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3-17 空城-からじろ-

 とある藩。転封を命じられ、在郷の家来衆を全て連れて行くわけにはいかぬとなったのだが、その中に藩を守り続けた忍び衆が含まれていた。

 非人道的な方法で集められ、鍛えられた彼らは、放逐されるに至って初めて、自分たちで最後の任務を定めた。


 城主交代の隙を突き、城番の侍衆を倒して城を盗る。


 忍びでありながら、彼らは無謀にも一城の主を目指すのだ。

 方波見(かわみ)藩の広い平野部には、北の山地から袈裟懸けに豊かな水量を誇る川が流れ込んでいる。

 農業用水となるのはもちろんのこと、水車を回す重要な動力源ともなるため、山に差し掛かる川沿いには米搗きや粉挽き、中には線香のために杉を挽くための水車小屋が並び、日中は水車番が小屋を回っている。


 その中の一軒、麦を挽く音がけたたましく響く中で、五人の男女が難しい面を突き合わせている。

 水車が回り、杵が叩きつけられる音が、彼らの言葉を外に漏らさずかき消していた。だからこそ、この場所を選んでいるのだが。

 彼らは方波見藩に仕える忍び衆の中忍であり、普段はそれぞれ表向きの仕事に就きながら、時折手下の下忍たちと共に影の任務にあたる。


 だが、それももう終わりを迎えていた。

「上使が来た」

 と、麦の香り漂う中、真剣な面付きで呟いたのは、算術方として出仕する仁兵衛であった。両目がらんらんとしたこの男は、城と町を行き来する連絡役でもある。

 仁兵衛の言葉に反応したのは、斗助という二十代半ばの男であった。


「上使……奏者番か」

「いや、老中だ。」

 仁兵衛の返答に、斗助は苦い顔を見せる。

「ということは、やはり減封になるか」

 上使は単に幕府からの御下命を伝える役割を指すのだが、その役割を担うのは単なる伝令役の幕府役人であったり、奏者番であったりと、その内容によって異なる。


「頭は、なんと」

「……好きにせよ、との沙汰だ。我らはもはや、用無しよ」

 仁兵衛の返事に、斗助は歯噛みをした。見渡せば、最年長の利一郎を除き、他の誰もが同じような表情を浮かべていた。

 彼らは望んで忍びになったわけではないが、それ故に他の生き方を知らぬ。


 斗助をはじめ、彼らは誰一人として、まともな家庭に生まれ育った者はいない。

 人買いなり(かどわ)かしなぞで連れてこられ、適当な名前を付けられ、およそ人道とは程遠い目に遭わされてきた。

 運良く生き残った者だけが、表向きの立場を与えられ、致し方なく忍び衆として暮らしているのだ。


 不運と不満を、多少なりの金銭と、忍びとしての矜持で保っているに過ぎない。

 それが全て無くなる。

「我ら忍び衆は、方波見の地を守ってきた。奉公に報いず切り捨てるとは、武家の風上にも置けぬ恩知らずの愚行ではないか」

 憤懣やるかたなしと声を上げるは、中忍最年少の“()”と呼ばれる青年だ。


 紅一点のお華も、不満を隠さない。

「お上のために手を汚してきたのにさ……用済みになって簡単に捨てるなんざ、あんまりだ」

 顔を伏せた華の頬を、涙が伝う。


 誰もが、忍びとしての冷静さを欠いていた。

 それはこの場で最も落ち着いているように見える斗助も同じである。いや、彼が放った言葉の意味を考えると、彼が一番冷静でなかったかも知れない。

「城を、盗ろう」

 上意によって冷徹に任務を遂行する忍びとして、あり得ない言葉である。


「今の藩主が出立したら、次の主を待つ間、上使と側回り以外は、僅かな城番のみ。我らだけでも容易く城が盗れる」

 さも簡単であるかの如き言葉に、全員の顔が緩んだ。だが、斗助は本気であった。

