3-19 冥前百貨店より、愛を込めて
空から降ってきたマグロに頭を直撃され、あっけなく命を落としたバンカラ学生の肇。
記憶が曖昧なまま彷徨っていた彼は、その場に居合わせたモガ・綴子によって、
彼岸に旅立つ客人たちが行き交う『冥前百貨店』へと導かれる。
――人生の洗濯場を謳う店。
――死にきれなかった客人たちと、彼らを迎える従業員。
そこで働くことになった肇は、彼らとの交流を通して、自分の人生を見つめ直していく。
あの世の百貨店を舞台に紡ぎ出す、生き直しの大正ファンタジー。
世の中、いろんなことがあるものだ――たとえばそう、空からマグロが降ってくることだって。
あるわけないだろ、そんなこと!
という苦情には、俺も大いに賛同する。
槍が降ってきたと言われたほうが、まだ信じる気になるだろう。
が、残念なことに、これはまぎれもない事実だ。
灯りに満たされた夜の淺草の道ばたで、俺の死体はマグロと仲良く添い寝していた。
「おい! 大丈夫か、お前!?」
「大変だ、誰か倒れてるぞ!」
自分の死体をしげしげと見つめて、(ああ、これが噂の幽体離脱か)などと分析していると、近くで飲んだくれていた大人たちが、俺の死体をあっという間に取り囲む。
「物乞い……じゃねえな、無頼漢か?」
「なんでマグロがこんなところにあるんだ?」
「まさかこいつ、マグロに頭をぶつけたんじゃ」
「そんな、いくらなんでも。こんなお間抜けな最期じゃ死んでも死にきれませんよ」
俺だって自分の死因がそんな滑稽なものだと思いたくない。
しかし、街中を歩いている途中、マグロが頭に直撃するなんて、普通は思わないだろう。
少なくとも、間抜け扱いされるのは心外だった。
「縁起でもねえことを言うな! まだ生きてるかもしれないだろ! 誰か医者を呼べ!」
いや、もう無駄だ。
どんな名医が来ても、俺が助かることはない――“俺”はもう、俺の体に戻ることができなくなっているのだ。
彼らの目にも“俺”は映っていない。
ああ、本当に死んじまったんだなあ――。
当事者そっちのけの議論を聞き流しながら、俺は悟った。
十七年におよぶ俺の人生は、空から降ってきた一本のマグロによって、唐突に終わらされたのだ。
俺の人生って、一体……。
「……そういえば、俺、なんでこんな時間に外を歩いてたんだっけ」
俺はここで、直前までの記憶がないことに気づいた。
マグロに頭をぶつけたせいで、記憶が飛んだのだろうか。
お世辞にも素行がいいとは言えない俺だが、下宿先の門限を破ったことは一度もない。
どうして、今日に限って、俺は外を歩いていたのだろう。
しかも、学生服なんて身につけたまま。
傷んだ凧糸のように頼りない記憶を、ゆっくりたぐり寄せてみようとする。
けれど、記憶は途中でぷっつり切れてしまって、ついに思い出せなかった。
*
さて、どうしたものか。
俺は淺草の人混みに紛れ、腕を組む。
死んだらあの世に往って成仏しなきゃならない、というのは分かっている。
しかし、どこへ往けばあの世にたどり着くのか、肝心なことは分からない。
「せめて、お迎えが来てくれりゃ助かるんだがねえ」
「おい、そこのバンカラ小僧!」
途方に暮れながら愚痴を漏らしていると、ドスのきいた声で怒鳴られた。
この状態になってから初めて他人に呼びかけられて、俺は驚いて振り返った。
「どこをほっつき歩いていたんだ! 迷子になるような歳なのか、お前は!」
俺に向かってズカズカ歩み寄ってくるのは、赤い鬼だった。
真っ赤な顔に、ぎょろっとした目、額から生えた角。
鬼という言葉以外に形容しようのないほど、特徴的な見た目をしている。
「迎えが来る前に遺体から離れるんじゃねえ! あと一歩で浮遊霊になるところだったんだぞ!」
「はああ? んなもん、知らなかったんだからしょうがねえだろ! 死んですぐに迎えに来なかったテメーの責任だろうが!」
「なんだとお!?」
条件反射で口が動くままに言い返すと、鬼はさらに目を見開いて吠えた。
「この悪ガキめ! それが目上の者に対する態度か!」
「るせえ! 人を待たせた挙句、一方的に怒鳴りつけたやつが、偉そうにすんじゃねえ!」
「むうう、なんという減らず口……っ! お前など閻魔様に裁いてもらうまでもないわ! その根性、賽の河原で叩き直してくれる!」
鬼は一気に距離を詰めてくると、米俵を運ぶ時のように、俺の体をひょいと肩に担いでしまった。
「なっ!? 離しやがれ!」
俺は鬼の背中をボコボコ殴って抵抗するが、筋肉が硬すぎて、まるで岩を殴っているようだ。
――これはまずい気がする。
