3-04 娼館街の女剣士
レイニスは夜が明けぬ街こと娼館街インヴェイルにて、主人であるルティアとともに生活をしながら娼館の用心棒を勤めていた。
ある夜のこと、店の娼婦を傷つけ逃げた男を追い詰めるが、とある薬を飲んだあと発狂し襲いかかってきた男を殺すことになってしまう。
そんな男の懐から手に入れたのは人という枷を壊し英雄を強制的に作り出す、今は決して作られないはずの忌まわしき禁薬。
それはレイニスとルティアが捨てたはずの過去を思い出させるものだった。
英雄であることから逃げた者達が最後に掴むのは絶望か、それとも……。
レイニスは街明かりが一切ない裏路地の中、微かな星明りの下で相手が来るのを待っていた。
この街の夜に多くの娼館や酒場等の魔法の明かりによって灯される店が並ぶ主要な通りを外れることは賢明な行動ではない。それがこの夜の明けぬ街のルールの一つだった。
その行動は凶悪な犯罪者を含め良からぬ人間たちが住まうエリアに入ってしまう事を意味するのだから。そんな場所にいる女性などただの自暴自棄な破滅志願者か、それ以上に狂っているこの街の住人ぐらいだった。
そんな街の事情などは一切気にもせずに、当のレイニスが考えていたのはせっかく主人であるルティアから丁寧に切ってもらった上に染めたお気に入りの短い黒髪や化粧した顔がここに来るまでに砂や埃で傷んでしまったことだった。
そのことを少し後悔してから、すっぱりと忘れることにした。それを悔やんでもどうにもならないのだからと。
今の彼女に優先されるべきなのは自分の店の娼婦を傷つけ金も払うこと無く逃げた男への対応だ。インヴェイルは街の中こそ非常に複雑な造りではあるが街から出る道は限られている。逃げ込むものは覆い隠すが、逃げ去ろうとするものを許さない街。ここはそういう街なのだ。
そうであるならば追いかけるよりも待ち構える方が楽だというのが過去の経験から学んだことだった。
「な、なんでお前が」
「貴方より道に詳しいだけですよ」
ようやくレイニスの読み通りに慌てた男が姿を見せる。
冷静沈着な反応を見せるレイニスとは異なり、逃げ切ったと安堵していたのだろう男の顔から汗が滴り落ちる。先程まで逃げ回り続けていた者とただ待っていた者の差だけではなく、場数や経験の差がそこにはあった。
「別に命まで取ろうとは思ってはいません」
ここでこの男を殺してしまうことは容易いが、それでは意味がない。
「ですが、うちの店に迷惑をかけた分のお支払いはしていただければ困ります」
レイニスはただ無表情で淡々と話すだけなのだが、それだけでも普通の人間ならば恐怖を感じるだけの圧があった。
「まぁ迷宮か鉱山でしばらく働くことにはなるでしょうが」
「だ、黙れ! 女になめられてたまるか!」
そういうと男は剣を構える。剣の構え方は案外様になっておりそれなりの腕は持っていることがレイニスにも分かる。だがその程度でしかない。レイニスはため息を付き、鞘をつけたまま剣を構える。
「お、お前……」
「やるというのでしたら。少々痛い目にあっていただきます」
ここでむやみに飛び込んでこない辺り、意外と場慣れしているのかもしれないとレイニスは考え直す。力量差を考えて降参してくれるのが一番なのだがと思いつつも油断せずに相手の目を見続ける。
「ここで……捕まってたまる……かよ」
男の行動はポケット部分に手を伸ばし何かを取りだそうとする。携帯用の魔法武器かと思い警戒するが、取り出したものはレイニスから見ると一瞬本当に手の中にあるのかと思うほどに小さかった。
それは1つの小さな錠剤。それをもつ男の手が震えているのはレイニスを恐れているだけではないように感じた。
「馬鹿な真似をしないでほしい。でなければ命の保証はできない」
レイニスはその正体に気が付き、即座に自身の警戒度を上げた。鞘から剣を抜き最後の警告をする。
男はその声を従わずに何度か躊躇ったあと、覚悟を決めたように錠剤を口の中に放り込む。
しばらくして男が屈んだかと思うと口から唸るような声が漏れる。先程までレイニスに怯えていたような様子を一切感じさせない獣のような叫び声。
そこからの男の動きは奇妙ながらも俊敏だった。そのまま一気にレイニスへと突っ込んできたのだ。持っていた剣を存在していないものと思うかのように反対の手をこちらに伸ばしながら。
レイニスの剣が動く。普通ではない速さで飛びかかってきた男の動きよりも素早く。
男の体は攻撃するはずであったレイニスを無視したまま走り抜けていく。そしてしばらく走った後にバランスを崩して大きい音を出して倒れる。
その体からは自分を掴もうとしてきた腕と頭部が切断されているはずというのがレイニスの手応えだった。彼女の読み通りに切り離され宙を待っていた頭部と片方の腕が地面へと落ちてくる。
頭部を失えば基本的にどんな化け物であっても動くことはない。男が自分の持っていた剣を振るうだけの知性をまだ有していたのであれば、レイニスももっと危うさを感じていただろう。
