを起こしていた。
(えええ!? 十兵衛って、あのナガ様を討った明智十兵衛!? え、生きてたの!?
っていうか、次の関ヶ原の戦いって最初から出来レースなわけ!? ええええ!?……
っていうか、このジッちゃんの変装を見破るねね様、マジでスゲェエエエエ!!)
お初は恐怖と興奮で顔をリンゴのように真っ赤にしながら、床の畳に額をこれでもかと擦りつけた。
「ね、ねね様! アタイ、全部、ぜ~んぶ聞いてしまいました! す、凄すぎます!
お願いです、アタイを、ねね様と、この不気味な天海様の弟子にしてください!!
天下を裏から、出来レースで動かす悪魔の方法、アタイにも教えてください!!」
あまりに唐突な弟子入り志願に、さしものねねも、呆気にとられて目を丸くした。
天海は額の冷や汗を不格好に拭いながら、畳に這いつくばるお初を、頭から爪先までじろじろと見つめ、不敵な笑みをニヤリと浮かべた。
「ほう……この跳ねっ返り娘が、あのナガマサ殿の次女、お初か……面白い。
親父殿は、糞が付くほどのクソ真面目な堅物であったが、この娘の図太さは素晴らしいな。
ふふ、血は争えんわ。……よし、ねね様、この小娘、拾って使い倒してやりましょうぞ」
そんな中、広間の張り詰めた静寂が、和やかな笑い声へと変わるその様子を、部屋の隅の濃い影の中から静観している巨大な男がいた。
そう、圧倒的な体躯を持つ男──弥助である。
実は、この弥助、廊下でお初が泥棒猫のように盗み聞きを始めた瞬間から、その気配のすべてに気づいていた。
しかし、彼は声を上げて止めるどころか、内心でニヤニヤとワクワクしながら事の顛末を見守っていたのだ。
案の定、不器用な音を立てて派手に自爆し、ねねの前に引き摺り出されたお初を見て、弥助は肩を小刻みに震わせた。
(ハハハ……コイツ、やっぱりドジを踏んでねね様に目玉を食らいやがった。
ほらな、言わんこっちゃない。ウケるな、ハハハ……)
闇の中で白い歯をいたずらっぽく剥き出し、楽しそうに一人で笑う弥助。
大人の息詰まる悪巧みの部屋は、このおてんば娘の乱入によって、一気に賑やかな豊臣の裏の作戦本部へと早変わりするのだった。
「はぁ……全く、ナガマサの娘ってのはどいつもこいつも、気が強くてお調子者だねぇ……」
ねねはポンと自分の額を手のひらで叩き、呆れ果てたように大きいため息をついた。
しかし、その双眸の奥は、我が子を慈しむように優しく笑っている。
畳に深く頭をこすりつけたまま、「弟子にしてください!」の姿勢で固まっているお初を見下ろし、ねねは不敵に、ニヤリと口元を吊り上げた。
「いいだろう、お初。天下を裏から完璧にハッキングする、この『ねねの交渉術』をお前に徹底的に叩き込んであげるよ。……ただし、最初の修行は、命がけだよ?」
「いのちがけ……っ!?」
お初が弾かれたように勢いよく顔を上げると、ねねは懐から三通の極秘の密書を取り出し、お初の目の前の畳へ、バサッと放り投げた。
そこには、ねね直筆の署名と、豊臣の裏家紋が鮮やかな朱赤の印章で捺されている。
「天海のじいさんの描いた絵図通り、これから大坂と伏見にいる『毛利』『島津』『小早川』を丸め込んでおくれ。お前が豊臣の意思を運ぶ使者さ。
そこの黒い大男を最強の護衛として連れていきな。……これが、お前に課す最初の任務さ」
「ええええっ!?
