3-18 恋するお願いチケット
勢家琴葉が「そろそろ使おうかな」と金池幸也に見せたのは、幼いころに彼女を慰めるために作った、自分ができることならなんでも願いを聞いてくれるという「お願いチケット」だった。ある日、幸也と琴葉は些細なことで言い争いをしてしまい、そこから気まずくなってしまう。しばらく口を利かなかった二人だが、琴葉が幸也に「お願いチケット」を渡す。そこに書かれていた内容は……
「何でも言うことを一つだけ聞いてあげる」
お礼やお詫びでよくある話ではあるが、実際に言われた時、あなたはどんなことを相手にお願いするだろうか。
普通は自分の欲望を叶えるためや、自分が得をすることに使うだろう。だが、いざそう言われた時にはすぐには思いつかないものだ。
幼い時に渡した「おねがいチケット」。
彼女は俺に、どんなお願いをするのだろうか。
冬の寒さを抜け、急に半袖が欲しくなる陽気があたりを照らす。今の世界の気候担当者は温度管理が苦手らしい。春は一体どこに誘拐されてしまったのだろうか。
最近は桜の季節といえば、入学式ではなく卒業式というイメージが定着しているようだが、そんな急激な温度変化にも関わらず、桜は日本の四季に応えようと静かな雨のように花びらを散らせていく。
2年生になり数日が経った教室、新しいクラスにも少しずつ生徒たちはなじみ始め、昼食の時にはすでに新しいグループができている。
「幸也~、はやくご飯食べようよ~」
そういって机の上でぐでーんと倒れこんでいるのは、幼馴染の勢家琴葉だ。中学の頃から伸ばしているという自慢の黒髪が、ともすれば床につくのではないかというくらいだらしなく垂れさがっている。
「ごめんごめん、購買が混んでてさ」
そういって琴葉の前の席に着く。俺、金池幸也と琴葉は幼稚園からの幼馴染で、小中高と同じ学校に通ってきた腐れ縁だ。高校に至っては1年、2年と同じクラスである。そして琴葉はいつも手作り弁当で、俺はいつも購買でパン、時々おにぎり。他の友達と食べることの方が多いが、こうして机で向かい合わせになって二人で食べる機会もたびたびある。
何度も見ている顔だが、改めてみると、きれいだな、と思う。幼馴染として一緒に過ごしてきた反面、異性として意識していないわけでもない。
きれいでまっすぐな黒髪に、透き通った二つの瞳、モデルにでもいそうな整った顔立ちをしていて、男女問わずに話しやすいことから人気が高い。学年問わず何人かの男子に告白されたこともあるらしいが、すべて断っている。理由は「あなたのことはよく知らないから」だとか。
よく知っている人なら付き合ってくれるのだろうか……などと思いながら、告白しようという気にはならない。時々俺の方を向いて、相変わらずおいしそうに卵焼きをほおばる顔は、特に俺を意識しているという様子はない。それに、男女の関係よりも、幼馴染同士という今の関係が心地よいこともある。わざわざこの関係を壊してまで、男女の関係にまでなろうとは思わないのだ。
「……どうしたの? 私の顔をじっと見て」
そう言われて、思わず視線をそらしてしまう。
「別に、今日もおいしそうにご飯食べているな、と」
「ふうん、幸也も弁当作ればいいのに」
「じゃあ、俺の分も作ってくれよ」
「うーん、どうしようかなー。お願いされたら作るのはやぶさかではないけど……」
そういいながら「あっ」と何かを思い出したように机の中をまさぐりだす。そして、一枚の紙きれを取り出した。
「これ、そろそろ使おうと思ってさ」
「これは……」
紙にはかろうじて読める幼い字で「おねがいチケット」と書かれており、その下に「ここにおねがいをかいてぼくにわたせば、どんなおねがいもかなえます」という文字と、お願いを書くスペースである四角形のスペースがある。
「お前、まだこんなの持っているのかよ。というか、持ち歩いているのかよ」
「それはそうよ。何でもお願い叶えてくれるんでしょ? ここぞって時に使おうと思って」
この謎の紙きれは、俺が小学生の時に琴葉に渡したものだ。学校でこけたりテストの点が悪かったりで、いいことが無くてずっと泣きっぱなしだった琴葉を慰めるために、ノートを切って鉛筆で書いただけの簡単なものだ。
「ことはちゃん、これあげる」
「なにこれ?」
「おねがいチケット。これに、ぼくにしてほしいことを書いてわたしてくれたら、なんでもやってあげる」
「なんでも?」
「うん、ぼくにできることなら、なんでも」
「ありがとう、大事にするね」
「うーん、つかってもらわないとこまるんだけど…」
結局渡した後、琴葉は今まで一度もそのお願いチケットを使うことはなかった。
「何で今まで使わなかったんだよ」
「だって」
少し言いよどんだ後、琴葉は続けた。
