3-07 美女で野獣な旦那様、私があなたの未来の妻です
――今度はわたくしが貴方を救ってみせる――
その強さと見た目から「黒き野獣」と恐れ蔑まれる夫キアランの腕の中で、彼への想いを伝えることも、幸せになる努力もしてこなかったことを悔やみながら死を迎えたフィオナ。
しかし目が覚めるとそこは十五年前の世界。彼女が「妖精の谷」に落ちた六歳の誕生日に戻っていた。しかも消えたはずの記憶も妖精を見る力も戻っている。
目の前にいるのは、自分を助けてくれていた美女キーラ。忘れていた恩人との再会に喜ぶも、くしゃみをしたキーラが逞しい青年に変わってしまった!
(待って。若いし雰囲気も違うけど、男性に変わったキーラって旦那様じゃない⁉)
二十一歳だったキアランが恩人だったこと。また、彼が失くした妖精の祝福が変身能力だったことを知ったフィオナは、彼を救い、夢見た未来を現実にすることを決意。
(不幸も不憫も全部捨てて、絶対幸せをつかみます!)
(ああ、これは夢ね)
揺蕩う意識の中でフィオナは、(なんて綺麗な夢)と、感嘆の息を漏らした。
春の空は青く透き通り、草原に咲いた小花が風にチラチラと揺れている。
子供の背丈ほどもある白い柱石に囲まれた広場には、いくつもの日除けが張られている。その下にはたくさんのごちそうが並んだテーブル。
広場の中央に立つ樹の下には台のような大きな石があり、今は清潔な布がかけられている。その上には綺麗な石が三つと水の入った甕が置かれ、広場のそこかしこに青いリボンが飾られていた。結婚式の装いだ。
フーリィでは古くから、青は幸運の色だと言われている。妖精が好む、純粋を表す色が青だからだ。夏空色のリボンや海色の石で会場を飾り、その中でも花嫁衣装は春の空色が好まれている。気づけばフィオナの身を包むのも、そんな幸福色のドレスだった。
「フィオナ様、おめでとうございます」
「おめでとう、フィオナ。世界一綺麗な花嫁さんね」
侍女たちが美しく結い上げてくれた髪に、母が花冠を載せてくれる。差し出された鏡をのぞくと、光り輝く幸福に満ちた花嫁の顔があった。
皆に礼を言った後、伝統にのっとって父の手を取る。その温かさに胸の奥がジワリと熱くなると同時に「幸せにおなり」という低い声が聞こえ、フィオナはにっこりと笑った。
「はい、必ず」
参列者からの祝福を浴びながら白い石に沿って歩いていくと、広場の反対側から同じように、従弟を付添人にした新郎が歩いてくる。
(キアラン様)
十五歳年上の新郎は、腰まで届く黒髪を後ろで一つに編み、金色に見える目は花嫁を称賛するように優しく細めらている。彼の鍛えられた身体を包む婚礼衣装はルアーク家を表す濃紺で、飾りひもやボタンは金色。
(なんて凛々しいの)
石台の手前で互いの付添人が離れてもフィオナは彼に見惚れてしまい、しばらく動くことができなかった。
「おいで、フィオナ」
「っ!」
キアランの普段固く結ばれている口の端がふっと引き上げられ、名前を呼ばれる。その色気ある声と微笑みの破壊力にフィオナの心臓がピョンと跳ね、首から上がカーッと熱くなった。
(こんなに素敵な人の妻になれるなんて!)
伸ばされたキアランの大きな手に、自身のそれをそっと乗せる。
フィオナの誇らしい気持ちに呼応するよう妖精の光が降り注ぎ、客らが歓喜の声をあげた。妖精の祝福を持ったキアランと妖精を見る目を持ったフィオナ。二人の婚姻に、これ以上ふさわしい奇跡はないだろう、と。
婚礼立会人から白い石に宿る妖精の祝福について話があり、その後キアランとフィオナで宣誓の言葉を読み上げると、会場から大きな拍手が沸き起こった。
「最後に誓いの口づけを」
婚礼立ち合い人の合図にキアランが小さく頷くと、フィオナに初めての口づけをした。
(でもこれは夢――)
美しすぎる夢はむしろ残酷にフィオナの胸の内を切り裂く。
ああ、わたくしの黒き野獣キアラン・ルアーク。
愛してる。愛してた。
泣きたいほどの幸福と胸いっぱいにあふれるこの想いを、貴方にどう伝えればいいのだろう?