ア、アタイが、あの猛猛しい大名たちを相手に裏取引を!?」
お初が目を丸くして完全にパニックになっていると、横から高僧・天海が、しわがれた声でクククと喉を鳴らした。
「案ずるな、お初殿。
島津の義弘という男は、言葉の羅列よりも『肉体の強さ』を信じる男。弥助が島津の精鋭兵どもを相撲で全員ブチのめす手筈になっておる。
其方はただ、ねね様の密書を最高のドヤ顔で突きつければよいだけよ」
「チョッ! 天海サマ! ご勝手な……ワタシを相撲取りにデスカ…?」
影から弥助が不満げに口を尖らせたが、その顔はどこか楽しそうだ。
しかし、お初は興奮の冷めやらぬ脳裏で、ふと、現実的な大問題に気がついてサーッと顔を青ざめさせた。
「あ、あの、ねね様……アタイ、自分の立場ってものをすっかり忘れてました。
アタイは今、夫の京極高次と一緒に、滋賀の大津城に籠城して西軍を引きつける約束になってます!
アタイが城を抜け出して大坂や伏見でウロウロしてたら、夫にも、あの真面目なツナリにも一発でバレちゃいます……!」
お初の必死の訴えに対し、ねねはフンと鼻で笑うと、パチンと小気味よく指を鳴らしてみせた。
「だからさ、大津城には『影武者』を置いてしておくんだよ」
「影武者!? アタイの代わりが務まるような、気品と色気が溢れ出る美魔女が、あの大津城にいるんですか?」
「フフ……言うじゃないか。だが心配無用さ、女子じゃない。……大津城の留守を預かっている、高次の年の離れた従兄弟さ。ほら、京極主水がいるだろう」
「も、もんどぉおおおっ!?!? 髭面の、あのムサ苦しさの権化みたいなオヤジですかっ!?」
お初がひっくり返ったような悲鳴をあげた。
しかしねねは悪びれもせず、むしろ悪魔のような満面の笑顔で深く頷いた。
「そうさ。大津城の天守閣なんてねぇ、遠くから見たら男か女か分かりゃしないんだよ。
主水にきらびやかな極彩色の着物を着せて、特製のカツラを被せて、部屋の最奥でじっと座らせておけばいいのさ。
ツナリの西軍が大軍で大津城を包囲しても、『おお、お初様が城の奥で気高く籠城しておられる!』って、敵も味方も勝手に勘違いして震え上がってくれるさ。
主水には『天下の為だ、女装してジッと耐えろ』って、私から直筆で命令書を書いておくから大丈夫さ」
「主水さん……可哀想に……」
お初は、自らの知らぬところで「女装させられて大軍に囲まれる」という、前代未聞の過酷な運命に強制的にハッキングされようとしている哀れな親戚のオヤジを想い、そっと目元を袖で拭った。
「よし、話は決まりだね!」
ねねはパンと小気味よく手を叩いた。
その瞬間、お袋の顔から、一気に日の本の裏を統べる天下のトップレディの冷徹な顔へと切り替わる。
「お初、弥助! 今すぐ大津城へ行って主水に衣をまとわせたら、そのまま大坂城へ飛びな。
ツナリが『正義』とやらに都合よく酔いしれて踊っている間に……私たちは裏から、この国を完璧にひっくり返すよ!」
「おお~~っ!!」
お初と弥助、二人の声が力強く重なった。
歴史の裏側を縦横無尽に駆け巡る、異色の最強『黄金コンビ』が、この瞬間に誕生したのである。
広間を辞し、廊下へと向かう二人の背中を影から見送りながら、天海がぽつりと、心配そうに呟いた。
「……しかしねね様。主水殿の女装は、さすがに無理がありませんか?」
「いいんだよ、関ヶ原なんてどうせ半日で終わるんだからさ。その半日の間だけ、バレなきゃいいのさ。カハハ!」
京都新城の奥深く、二人の老獪な笑い声が響き渡る。
──そして、ねねの仕掛けた前代未聞の「影武者作戦」は、驚くべきことに、何一つ事無きを得て成功を収めることとなる。
