3-22 「夫殺し」と予言された王女は、今日も最高に運が悪い。
ヴェルダ王国の公式見解:「夫を殺す星の下に生まれた、呪われた王女」
アダマリス本人の認識:「とにかく運が悪いだけ。婚約者たちがちょっとハズレだった」
呪いを信じていないのは王女本人だけという状況で送り込まれたのは敵国チレ。政略婚の相手、第一王子には寵愛する幼馴染がいて、こちらには無関心という不運っぷり。
退屈に負けたある日、メイド姿で離宮の外へ出たアダマリスは、ニコラオという兵士見習いに出会う。文字も読めない無学な彼だが、構造の弱点を読む類まれな才能を持っていた。
朴訥で不思議な青年と、身分を偽ったアダマリスの束の間の禁断の恋。やがて戦火が国々を呑み、ニコラオは前線へ送られることに。アダマリスはやはり今日も運が悪いのか……それとも。
私、アダマリス・ヴェルダは『夫殺しの星の下に生まれた、悪運の王女』と呼ばれている。
最初の婚約者は、婚約の三日後に馬から落ちた。二人目は顔合わせの席で転倒して骨折した。
三人目は宰相家の長男。絵の才があり、私の淡い金色の髪とライラック色の瞳を気に入って何枚も肖像画を描いてくれた。婚約が正式に決まったときには嬉しかったのを覚えている。ところがその十日後、彼は突然に「神の啓示を受けた」と言い出して修道院に消えた。
四人目の隣国王子に至っては、婚約翌日に同盟国との戦争が勃発し、輿入れどころではなくなった。ここまでくるともう国中の誰も驚かなくなる。
私の生誕時に、王室専属の占星術師が告げた言葉――『夫殺しの王女』。
その呼び名はいつの間にやら、不動のものとなっていた。
(さすがに、それは盛りすぎだと思うわ。ちょっと運が悪いのは認めるけど)
確かに婚約した相手は皆不幸に襲われたが、誰も死神には会っていない。それに、馬から落ちるのは騎乗技術の問題、骨折は段差のせい、宗教は個人の自由だし、戦争は私のせいでは断じてない。
しかし迷信深い人々は「王女に近寄れば悪運に取り憑かれる」などと噂した。おかげでヴェルダ王国はもちろん、近隣の国々の目ぼしい男性には婚約どころか接近禁止。そこそこの見た目の王女でありながら私は見事に売れ残ることとなり、気がつけば十九歳。
このままでは商品価値がなくなると焦った父王は、こともあろうに敵国チレへの政略婚に送りつけた。
相手は第一王子バレン。遥かチレにまでは噂が届いていなかったこと、多くの持参金、それに「半年間の試婚期間」という条件をつけることで婚約まで漕ぎ着けたと笑顔で告げられたとき、こっちも力無く笑うしかなかった。
輿入れの日。
チレ王宮の謁見の間で、私は王女として完璧な挨拶をした。完璧なはずだった。頭に乗せていた冠が礼をした弾みで飛び、夫となる王子の顎を直撃するまでは。
皆が唖然とする中で、後ろに控えていた側仕えのプミラがぼそりと言った。
「アダマリス様、ご立派でしたよ。冠が凶器になるところでしたけど」
「大丈夫、まだ相手は生きているわ」
「はい……そうですね。今のとこ」
あれから半月ほど。
広大な王宮にも慣れてきた。与えられた離宮のしつらえは美しく、食事だって悪くない。敵国で充分な待遇ではあるものの、私の気持ちは雨季の空のようにずっと雲に覆われていた。
理由は単純。王子バレンは、私には何の関心も無かったのだ。同じ食卓についても会話は最低限、昼は公務で多忙、そして夜は「まだ正式な夫婦ではない」と離宮に足を運ぶことすらない。
それもそのはず、彼にはすでに意中の人がいた。幼馴染のイレーナという、栗色の巻き毛と人懐こい笑顔を持つ愛らしい公爵令嬢。バレンはイレーナが王宮に訪れるときだけ活気づくのだから一目瞭然だった。
結果、私の立場は宙に浮いていた。客人でも、王妃でも、何者でもない。ヴェルダにいた頃は勉学や儀式への出席などと充実していたが、チレに来てからは毎日が休日だった。刺繍やボードゲームは飽きたし、新しい従者たちは他人行儀。
(暇だわ……。何もすることがない。飼い殺しとはこのことね)
お気に入りの一冊を手に取り、バルコニーで読書でもしようかと立ち上がって部屋を横切った、そのとき。
プミラ用のメイド服が、ふと目に入った。
数分後、私は城壁沿いの人気のない一角へ向かっていた。目指すのは、敷地の奥にある古くてこじんまりした東屋。
レンガと木で建てられた建造物は、その四方を常緑樹に覆われ、外気を遮って心地いい。ここなら誰にも見張られず、誰にも邪魔されず、ひとりになれるはず。
石台に腰を下ろし、プミラから借りている書を開く。内容は、旅の騎士と没落貴族の娘が一夏だけの恋に落ちる切ない物語。
(キスってそんなに特別なこと? ただ、ほんの少し肌が掠るだけでしょ? 握手と何が違うのかしら)
ページを捲るたびに、主人公と自分を置き換えてどきどきしていた。実際には夫の愛情すら得られないこの人生、せめて空想の世界でくらい甘い恋に溺れていたい。
ふわふわする気持ちを胸に、少しだけ体を横にして頬を腕に預けた。東屋の中はひんやりと心地よく、鳥の声が遠くから聞こえる。帆を撫でるのは、少し湿った風。