「小中学生って、できること少ないでしょ? 高校生になればお小遣いも増えるし、幸也ができることが増えるじゃん? そうなってから使おうと思って」
「えっ、そんなこと考えてたの?」
「だってこれ、有効期限ないし」
お願いチケットにはご丁寧に「ゆうこうきげん:なし」と書かれている。有効期限の概念を知っていたなら、ちゃんと設定すればよかった。とはいえ、当時は琴葉を慰める目的があったから、いつでも困ったときに使えるようにとわざわざ有効期限を無しにしたのだ。
「まあ三枚もあるし、一枚くらい適当なお願いでもよかったんだけど」
「そんなに作ったっけ?」
琴葉はその三枚を広げて見せた。すべて文字の配置はバラバラで、枠の大きさもバラバラだ。偽造ではないらしい。一枚でも破格な代物なのに、何故当時の俺は三枚も作ってしまったのだろうか。
「それに、大切な人からもらったものだから大事にしたかったし……」
「えっ?」
「な、何でもない!」
そう言って、琴葉は慌ててご飯をかき込む。案の定、むせてしまっている。
大切な人……か。多分幼馴染として、という意味なのだろう。そう思いながら、残ったパンを口に入れた。
ある日のこと。今日は購買に珍しいパンが入荷されるという話を聞き、朝からずっと楽しみにしていた。しかし数量限定であり、授業が終わったらすぐさま購買に向かわなければ売り切れてしまうだろう。
「今日の授業はここまで」
チャイムが鳴り、四限目の授業が終わったと同時に財布を手に、購買へ向かおうとしたときだった。
「幸也、ちょっとここ、教えてほしいんだけど……」
珍しく琴葉が俺に勉強の質問をしてきた。だが、今は教える時間がない。
「ごめん、あとにしてくれないか? 早く購買に行かないと今日限定のパンが売り切れてしまうから」
「パンぐらいいいじゃない、私が別のおいしいパンおごってあげるからさ」
「いやでも、今日しか買えないパンだから……」
言い争っていると、遠くから「幸也、購買行かないのか? 早くしないと売り切れるぞ?」と別の友達が俺を呼んでいる声が聞こえた。
「ああ、すぐに行く! ということで、またあとで」
「ちょ、ちょっと!」
琴葉が言うのが早いか、俺は足早に教室を去った。なんとか残っていてくれればいいが……
そんな願いもむなしく、限定のパンは目の前で最後の一つがかっさらわれていった。仕方なくいつものパンを買って教室に戻る。教室では弁当も出さずに琴葉がうつむいていた。
「戻ったよ。で、教えてほしいところって?」
琴葉に尋ねるが、彼女は小さく首を横に振る。
「……もういいよ。他の人に教えてもらったから」
「そう」
そう言って俺は席に座ろうとした、その時だった。
「……幸也は私のことなんてどうでもいいんだ。たかがパンごときで私を放っておいて……」
その言葉に、少しだけカチンときた。
「はぁ? お前のせいで俺はあのパンが買えなかったんだぞ?」
「パンぐらいいいじゃない! 私は幸也に教えてもらいたかったのに!」
「教えるのはいつでもできるだろ! 俺が欲しかったのは今日しか買えないやつだったんだぞ! ずっと楽しみにしてたのに……」
言い争っていると、周囲がざわつき始めた。俺と琴葉は気まずくなり、その日は別々に昼食を摂ることにした。
それからしばらく、琴葉とは口を利かなかった。すれ違っても、お互い気まずそうに合わせた目をそらすだけ。たかがパンごときで、と言われたことに腹が立っていたが、このままではだめだという気持ちもある。でも、話すきっかけもつかめない。
(……俺から謝った方がいいのだろうか?)
謝る、というのも何か違う気がする。確かに俺も強く言い過ぎた気がするが、楽しみにしていたものを台無しにされたというのは簡単に許せることではない。とはいえ、とにかくこの状況は何とかしたい。こんな子供の喧嘩で、今の関係が崩れてしまうのは情けない限りだ。
ふと、先生に当てられた琴葉の方を見る。元気に答えているが、その表情は浮かないままだ。今日はいつもより授業の時間が長く感じた。
そんなある日の放課後、いつも通り帰ろうと玄関に向かっている時だった。
「あの、その、幸也……」
振り返ると、息を切らせた琴葉がいた。
「……何か用か?」
あえて冷たい態度を取る。別に怒っているわけではないが、なんとなく安心させようという気にもならなかった。
「あの……これ……」
そう言って、一枚の紙きれを渡す。
「……これは……」
「何でも願い、聞いてくれるんだよね」
それは例のお願いチケットだった。そして、書いてあることを見て、思わず笑いそうになる。
「こんなことで使っていいのか?」
「だって、今聞いてほしいお願いは、これだから……あの時はごめんなさい」
その紙切れには、「仲直りしてほしい」と書いていた。