主水は泣く泣く、豊臣の母の命令書を前に渋々と引き受けた。
だがしかし、蓋を開けてみれば、それは見事なまでの完璧な美女への変貌であった。
──ただ一つ、武人としての圧倒的な「肩幅」を除いては……
大津城で、西軍を引きつける罠が、無事完了したとの報せを受けた、京都新城の広間。
ねねはお茶をすする手を止め、妖しく瞳を光らせて正面の高僧を見つめた。
「さて……十兵衛。あの夜、本能寺からのカラクリをじっくり聞こうじゃないか。お前さんが隠してる事……全てをね。フフフ」
「ねね様には適いませんな……」
二人の間に流れる空気が、一瞬だけかつての戦友のそれへと戻る。
天海は頭巾の奥で苦笑を漏らし、ふっと視線を外へと向けた。
「……しかし相変わらず、真っ直ぐで、じゃじゃ馬な良い娘に育ちましたな、ねね様」
「ええ。あの子のあの物怖じしない気概は、誰に似たのかしらね」
二人の老いたハッカーたちが、ふっと張り詰めた空気を緩め、誰も知らない昔話に花を咲かせようとした、まさにその刹那であった。
パチリ! と、静かに行間が揺れ、閉まったはずの襖がヒョコッと開いた。
旅立ったはずのお初が、悪戯っぽく笑いながら、頭だけを部屋の中に覗かせたのだ。
「あのう、天海様!
一つだけ、どうしても確かめたいことがあって戻ってまいりました」
天海が頭巾の奥の目を丸くする間もなく、
お初は懐から、長年大切に紐で首からぶら下げていた、小さな小さな、古びた白絹のお守り袋を取り出してみせた。
「天海様、コレを……覚えておいでですか?」
お初がその小さな袋の口を開けると、中から現れたのは、白く、しかし気高く磨かれた、小さな一つの骨の欠片であった。
「あの日、本能寺の夜から数日後……母が涙を流して、私たち三姉妹に『これがお前たちの父上、ナガマサ様の真の魂だ。
明智の十兵衛というお方が、命を懸けて護り、私たちに届けてくださったのだ』と、授けてくれた形見にございます。
私は……私は、あれから四半世紀……ずっと、ずっとこの父の骨を、一日たりとも肌身離さず身に付けて生きてまいりました」
天海は、言葉を失った。
頭巾の奥の双眸が、激しく、激しく揺れ動く。
「お初殿……お主、そうか……あれからずっと」
「ウフフッ、怪僧天海様が、どれほど頭巾で顔を隠そうとも、その底無しの優しい目の光までは完全に消せませんわ。
父の魂を……そして私たちナガマサ家の血脈をこれまで裏から護り続けてくださり、本当に、本当にありがとうございました。
ハイ、それではっ!
日の本の正義の為、弥助と二人、裏からブチ壊しに行ってまいります!」
お初は最高の笑顔で深々と一礼すると、今度こそ、風のようにパッと部屋を去っていった。
静寂が戻った京都新城の奥の間。
天海の、かつて魔王の横で冷徹な図面を描いていたはずの老いた目から、堰を切ったように一筋の熱い涙がぬるりと伝い、畳へと落ちていった。
「……ナガマサ殿。あなたの不滅の魂は、今もあの子の中で、寸分も曲がらずに生き続けておりますぞ……」
ねねは何も言わず、ただ愛おしげに天海の肩に優しく手を置いた──
:大坂城潜入と毛利無力化
──ところ変わって。
いまやタヌキを打倒せんとする西軍の本拠地、そして豊臣の威光が残る巨大要塞──大坂城。
その堅牢なる大手門の手前では、西軍の主力たる毛利の兵たちが、鋭い槍の穂先を幾重にも構えて物々しく周囲を警戒していた。
緊迫した空気が漂うその街道の向こうから、優雅に歩み寄ってくる一人の女子と、その背後に影のようにそびえ立つ巨漢の姿があった。
お初と、その背後には、ノシノシと付き従う弥助である。
「止まれッ! ここは西軍総大将・毛利輝元様がおわす大坂城なるぞ! 何用か!
