3-08 初夜のご主人様の部屋から「愛することはない」とか聞こえてくる!
アンナの仕える侯爵様が、やっと結婚した。
お嫁様の初夜準備を終え、侯爵様を迎え入れたその扉の前で、アンナは一晩寝ずの番をする。
ところがその扉の中から
「愛することはない」
とか聞こえてきた!
これ、今流行りの恋愛小説であったヤツ!
ご主人様が、『ざまぁ』されちゃう?!
アンナは驚き、他の使用人の所へ駆け出した。
結婚式に招待されなくとも、アンナはご機嫌だった。やっと我が家のご主人様が結婚なさったのだ。
30半ばのアンナより、いくばくか年下なだけのご主人様、オルギン侯爵家の当代クラウディオ様は、社交界ではまだまだ若手と言えども婚期という意味では若手ではない。この国では貴族は20歳過ぎには結婚しているものだ。
それが30を過ぎても、となると悪い噂も出る。
確かにご主人様は無愛想である。
だが、悪い人ではないのは、アンナがよぉく知っている。ちょっぴり不器用なだけなのだ。
アンナだけではない。彼に仕えて長い使用人は、全員が彼の良さを知っている。
どんなに無愛想でも、どんなに不器用でも、彼は彼なりの優しさをしっかりと見せてくれるのだから。
だから使用人は、いつかきっと、ご主人様にも素敵な相手がやってくるだろうとわかっていた。
まぁ、わかってはいた。焦りはしたが。
焦ってもどうしようも無い、と思えど、悪い噂が聞こえる度に憤ったものだ。
それももう昔。
ご主人様は出会ったのだ。運命の相手に。
それが今日、結婚式をあげた相手である。
マルグリット・ダンヒル様。伯爵家令嬢である。
年齢は21。ご主人様とは10も離れているが、結婚適齢期からは少し過ぎている。
その理由は、後継である弟の代理で、伯爵領を支えていたから。弟が育ち、後継として立てるようになったゆえに、彼女は家から離れるために、嫁入り先を募った。
政を行える令嬢など、さして多くない。いや、王の代理を務めることもある王妃という立場ぐらいしか思いつかない。
そんな女性を、受け入れられる家はなかなか無かった。
それは、このオルギン侯爵家でも、そうである。
クラウディオ様は文武両道を行く方で、若く侯爵家を継いだあとも、難なく領政を行ってこられた。
女主人に政の知識がなくとも、全く困らない、いや、あるからと口を出されても困る方の家である。
だが、ご主人様は彼女とお見合いなさった。紹介者に恩義があったから。
そしてその場で運命を感じられたという。
その日からご主人様は、不器用ながらもウキウキして、マルグリット様に尽くし始めた。プレゼントは何がいいだろうか。デートはどこへ行こう。服は見苦しくないだろうか。この花はどうだろう。
毎日いみじくも努力して、彼女の心を掴もうとなさっていた。
プロポーズを受け入れてもらった、といった日には普段の無愛想がすっ飛んでいた。
マルグリット様がこの館に初めて訪れてくださった時には感動した。役柄は侍女頭とはいえ、使用人の1人にすぎないアンナにも、丁寧な所作で挨拶し、笑いかけてくださったのだ。
こんな素敵な方が、とすっかり舞い上がってしまい、台所のヘンリーにフライパンで小突かれてしまう程だった。
そんな、マルグリット様と我が家のクラウディオ様の結婚式である。
アンナは浮かれていた。
「アタシが、初夜の番を」
初夜には扉の前で寝ずの番をする者が必要である。不届き者が押し入らぬように。そして、確かにふたりが結ばれたという証人のためにである。
これは嫁側の侍女が選ばれることが多いのだが、マルグリット様の侍女はまだまだ年若く、初夜の睦ごとをまた聞くには酷であるという理由で、クラウディオに幼い頃から仕えている既婚者のアンナに白羽の矢が立った。
「お二人が結ばれる神聖な場に立ち会えるなんて」
アンナはさらに浮かれて、けれども侯爵家の侍女頭として、しっかりと役目を果たした。
初夜の閨をマルグリット様の侍女と共に整え、マルグリット様が結婚式から戻られたあとの支度を手伝い、クラウディオ様が閨を訪れてから、侍女と二人、礼をして部屋を出た。
その扉の前で、侍女と別れてから、扉前に置かれた椅子に腰掛ける。
と、腰掛けた途端に、うっすらと中の会話が聞こえてきた。
さぞロマンチックな会話がなされているのだろう、と笑みを浮かべようとした、その時に……。
「きみ…を……愛することはない!」
確かにご主人様であるクラウディオ様の声で、そう聞こえた。
え、とアンナが思考を停止しかけた所で、
「問題ありませんわ」
と、マルグリット様が艶やかに返したのが聞こえた。
アンナはたちまち固まった。
これ、これ。今ちまたの小説で流行ってるやつ!