このまま地獄の釜にぶち込まれでもしたら、たまったものではない。
なんとか逃げ出そうと暴れていると、
「待って、鬼童さん!」
と、突然、女の声が割り込んできた。
すると、鬼はどこかへ向かっていた足をピタッと止める。
「綴子ちゃんじゃないか。どうした」
鬼が振り返った方向へ、俺も目を向ける。
そこには、ハイカラな洋服を身にまとった女が立っていた。
今時のモガらしく髪を短くしているせいか、やや中性的な雰囲気だ。
「よく見てみなさいな。その子は『予定外』だよ」
「む、そうなのか? どれどれ……」
鬼は俺を担いだまま、背中から手を突っ込んできた。
服の隙間に手を入れてきたのではなく、背骨や肋骨もすべて通り抜けて、俺の体内に入ってきたのだ。
「ちょ、おいッ、なにをっ」
鬼の手が、俺の体の中をまさぐっているのが分かる。
痛みはないが、自分の体の中を鞄のようにごそごそ探られるのは、気分のいいものではない。
「……やや、これはっ!?」
鬼が俺の中から何かを引っ張り出した。
まさか内臓でも抜かれたのではと焦った俺は、鬼の手元を見た。
「なんてこった、寿命の蝋燭が折れてやがる」
「ろ、蝋燭っ?」
「ね? 予定外に死んだ子を、裁判なしに地獄に連れて行くのはまずいでしょ」
「ぐ、むむむ……」
「ほら、その子を下ろしたげなさいな。でもって、ちゃんと謝らなきゃ」
鬼は俺をゆっくり下ろすと、取り出した蝋燭を俺の体内に戻す。
気まずそうに俺の方へ目を向けてはそらしたり、と繰り返している様子は、先ほどとは打って変わり、叱られた子供のような覇気のなさだ。
「すまん……よく確かめもせずに、連れて行こうとして」
「べ、別に……なんか知らんが、気をつけろよ」
喧嘩する気満々だった俺としては、肩透かしを食った気分だった。
「アタシもごめんね。駆けつけるのが遅くなって」
モガのほうも、丁寧に頭を下げて詫びてくる。
俺は両手を振りながら、彼女に言った。
「や、あの、むしろ、どうも……。よくわかんねえけど、助けてくれたん……だよな?」
「礼を言われるいわれはないよ、アタシは君を死なせた側なんだ」
「は? え、それはどういう……?」
モガは俺の顔――というより、頭部を指さしながら言う。
「君、マグロが頭に当たって死んだでしょ。そのマグロを落としたのは、アタシの知り合いだったの」
俺はマグロで死んだ男と認識されていたことに、地味にショックを受ける。
俺の死因、実に滑稽だ……。
「その知り合いはどこにいるんだ?」
文句の一つも言ってやらなければ。
なんで、よりにもよってこんな間抜けな死に方をさせたんだ、と。
仏頂面になる俺の肩を、モガが落ち着けるようにトントン叩く。
「とりあえず、詳しい話はうちのお店でしようか。ここにずっといてもしかたないし。……お、ちょうどいいところにタクシーが」
空を見上げたモガが、幸運とばかりの笑顔で、「すみませーん! ちょいと乗せてくださいなー!」と手を振っている。
ごうんごうんと音を立て、夜空の向こうから近づいてくる、タクシーらしきそのナニか。
よくよく目をこらすと、それは一艘の小舟だった。
小舟は俺たちの目の前にそうっと着地すると、
「あいぃ~~、お待ちどおぉ~~」
と、なんとも鈍臭そうな声で話しかけてきた。
「なんじゃ、こりゃ!?」
その小舟の舟首には、顔がついていた。
浮世絵に出てきそうな、細い三日月のような目が、俺とモガをちろんと見ている。
「綴子ちゃんじゃあないかぁ~~? さっき別のタクシーに乗ってただろうに、どうしたんだぁ~~?」
「なに、ちょいと別の用事ができたのさ。冥前百貨店まで頼むよ」
「あいぃ~~どぉぞぉ~~」
モガは舟にささっと乗り込み、「ほら、君もおいで」と手招く。
が、俺は断固拒否した。
「嫌だ、絶対に嫌だ! 誰が乗るか、そんな気持ち悪い乗りモン!」
「そんなこと言わないの。舟幽霊が泣いちゃうよ」
「舟が泣いたら、それこそ気持ち悪いわ!」
馬に乗るのも嫌なのに、生きた舟に乗るなんて考えたくもない。
人間以外の生き物に身を預けるなんて、恐ろしくないのか。
「ないよ、そんなの。早くしないと、悪霊になってお祓いされちゃうよ。そしたら、地獄行きの可能性がぐんと上がることになる」
「う……!」
さすがに、地獄行きは俺も遠慮したい。
となればもう、腹を括るしかない。
俺は覚悟を決めて、モガの隣に渋々腰をかけた。
「二名様、ご乗船んん~」
舟幽霊がそう言うと、船体がむわんと宙に浮かんだ。
船体の揺れに合わせて、俺の腹に収まった内臓が一センチほど、ぐいっと持ち上げられたようだった。