一介の女子と正体の知れぬ異国の男など、おいそれと通せるわけがなかろう!」
兵士たちが色めき立ち、槍を突き出して威嚇する。
しかし、お初は臆する風でもなく、フンと鼻で笑うと、腰に手を当てて傲然と門番を睨みつけた。
(──あなたたち、アタイを誰だと思ってるのよ? ……と、タンカを切りたい所だけど、これは、アタイの使者としてのデビュー戦。
ねね様に叩き込まれた通り、スマートにいかなくちゃねっ)
お初は一瞬にして表情を切り替えると、淑やかな、美しい笑みを浮かべて声を弾ませた。
「あらあら、物騒な槍をお下げなされ。恐ろしいことですわ。
私は、この大坂城の主であらせられる茶々・淀殿の、実の妹のお初にございます。
今日は姉上にどうしても外せぬ所要がございまして、福井から参りましたの。ここを通して頂けます?」
「よ、淀殿様の、御妹君……っ!?」
その言葉を聞いた門番たちは一瞬にして顔を青ざめさせ、ガタガタと膝を震わせ始めた。
いくら西軍の大軍といえど、城内で絶対的な権力を握る淀殿の妹を追い返すなど、万死に値する暴挙。
さらに、お初の背後に立つ弥助が、「通せ」と言わんばかりに、底知れぬドスの利いた眼光で、門番たちを上から睨み下ろす。
「ひ、ひぇっ! ……失礼いたしましたっ! ど、どうぞお通りくださいませ!」
兵士たちは悲鳴をあげるようにして、重い城門を大慌てで開け放った。
「ウフフッ、ごめんあそばせ」
お初は澄ました顔で門をくぐり抜けながら、恐怖に縮み上がっている門番の目の前で一瞬立ち止まる。
すかさず、茶目っ気たっぷりに首を傾け、左目をパチッと閉じてウィンクしてみせた。
それに続く弥助も、すれ違いざまに門番の頭を、大きな手で優しく「ポンッ」と撫で、白い歯を見せて笑う。
城内へ侵入を果たしたお初と弥助は、案内される茶々の部屋へと向かうと見せかけて、
最初から標的を絞り、全軍の指揮を執る総大将──毛利輝元の執務室へと鋭く突入した。
バタンッ!! と勢いよく開いた扉。
部屋の奥にいた毛利輝元は、突如として目の前に現れたお初と、
室内の明かりをすべて遮るほどに巨大な、黒檀のごとき弥助の巨躯を見上げ、情けない声をあげた。
「ひゃっ!? な、何事じゃ、曲者かッ!」
椅子からひっくり返りそうになる総大将を見下ろし、お初は不敵に微笑んだ。
「輝元殿、お久しぶりね。大役をお引き受けになってやる気満々のあなたへ、ねね様から最高の『ご褒美密書』を持ってきたわよ」
お初はねね直筆の書状を、輝元の目の前の机へと「バシッ!」と小気味よく叩きつけた。
輝元は腰を抜かしたまま、恐る恐るその書状を開き、目を皿のようにしてその墨痕を読み進めていった。
そこには、豊臣の母・ねねからの、冷徹極まりない、しかし輝元の本質を完璧に突いた言葉が並んでいた。
「輝元へ。お前がツナリに担がれて、西軍の総大将なんて大役を引き受けたのは、幼き秀頼を守るためだろう?