平民の上流階級から貴族の下級階級の婦人令嬢辺りで、流行っている小説がある。
突然婚約破棄された女性が幸せを手に入れるものと、結婚相手に「愛することはない」と無碍にされた女性が幸せを手に入れるものである。
その中で「愛することはない」と言われたのに、主人公は全く意に介さないというのは最新の流行で、強い女性像に憧れる層にウケている。
アンナは血の気が引いた。
まさか、ご主人様が。
ご主人様はマルグリット様を愛おしく思われているのだと思っていた。でも、このセリフが出てくるということは。
アンナは堪らず駆け出した。
少し離れた場所で見張る私兵に、扉を自分の分も見張ることを言いおいて、使用人のダイニングまで駆け下りた。
そこにはいつものメンバーが揃っていた。
料理番のヘンリーと、メイド長のポーレット、家令のリクハルドである。
「大変! 聞いてちょうだい!」
「なんだ、どうしたアンナ」
「あんた寝ずの番をしてたんじゃないかい」
「おやおや」
「その閨から「きみを愛することはない」とか聞こえてきたんだよ!」
「は?」
「はい?」
「なんだって?」
ポーレットは片眉を上げて疑わしそうに聞いた。メイド長のポーレットは、表では上品な言葉遣いをするのに、裏ではハスっぱな言い方をする。リラックスしている彼女の癖である。
「どういうことだい? それは、まさかご主人様が?」
「そうだよ、確かにクラウディオ様の声だったよ」
震えるアンナに、リクハルドは、ポットからお茶を一杯入れてくれた。
「クラウディオ様は確かにマルグリット様を愛しておいでのはずだ」
「そうだよ、アタシだってそう思ってた。でも」
アンナはリクハルドの入れてくれたお茶が置かれた席に座り、両腕で頭を抱えこんだ。そこにヘンリーが眉をひそめた。
「そうじゃなかった、ってことか? そんなバカな」
しばしの沈黙。
四人はそれぞれの席でお互いの顔を伺う。
「愛しておいでのはずだと思ったのに。でもちがったのなら」
「何か利用価値があって婚姻した、ということかねぇ?」
「マルグリット様に? いやぁ、あんなに綺麗で優しくて賢い方なら、そりゃあ利用価値なんかアリアリだろうけれども」
「そういうことじゃ無いんでしょうねぇ」
四人はダイニングテーブルを囲んで、顔を突き合わせた。
「しかもね、マルグリット様は驚いておいでではなかったんだ」
「どういうことだい? アンナ」
「マルグリット様は「問題ない」とお返しになられた」
「なんと」
「さすが五年以上も所領を女手で支えておられた方だ。肝が据わっている」
「いや、それでも少しは驚くものだろう」
「知っていた、いや、お感じになられていた?」
「愛あっての婚姻ではない、と当事者同士は分かっていたということかい?」
「女の勘かねぇ?」
「ご主人様の方は、それがバレてるとは思ってなかったんじゃないかい?」
「でしょうね。でなければ初夜の場でそんなセリフを告げはしないでしょう」
「それはそれで間抜けだねぇ」
「ちょっとご主人様らしいと言えば、らしいけど」
「違いない」
笑いは立たなかった。ため息が落ちた。
「で、どうするんだい」
「どうするって?」
「お二人が愛のない婚姻を成したのだとして、それでどうするのか、ということさ」
「……どうしよう」
「確めなきゃならんめぇ」
「ならんめぇ、てアンタ」
「冷静に考えれば、何もそれで問題は無いようにも思えますが」
「何言ってんの、リクハルド! ご主人様がせっかく愛を手に入れたと思っていたのよ!」
「んー、使用人として、どういう立場でいるべきか、も定まらないねぇ」
「はっ。料理番としちゃあ、美味い飯を作るだけだけどよ。使用人としちゃ、ご主人様夫婦の仲は良好でいてもらわなきゃな」
「そう! それよ」
四人で喧々諤々とした後で。
四人は初夜のしとねに乗り込むことにした。
アンナが嘘をついてるとは思えない。
ならば真実はどこに、という話である。
見張りの私兵に扉に何の異変もなかったことを確かめ、そして。
「失礼します! ご主人様!!」
アンナは先陣をきって乗り込んだ。
はたして。
キョトンとした顔のクラウディオとマルグリットが、向かい合って、ベッドの中からこちらを見ていた。