実際の結婚式は曇天だった。
今から三年前。十八歳の時だ。
フィオナの花嫁衣装は、道中着ていた質素な灰色のワンピースのままだったし、夢の中のように綺麗でもないし笑顔でもない。両親も参列していなかったし、妖精の光は六歳で見えなくなったままで、キアランとは結婚式で初めて対面した。
しかもギリギリに婚礼の儀に現れた花婿は、魔獣との戦いの直後で鎧を脱いだだけの普段着だ。鍛えあげられた身体は夢で見たキアランよりも大きく厚く、肩にかかる程度の長さしかない髪はぼさぼさで、前髪は目を半分隠している。
髭を剃る暇もなかったのだろう。無精ひげのせいでよけいに粗野に見えた。その恐ろしい風貌に、婚礼を見届けるために渋々フィオナについてきた侍女達が、小さく悲鳴を上げたくらいだ。
それでもフィオナは、彼を見た瞬間恋に落ちた。
キアランは何年も前に妖精の祝福を失くし、それを補うために身体を鍛えあげ、黒き野獣とまで呼ばれるようになったと聞いていた。事実初めて見た彼の姿は、若き猛獣を思わせた。
しかしフィオナはそんな姿を美しいと思ったし、身なりを綺麗に整えることよりも、一秒でも早く駆けつけてくれたことのほうを好ましいと思った。
キアランと目が合ったときは、鋭い眼光の中にもフィオナを気遣う色が確かに見え、胸の奥にさざ波のような震えが走ったのを覚えている。
彼にとっては王命による不本意な結婚だっただろう。誓いの口づけだって唇ではなく、一瞬額にされただけ。形は夫婦だが、寝室を共にしたことは一度もない。キアランにとってフィオナは、家族が一人増えたという感じだったのだと思う。面倒を見る妹が一人増えただけなのだと。
仕方がない。
フィオナは六歳で妖精の谷に落ちたせいで、実年齢は十八でも実際は思春期の子供みたいなものだった。
妖精の谷とは魔力災害の一種で、こことは違う場所に飛ばされる事故のことだ。そこは様々なものが混沌とした世界だという。曖昧な記録しかないのは、そこでの記憶は谷からの脱出と同時に消えるからだ。
フィオナはその災害あったことで谷の記憶はもとより、六歳までの記憶の大半と妖精を見る力を失った。
「特別な子だったのにね」
そう言って憐れまれる日々。幼いなりに、まわりの憐みには嘲りが混じっていたことに気づいていた。だが記憶がないフィオナには、自分が何をしたら正しいのかよく分からず、手探りで正解を求め否定され続けてきた結果、いつしか幸せになることを諦めてしまっていた。
政略結婚が決まった時も、「十五も年が離れてるなんて可哀そう」と色々な人から言われたが、唯々諾々と従った。
それでも結婚生活は幸せだった。
本物の夫婦にはなれなくても、妖精が見えなくなったことで、腫物のように扱われた少女時代よりもずっと楽に呼吸ができた。
できることを頑張ればいい。それを認めてくれる人がたくさんいるから十分だ。
(そう。それで満足できないなんて贅沢なのよ)
「……ナッ……フィオナ」
遠くから自分を呼ぶ声が聞こえる。
フィオナは幸せな夢から覚めたくなくて耳をふさごうとしたが、温かな雨が頬に当たったのを感じると同時に世界が消えた。
-✬-
フィオナが重い瞼をゆっくり持ち上げると、黒髪を振り乱したキアランと目が合った。頭に真綿が詰まったようでぼんやりするが、自分が夫の腕の中にいることに気づき、これも夢の続きなのかと思った。
「旦那様……?」
尋ねた声はしかし、吐息と共に零れ消えてしまう。
視野が狭かった。周りの音もやけに遠い。
常ならぬ夫の様子に戸惑うものの、彼に傷がないことを確認してホッとした。
フィオナをまっすぐ見つめるキアランの目には、混乱と恐怖の色がある。その様子に胸が痛み、彼を安心させたくて手を伸ばしたフィオナは、おずおずとキアランの頬に触れてみる。彼は遮ることなくフィオナの好きにさせてくれた。
「無事、ですか?」
唇からは吐息だけがこぼれたが、夫には通じたらしい。下手くそな笑みで彼は小さく頷いた。
「俺は大丈夫だ。今医者が来るからな」
「はい」
素直に頷くが、もう己の命が尽きかけていることを本能的に悟ってしまう。
なら最期に伝えたいことはたくさんあった。
怪我をしないで。忙しくてもご飯はちゃんと食べて。
でもそんな小言は自分が言わなくても散々言われてるだろう。なら一番伝えたいことは――?
(大好きよ、キアラン様。とても愛しているの)
思い切ってそう言ったつもりなのに、実際は唇から息が漏れただけ。
キアランがハッと息を飲むのを感じたけれど、フィオナはもう目を開けていられなかった。
どうして一度も伝えなかったんだろう?
貴方に恋をした。一緒に暮らすうちに愛になった。
でも伝えられなかった。心が子供すぎて、彼に気持ちがばれることを恐れ怯えていたのだ。わたくしのバカ。
(ああ。もう一度やり直すことができるなら、今度こそ幸せになる努力をするのに)
彼に愛してると伝えて、そして――――
-✬-
「大丈夫、お嬢ちゃん?」
懐かしい女性の声に、フィオナはハッと目を開ける。
苦しくてまるで溺れていたようだと思ったが、事実そうだったらしい。川から引き揚げてもらったらしい体はずぶ濡れで、あちこちに痛みがあった。
夢の続きとは思えず、「ここは?」と尋ねようとした途端、盛大にせき込んでしまう。背中をさすってくれるのをありがたいと思いながら息を吐くと、ようやく自分を助けてくれたと思しき人が目に入った。
(わたくし、この人を知ってるわ)
背の高い美しい女性だった。
年齢は二十歳くらいだろいうか。切れ長の目、高い鼻に意志の強そうな唇。艶やかな黒い髪をポニーテールにした彼女を目にした瞬間、フィオナは言いようのない懐かしさに襲われた。
(キーラさんだ!)
記憶を失くしたのが嘘のように、一気に思い出がよみがえる。彼女は妖精の谷に落ちたフィオナを守ってくれた恩人だった。
どうして忘れることができたのか。
申し訳ない気持ちと懐かしさに胸がいっぱいになると、今度は小さな違和感を覚えた。
キーラの見た目は記憶の通りだ。彼女は妖精の祝福持ちで、いつも肩のあたりに妖精の光が見えていた。
だが今は――
(えっ? 妖精の姿がはっきり見えるわ⁈)