だったら、関ヶ原の戦いが始まっても、お前は大坂城から一歩も動いてはならないよ。
秀頼公の盾として、この城で美味い飯でも食うて引きこもっていなされ。
関ヶ原の現場前線にいるお前の従兄弟・吉川広家には、
私とタヌキ殿から『毛利の軍を絶対に動かすな』と既に秘密裏に命令を出してある。
お前が大人しく城で飯を食うていれば、戦後、タヌキが天下を取っても、毛利の領地はお救いするとタヌキと私が約束しよう。
ツナリの一人相撲に付き合って、毛利の家を滅ぼすことのないようにね。……もっと自分に自信をもちなさい!」
じっと読み終えた輝元は、じわっと額に大量の脂汗を浮かべた。
彼はもともと、自ら血を流して戦うことを望まぬ、極めて気が小さい平和主義の男である。
前線で実戦を預かる吉川広家がすでに東軍と完璧に内通していること。
および、ねねとタヌキの連名から「城に引きこもっていろ。そうすれば家を安泰にしてやる」
という、これ以上ない完璧な免罪符をもらったことで、輝元の心は一瞬にして決まった。
「お、お初殿……これ、本当に、あのタヌキ殿も承知の上、約束されたことなのだな……?」
お初は誇らしげに腕を組み、ニヤリと唇の端を吊り上げた。
「ええ。タヌキの元には今頃、ねね様が放った隠密が、まったく同じ内容の書状を届けているわ。
あなたがこの大坂城の奥で、ボケ~っと美味い飯を食って寝ていれば、それだけで毛利の家は未来永劫安泰よ。
西軍の総大将が、最初から一歩も動かない出来レース。最高でしょう?」
輝元の顔から、それまでの天下の命運を背負わされていた強烈な緊張が、一瞬にして霧散した。
「ほ、本当か……! ああ、良かった……!
私は戦に出なくていいんじゃな……! 命を狙われんですむんじゃな……!」
総大将は、情けないほどにホッと安堵の胸をなでおろした。
その様子を後ろの影から静観していた弥助が、呆れ果てたように肩を揺らしてクククと笑い、お初に向かってボソリと囁いた。
「おい、お初。このボス輝元、本当に西軍のトップか?
出来レースだと聞いた瞬間に、顔が嬉しさでフニャフニャに緩んでるゾ」
「いいのよ、弥助。こういうおじさんだからこそ、ハッキングしやすいんだから」
お初はふにゃけた輝元に向き直ると、ビシッと鋭い人差し指を突きつけた。
「いいわね、輝元殿!
当日、前線のツナリから『大坂城から至急出陣してください!』
って、何度も何度も必死の使者が来るでしょうけど、全部無視して、お腹でも痛いフリをして寝てなさい!」
「う、うむ! 分かった! 私は何があっても、絶対にこの大坂城を動かんぞ! 腹痛を突き通してみせる!」
こうして、西軍の総大将である毛利輝元へは、お初のお姉ちゃんパワーを利用した大坂城内フリーパスの威力。
および、ねねの冷徹なサバイバル戦略によって、合戦が始まる前、完全に無力化されたのである。
:島津の陣と弥助の無双相撲
──ところ変わって、京都・伏見近郊の島津軍の陣営。
パキパキと焚き火が爆ぜる不穏な空気の中、お初と弥助は、西軍最強と恐れられる薩摩の猛将──島津義弘の前に立っていた。
島津の兵たちが「ねね様の使者が女子と黒い大男だと?」
と、ギラついた目で武器を構える中、お初は凛とした態度で、ねねの密書を差し出した。
「島津殿。ねね様からの伝言にございます
関ヶ原において、戦が始まったら、一切の戦いを無視し、静観を保ち続けるように。
タヌキ陣による空鉄砲の合図により小早川の裏切りが始まります。
西軍は壊滅状態に陥り敗戦濃厚になる事は間違いありません。
勝負が決する頃合いを見て前方を陣取るタヌキ軍を真っ直ぐ突き抜けて薩摩へお帰りなされ。
決して誰も追わせませぬ……」
お初は、ねね様から叩き込まれた堂々たる口調で続けた。