だんだん瞼が重さを増していく。鳥の声が小さくなり、視界も暗くなった。
「――死にたくなかったら、ここから出たほうがいい」
突如、低い声が頭上から降ってきた。
「っ、んっ!」
心臓が斜めに跳ねる。夢の続きかと思ったが、地面を踏みしめる重たい足音がすぐ傍にある。
どうしよう、数歩先に誰かがいる。
「嬢さん、起きて」
ゆっくりと瞼を開けて見えたのは、黒い軍用ブーツ。次いで、長い膝下と逞しい脚。土に近い色の固そうな布地の衣服と、一本だけ線のある腕章。その上には、太い首と整ったラインの輪郭が見えた。
「っ…………ひっ!」
恥じらいと恐怖が混じった声が漏れ、慌てて身を起こすと着衣に乱れがないか確認した。
「あ……いや、ごめん。昼寝してたとこ、いきなり、悪かったな」
こちらを見下ろす男は、気まずそうに金褐色の短い髪に手をやる。そのはずみで、腰に下げた皮の工具袋からガチャっと金属音が溢れた。灰青色の瞳が「とても困った」という色で揺れる。
「あなた、名前は。名を名乗りなさい」
「俺? 俺は、ニコラオ」
「その腕章……兵士見習いね」
「ああ、よく知ってるな。そういう嬢さんのほうは?」
「あ、私……私の名前は、リィマよ」
つい慌てて、亡き母が呼んでいた幼名を口にした。
「リィマか。初めて聞く名前だな。最近ここに来たんだろ? そのメイド服はとても新そうだ」
「っ、そう。そうよ、新入り。離宮のメイドをしてるの」
ぎこちなく返事をすると、ニコラオと名乗った男の表情が少しほぐれた。
「なら、覚えておいて。リィマ、ここは危ない。昼寝なんかしちゃだめだ。いいね?」
「どうして? どこで昼寝しようと、自由なはずだわ」
「そりゃまあそうなんだけど。この柱、去年の雨で中まで腐っててさ。崩れたら、一発で骨が砕ける。だからすぐに出て」
彼の口調は穏やかなのに、言っている内容に背筋がゾッとした。
「ほら、そこ」
骨ばった長い指が入り口の右側の柱の根元を顎で示したが、どこにも異常は見えない。目を凝らしてもレンガは欠けていないし、蔓草が少し巻きついているだけだ。
「え? 何も問題ないように見えるわ」
「見た目は、ね」
青年は淡々と言った。
「でもあそこだけ、荷重の流れがおかしい。屋根の重さが均等に分散されてない。全部あの一点にかかってるんだ」
「……とてもそうは見えないわ。嘘を言って、私を揶揄っているの?」
「困った嬢さんだなあ。俺の言うこと、信じてくれないかな」
ため息混じりにそう言うと、彼は数歩離れて外の石段に腰を下ろした。
私は本に目を落とし、たまに目の端でニコラオを盗み見る。自分より少し年上に見える横顔は端正で、彼はメイドの娘を守るのが当然のように黙ってそこにいる。私が悪運の王女とも知らないで。
「あなたの言うことは信じませんが、ここは冷えるので出ます」
そう宣言して立ち上がろうとした瞬間、足が滑り、体がぐらりと揺れた。
「……っと。あの、大丈夫?」
男の声が、とてつもなく近くから聞こえた。耳の真横。重力の様子もおかしい。
「っうぅっ……ぁあ」
毅然として「離しなさい」、と言おうとした口は情けない悲鳴をあげていた。なぜなら、男が片腕で自分の腰を抱き止めていた。鉱石のように硬い右腕は少女の体重など無いも同然のように支えて、なおかつ平然としている。
「足元も良くないんだ、ここ。ずっと手入れなんてされていないからね。嬢さんがそんな小さな足で歩くには、適してないよ」
「あ……っ、ごめんなさい」
優しく注意され、つい謝ってしまった。
なぜか「小さな足」と言われたことが胸をくすぐった。彼にはそんな意図などないだろうに、男と女の体格差を指摘された気がして、つい彼の足元に目をやる。土埃を被ったブーツの足は、自分の華奢な爪先の倍くらい広い。
促されるままに東屋の外へと数歩歩いたとき、ニコラオが立ち止まった。
「待ってて」
「え?」
彼は入り口まで戻ると、やおら右側の柱の根元の一点を軍用ブーツの踵でごつりと一度蹴る。
「走れ、嬢さん!」
そして急に私の手を握った。
「え、えぇぇええ!??」
ざらり。
砂の崩れるような乾いた音が、駆ける二人の背中に届く。
離れた場所から振り返ると、白い埃が地面から湧き立ち、空に向かって舞い上がっている。
ズ、ザザザ――――ッと、レンガの壁が流れるように砕け、石の屋根が落ち、柱が折れ、そして全てが一瞬で瓦礫の山に。埃と土の匂いが顔まで届いて、思わず目を固くつぶった。
「……うっ……」
「大丈夫。もう目を開けてもいい」
低く囁かれた声を頼りに瞼を開くと、砂煙の向こうで、さっきまで私が座っていた腰掛けが瓦礫の下に沈んでいた。
「っ、ウソでしょ……。そんな、まさか」
「リィマ、言っただろ? ほんのちょっとの圧で、骨まで砕けるって」
隣に立つ青年は、何が楽しいのか薄い唇で弧を描いて、少年のような無垢な笑みを浮かべている。
私は繋がれたままの右手の温かさに気がついたけれど、それを振り払うだけの余裕を失っていた。