男の倒れた音とともに両側の壁にしか見えない巧妙に隠された扉から数名の人間が姿を見せ始めた。
尋常ではない叫び声から異常を察知したのだろう。全員顔が見えにくいようにフードで隠しているのが特徴だった。揉め事が起きてしまったことはともかく当事者に顔を見られたくないという意思がそこから伝わってくる。
レイニスは軽くため息を吐いてから男の体へと近づく。住人たちより早くあれを回収する必要がある。首などはどうでも良かった。
服をあさると、白い錠剤が2つ残っているのを確認できた。ほっと安堵しながらも急いでそれを回収し自分の服の中へと隠す。
そうしているうちに、通りには片手の指を超える数のフードの人物が出てきていた。
「すまない。迷惑をかける」
「まったくだよ」
しわがれた声がフードを通して放たれる。それはレイニスもよく知るこの辺りの主の声だった。彼女が出てきたことは不幸中の幸いと言ってもいい。財布の中から金色に輝く硬貨を複数枚取り出し彼女の手に握らせる。
「随分気前が良いね」
「皆に美味しい朝食を食べてほしいので」
レイニスの言葉の真意を悟ったのだろう。老婆は小さく頷くと早速死体を片付けようとさらに人を呼び始めた。
その様子を見てあとは大丈夫だと任せることにした。死体の処分などこの街の住人達においては手慣れたものなのだから。
そうして事を終えたレイニスが娼館に帰ってきたのはもう朝日が昇り始めようとしているところだった。
「おかえりなさい」
娼館の中にある私室のドアを開けたところで優しい声が聞こえる。まさか主人が起きているとは思わずレイニスは驚いた表情を見せる。
「ルティ、先に寝ていてくれてよかったのに」
「そうはいきませんよ。私はあなたの主人です。ちゃんと無事に帰って来るのを確認しなくちゃ」
店では丁寧に編み込んで束ねている長い銀髮を軽く髪留めしているだけの女性が薄布の寝間着姿のままレイニスを柔らかく抱きしめる。
レイニスより頭が1つ分小さいこともあり、まるで子供が抱きついているようにも見えるが、二人の関係はまるで真逆だった。彼女の前ではレイニスの方が子供扱いされてしまう。
「……レニ。血の臭いがするわ」
「す、すまない」
鼻を軽くひくつかせたルティアのその言葉を聞いてレイニスが慌てて体を離す。
「実は人を殺したんだ」
「結局昨日の一件そうなったのね。……ごめんなさい。貴方にそんな大変なことを任せてしまって」
「いや、これが私の仕事だから問題ない」
今のレイニスはルティアの店で娼婦ではなく用心棒として勤めている身だ。いざとなれば人を殺すことに躊躇いなどなかったし、すでに何人も殺してきている。
どちらかといえば、この汚れてしまった自身の手でルティアを抱きしめたり、その行為に申し訳なさを感じさせてしまうことのほうが許せなかった。
「ところでルティ。その男がこんな物を持っていた」
レイニスは例の白い錠剤をルティアに見せるとルティアの表情が一瞬にして曇った。
「【聖錠】? どうして……これが」
「私にもわからない」
かつての教会の資金源と権力と暴力の源となっており、今では製造を禁じられ決して世に出回るはずのないもの。
人という枷を破壊し英雄へと作り変えてしまう薬。
レイニスとルティアにとっては最も忌むべき存在だった。それは過去の自分たちを思い出してしまうものだから。
「ルティ。私に出来ることがあるなら何でも言ってくれ。君のためになら私は教会にだって刃を向ける覚悟がある」
レイニスにとって彼女は主人であり、命の恩人であり、そして体を重ねるパートナーでもある。
故にルティアが命じるのであればどんな指示が来てもこなすつもりでいたのだが、ルティアからの指示はレイニスが思っているものとは違うものだった。
「レニ。今は眠って」
「しかし……」
「今はとりあえず情報が欲しいわ。それに今のレニの顔、とてもひどい顔をしているから。そんな状態で動いても良いことなんてない」
ルティアの言う通り、昨日の昼からろくに寝ていない状態だった。今は眠気こそないがそんな状態の頭の中で色々考えたとしてもろくな考えは生まれないだろう。
レイニスがその言葉に頷くとルティアが先程抱きしめてきたときのような優しい笑みを浮かべながら彼女をベッドへといざなう。服を脱ぎ、念入りに体を拭いてからベッドへと潜り込むのだが今回の一件の影響だろうか、中々眠りが訪れない。
「レニ。大丈夫だから」
ルティアがそう言って何度もやさしくレイニスの髪と頭を撫でては反対の手で彼女の手を握り続ける。
しばらくして、レイニスから安定した寝息が起こり始める。それは普段の無表情に近い彼女からは想像も出来ないような子供っぽさを感じる優しい寝顔だった。
「レニ。大丈夫よ。もう貴方を壊させたりしないから」
そうしてルティアはようやくレイニスが眠るまでずっと握り続けた手を離した。