「見返りには、タヌキ政権が続く間は、薩摩には立ち入らない事をお約束します。……程よく独立国を造られますよう」
お初が堂々と語る通り、ねねからの手紙をじっと読んだ島津義弘だった。
しかし、フンッと鼻を鳴らして密書をへし折らんばかりに握りしめた。
「我ら島津軍は、かつてねね様に島津家滅亡の危機をお救い頂いた。
感謝してもしきれぬ……そんなねね様からの慈悲はありがたいがな……
我ら島津は武を以て生きる者だ。
文字の書かれた紙切れ一枚と、か細い女子の言葉だけで、戦場を引き返すわけにはいかんなぁ……!」
──張り詰める空気。
島津の兵たちが一歩踏み出した、その時。
お初の斜め後ろから弥助が静かにヌシッと前に出て胸を張った。
俺の出番だ! といわんばかりに指をポキポキ鳴らし、肩をグリグリ回しながら首を傾ける。
「島津のボス。あんた、強い奴が好きなんダナ?」
弥助はそう言うと、上半身の衣類をバラリと脱ぎ捨てた。
松明の炎に照らされたその肉体は、筋骨隆々、まるで黒い鋼鉄の塊のようだった。
四十五歳の働き盛り、男の肉体が最も熟成した、圧倒的な威圧感。
「言葉はいらナイ。相撲をしよう。
私が勝ったら、ねね様の言う通り、敵陣を真っ直ぐ突き抜けて帰りなサイ!」
義弘の目が、らんらんと輝いた。
「ガハハハ! 面白い!
異国の巨漢が相撲を挑むか! おい、お前たち、この黒大男をひねり潰してやれ!」
「チェストォオオオオッ!!」
漆黒の夜気を切り裂く地鳴りのような叫び声をあげ、島津軍随一の体躯を誇る巨漢の武将が、地を蹴って弥助へと弾丸の如く突っ込んだ。
ドォン!! と、肉体と肉体が激突する、凄まじい鈍音が響き渡る。
──しかし、弥助の足は一歩も引かなかった。
立ち合ったまさにその一瞬で、勝負の天秤は完全に決していたのだ。
弥助は突進の衝撃を涼しい顔で受け止めると、余裕の身のこなしで相手の太い帯をガッチリと両手で掴みとった。
「ハァー! アイヤーッッ!!」
──咆哮一閃。
弥助が全身の筋肉を爆発させると、薩摩が誇る猛武将の身体は、
まるで千切れた紙屑のように軽々と宙へと放り投げられ、激しく地面に叩きつけられた。
ズドンッ!!
割れんばかりの地響きが陣営に鳴り響く。
弥助強し……!!
それは当然の帰結であった。
「な、何ちゅう怪力じゃ……! 人間の力ではなか……!」
島津の兵たちがザワザワと恐怖にどよめき、後ずさりを始めた。
「次、来い!」
弥助は左手首をクイッと動かして挑発し、ニヤリと白い歯を見せて煽り立てる。
──その後は、まさに弥助の独壇場、無双の一方的な試合であった。
薩摩自慢の猛者たちが、次から次へと突撃しては、弥助の圧倒的なパワーと、
あの本能寺の死線を潜り抜けた実戦の軽やかな足捌きによって、
文字通り「ゴロゴロ」と地面を転がされていく。
その様子を、お初は誇らしげに腕を組み、最高のドヤ顔で見守っていた。
「ほ~らね、言ったでしょ~?」
やがて、ついに誰も立ち上がれる者がいなくなった時、島津義弘は、腹を抱えて大爆笑しながら立ち上がった。
彼は自ら大きな酒樽を軽々と抱え上げると、弥助の元へ歩み寄ってきた。
「ガハハハハ! 素晴らしい!
これほど骨のある、見事な漢を見たのは一体何年ぶりじゃ!? 気に入ったぞ!
おい、黒き大男……いや、弥助と言ったな! 薩摩の酒を、遠慮なく呑まんかいっ!」
義弘は大きな器に地酒をトクトクと豪快に注ぎ、弥助に手渡した。
弥助はそれを一気に飲み干し、「プハァッ!」と激しく息を吐いて不敵に白い歯を見せた。
義弘は弥助の太い肩をバンバンと叩きながら、お初に向かって、不敵にニヤリと笑ってみせた。
「よし! おねね様のこれまでの大恩と、この弥助の凄まじい漢気に免じてやろう。
その『出来レース』我ら島津も一枚乗ってやろうじゃないか!
