第二話
後ろを振り向くことなく食堂から走って逃げたミリアンナ。
屋敷の庭の端っこ。
今は亡き両親や祖母と過ごした古い東屋。
「……此処があって良かった……」
そんな東屋の側にある小さな小屋。
其処には、祖母や母が残した数多の書物が並ぶ本棚があった。
「よいっしょ……!」
錆び付いた扉や窓を開けて換気する。
風に飛ばされたホコリが舞う。
「……お祖母様……ありがとうございます……!」
自分のことは自分でしなさい。
名目は侯爵令嬢であっても、小国に属する貴族でしかないフランソワ侯爵家。
大国に囲まれた小国など、未来にどんな運命が待ち受けるかわからないと厳しく育てられていた。
「…………」
たくさんある本を見上げる。
この本の中には、食べられる野草、野営の手引きなどなど。
これからのミリアンナに必要なものが山のように詰まっていた。
「取り敢えず、火の起こし方と食べれる野草を探さなきゃ……」
「いやいや。
一応なりとも、貴族のご令嬢が野草って……!」
「だれっ?!」
小屋の中に響いた笑い声。
「こんにちは、お嬢さん」
「きゃんっ?!」
闇から溶け出たように。
ミリアンナの背後に気配が現れ、耳元で囁かれた。
「おや……?
面白いほどに元気の良いお嬢さんですね」
「あっあああ、あなたっ!
どこの誰よっっ!!」
クスクスと笑う美少年。
紫かがった黒髪。
紫水晶のような瞳。
「んー?
僕と君は初対面ではないてすよ?」
飛び上がって驚き、子猫が威嚇するように毛を逆立てるミリアンナ。
「は?」
初対面ではないという言葉に記憶を漁る。
こんな綺麗な顔を忘れるとは…………あ。
「え……あれ?」
小さい頃。
それこそ、まだ……祖母が生きていた頃に会ったことが……あれ?
「……ねえ……もしかして……紫苑、くん?」
「ええ!
……やっぱり覚えていましたね。」
にっこりと微笑む紫苑。
「……いやいやいや!
もし本当に紫苑くんなら!
全然成長してないよっ!」
十を過ぎたばかりのミリアンナと同じか、少し上の年頃に見える紫苑。
「ああ、その理由ならば……」
「理由ならば?」
「……気にしたら、大きくなれませんよ?」
にっこり。
小首を傾げて笑う紫苑。
「……いや、関係ないと思う。」
ジト目でツッコミつつも、ため息を付いて引き下がる。
「おや……もっと聞いてくると思ったのですが?」
「……教えてくれる気なんて無い癖に。」
唇を尖らせて、紫苑に背を向けて本を漁り出す。
「私は、生きるか死ぬかの瀬戸際だから……貴方のお遊びに付き合う暇なんてないもん」
「…………」
紫苑の口角が上がる。
「…………そういう所が、面白いんですよねぇ。」
ゾクリ。
「っ?!」
振り返る。
「どうかしましたか?」
振り返った先の紫苑は、人畜無害な微笑みを浮かべて首を傾げている。
「……いや……気の所為、かな……?」
気の所為……だと、思いたい。
これ以上の面倒事は……御免被る!
「……何をしているんですか?」
紫苑の存在を無視して、本を頁を捲くる。
「……言ったでしょう。
私は、生きるか死ぬかの瀬戸際なの!」
食べれそうな草……
「あんな……あんな奴らに、負けてたまるもんですか……!」
唇を噛みしめる。
耐えていた涙が溢れそうになって。
「(泣くな!泣くな!泣くな!)」
……泣いたって、助けたくれる……味方は一人もいない……!
「(……婚約者だっていう……王太子様だって、当てになんかならない……!)」
婚約者と言いながら、父親の存命中も……義母妹をチラチラと見ていた王太子。
「(……お父様が亡くなった以上……味方なんて、いないと思っておかないと……)」
「味方ならば、いますよ」
静かな声音。
「僕が君の、ミリアンナの味方です」
紫水晶のように美しい瞳を細め、微笑む。
「っ……なに、を……」
味方だという言葉に、泣きそうになる。
「だって……僕のお嫁さんになってくれる約束でしょう?」
「……は?」
涙が引っ込んだ。
侯爵家の庭園の端っこ。
人間達に忘れ去られた東屋に。
ミリアンナの驚きの悲鳴が響き渡るのだった。