関ヶ原では陣を動かさず適当にウロウロして、西軍の敗戦を見届けてやる。
それから、敵のド真ん中をチェスト突撃でブチ抜いて薩摩へ帰る!
この、ド派手な退却戦を見せてやるわ! 薩摩独立の約束も、遠慮なく頂いたぞ!」
「ふふ、交渉成立ね」
お初は心の中で小さくガッツポーズを決めていた。
(──よしっ、ねね様の交渉術、もう一歩大前進!)
赤々と爆ぜる焚き火の明かりの下、弥助と島津の兵たちは、さっきまでの殺し合いの空気が嘘のように、
互いに肩を組み合っては豪快に酒を酌み交わし、「ガハハ!」と笑い声を響かせ合うのだった。
:小早川の陣・母の愛と涙の決意
──ところ変わって。
京都、伏見城を幾重にも包囲する、西軍の大陣営。
その騒然とした一角に、小早川秀秋の天幕はあった。
19歳の若き総大将──金吾秀秋は、寝所の片隅で青白い顔をして頭を抱えている。
「どうすればいい……どうすればいいんだ……ッ!
西軍のツナリ殿は『豊臣のために命を懸けて戦え』と真っ直ぐな目で迫ってくる。
だが……東軍のタヌキ殿からも『裏で内応しろ』と、脅迫じみた矢の催促が絶え間なく飛んでくる……
僕がもし選択を間違えたら、小早川の家は一瞬で潰れてしまう……うう、怖くて……本当にお腹が痛い……っ」
精神的にも肉体的にも完全な限界を迎え、恐怖を紛らわせるために好物の酒を煽ろうとしている。
秀秋が震える手を伸ばし、あの時の小鹿のようにガタガタと身を震わせていた。
──まさに、その時であった。
バッ!!!
天幕の分厚い布地が強烈な勢いで跳ね上がり、夜風と共に凛とした、涼やかな声が室内に響き渡った。
「おやめなさい、金吾秀秋殿! アタイのようにガタガタ震えるのは十年早いわよ!」
「ひえっ!?」
不意の怒声に、秀秋は文字通り飛び上がって驚いた。
夜の闇を背に浴びて立っていたのは、堂々たる佇まいを見せる大人の顔をしたお初。
そしてその背後には、天幕の天井に頭が届かんばかりの巨躯を誇る、漆黒の横綱気取り──弥助がそびえ立っていた。
周囲の小早川の近習たちが「曲者ッ!」と叫んで一斉に刀を抜きかける。
しかし、弥助がフンと鼻で笑い、その黒檀のごとき体躯でズイと一歩前に出ると、室内の空気が一瞬で凍りついた。
島津の猛者たちを投げ飛ばした力士である。
その圧倒的な威圧感に気圧され、近習たちは指一本動かすことができず、ただ立ちすくむ。
「お、お初の姉上……!? な、なぜここに……
というか、その、後ろにいる黒い大男は、まさか本能寺の……!?」
完全にパニックを起こして目を白黒させる秀秋の前に、お初はズカズカと迷いのない足取りで歩み寄る。
そして、その胸ぐらをグッと力強く掴みあげた。
「この意気地なし! 何が『お腹が痛い』ですか!
ツナリとタヌキの間に挟まれて、ビビって右往左往するなんて、
天下のねね様を育ての親に持つ男のすることですか!」
叱りつけるお初の顔は、すっかり豊臣の意思を継ぐ「大人の姉」のそれであった。
這いつくばる秀秋を、厳しくも温かい眼差しで見下ろす。
「だって、だって……っ! どっちに付いたって地獄だ!
僕が何を言っても誰も信じちゃくれない! 僕は……僕はどうすればいいんだ!」
秀秋が涙目で叫ぶと、お初はその胸ぐらをパッと離した。
おもむろに、懐から取り出した最後の一通の極秘密書を、彼の青白い額へ「ビシッ!」と容赦なく叩きつけた。
「分かったから、これを読みなさい!
ねね様からの、アンタの人生への『答え合わせ』よ!」
秀秋は額の紙切れを震える手で受け取り、開いた。
そこには、幼き頃から慣れ親しんだ、育ての母・ねねの、温かくも力強い直筆の文字が、美しい墨痕のまま真っ直ぐに並んでいた。
「金吾へ。お前が夜中に独りで泣いて、お腹を痛めていることなど、この母には全てお見通しだよ。
迷うことはない……
タヌキに付きなさい! ツナリの言う『豊臣のため』など、ただの融通の利かぬ一人相撲になるのさ。
関ヶ原の戦いが始まったら、お前は、まずは戦わず、山の上からじっと戦況を見守っておくんだよ。
そして、局面を迎える頃、タヌキの陣から『寝返れ!』の合図として空鉄砲が三発飛んでくるはずだ。
それを聞いたら、西軍を横合いから一気になぎ倒しておしまい。
毛利も島津も、すでに私が裏で手を回して、お前の寝返りをすべて黙認するよう話を完璧につけてある。
お前は卑劣な裏切り者になんてならない……天下を最速で終わらせる『英雄』になるのだよ!
大丈夫、私がついている。安心して、自分の信じる道を堂々と駆け抜けなさい」
読み終えた秀秋の大きな目から、大粒の涙がポロポロと畳へ向けて溢れ落ちた。
ツナリからもタヌキからも、ただの都合のいい「駒」としてしか見られていなかった、孤独な自分。
だが、ねね様だけは違った。
一人の「我が子」として自分の隠した恐怖を知り、完璧な必勝の逃げ道を裏で用意してくれていたのだ。
「ねね様……ああ、ねね様……っ!」
秀秋は密書を自らの胸に強く抱きしめ、子供のように声をあげて声を枯らして泣いた。
お初はその様子を優しく見つめ、そっと秀秋の華奢な肩を叩いた。
「分かったら、涙を拭きなさい。
当日、アンタが合図を境に西軍を横突きにすれば、あの関ヶ原はわずか半日で終わるわ。
豊臣の血──秀頼公の命を完璧に守りつつ、日の本をこれ以上の戦火から救い、平和な世にする唯一の方法よ」
横で静かに聞いていた弥助が、ズイっと秀秋の前に視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
そして、その大きく、温かな黒い手を、秀秋の頭の上に「ポン」と優しく置いた。
「金吾。ねねの言う通りにシロ。お前は、一人じゃナイ。お前ならば、きっと出来るはずダ」
秀秋は着物の袖で乱暴に涙を拭った。
その瞳から少年の脆さが消え、一人の「総大将」としての覚悟の顔へと生まれ変わっていく。
「……うん。分かった。僕、やるよ。
関ヶ原では、タヌキ殿の鉄砲を合図に、大谷吉継の陣──西軍へ突撃する!
ぼ、僕は……僕は、天下を終わらせる英雄になるんだ!」
お初はフッと美しく微笑み、心の中で小さく拳を握りしめた。
(よし……! これで三通の密書、すべて完了……!)
ねねから授かった、重大な密命。その完全なる成功を、お初はここに確信した。
こうして、関ヶ原の戦いを、わずか半日で終わらせるための最後のピースは、
お初と弥助の手によって、戦う前に完全に書き換えられたのである。
歴史の裏側で、完璧なる出来レースの糸が、着々と、不気味に手繰り寄せられていく。
一方、その裏工作が完璧に完了したとも知らず……
あの佐和山城の陣営で、泥にまみれて「現場の力」を極限まで鍛え上げているツナリたち。
彼らもまた、自らの『義』のために激しく動き出そうとしていたのだった──
すぐに続きをどうぞm(_ _)m