 炉や華の不満を理解している。水車の音が響くたびに、斗助の脳裏には同じ村から誘拐された同い年の少年の姿が浮かぶのだ。


 その子は、厳しい修行に耐え切れず、自ら命を絶った。

 忍びの道は、それほどに非道で、今ここにいる者たちは皆、似たような経験がある。

 修行を終えたから良いというわけでもない。任務の性質も、一つ間違えれば命を落とすものが多い。


 そして、侍とは違い、その死に誉は無い。


「藩主には腹が立つ。だが、真正面から首を取っても、取り巻き連中に斬られて終りよ。何の証にもならん」

 だが、城を盗れば違う、と斗助は熱弁する。

「我ら方波見の忍び衆が、城の主となるのだ。おまけに、次の城主への引き渡しに失態があれば、いよいよ藩主も腹を切らねばなるまいよ」


 あの弛んだ腹を白刃が滑り、首を叩き落される瞬間に、我らを切り捨てたことを悔いるとなれば、胸のすく話ではないか。

 斗助の言葉に、まず華が賛同した。そして炉や仁兵衛も頷き、最後に利一郎だけが苦い顔をしていた。謀反を起こす理由が無い、と呟くのだ。

「わしには商いがある……」


 華や仁兵衛に表向きの仕事があるように、利一郎は城下で煙草屋を営んでいる。売れ行きは悪くないようで、藩主についていかずとも、生活は安定しているのだ。

「すまぬが、わしは抜けさせてもらう。お前たちも考えなおせ。城番を置くとなれば、おそらくはあの猪武者だろう。およそ人間のかなう相手ではない」

 城下でも名の通る猪武者といわれると、この場の誰もが頭に浮かべる偉丈夫がいる。長い戦太刀を軽々と振り回し、片手で大人を軽々と放り投げられる膂力を持つ男。


 しかし、斗助は笑っていた。

「真正面から馬鹿正直にやろうってんなら、そうだろうよ。だが、おれたちは忍びだ」

「あいつを斬る役は、自分にやらせてくれ」

 炉が怪しい光を湛えた瞳を斗助に向けた。件の侍に思うところがあるらしい。


「いいさ。では、おれは色々と準備をしておく」

「頭には、どう伝える」

 仁兵衛は城に戻れば忍び頭への報告が求められる。嘘を吐いても良いが、見抜かれてしまう可能性もあった。

「小難しく考える必要はなかろうよ。『皆、殿のお考えは理解した』と言えば良い」


 この報告をどう受け取るかは頭次第である。およそ意地悪な話であるが、碌な指示も出さずに放逐しようと言うのだから、文句もあるまいと斗助は吐き捨てる。

「計画が動くまで、各々内密に。利一郎も、参加せぬならそれで良いが、邪魔をするならばこちらも動かねばならん。わかるな」

「……わかっておる」


 念を押す斗助の言葉に、利一郎は不満気にぴくり、と眉を震わせた。

 しばらくの沈黙の後、まず仁兵衛が立ち上がり、城へ戻ると告げた。

「これでも役人なのだ。……斗助、楽しみにしている」

「あたしも仕事に戻るよ。忙しい身なんでね」

 と、仁兵衛に続いて華も小屋を出ていく。


 次に利一郎が立ち上がった。

「斗助。おめえは、忍び失格だ。忍びは道具に過ぎねえ。だから使える。忍びが自分で考えちゃあだめだ」

 返事を待たずに小屋を出る利一郎に対して、鼻息荒く炉が立ち上がりかけたが、斗助が制した。


「良い。任せてくれ」

「……あんたが言うなら。さっきの話、頼んだよ」

 炉はそう言ってごろりと床の上に横たわった。酷くうるさい場所だが、ほどなく寝息を立て始めた。

 こういう図太さが、炉を若くして中忍に押し上げた。


 苦笑と共に斗助は立ち上がり、音もなく戸を開いて外へと滑り出た。

 何気ない足取りで、しかし確実に利一郎を()ける。

「若い頃なら、とうに看破していただろうに」

 少しだけ、寂しさがあった。

 何やら焦りがあるのだろう。いつもより速歩(はやあし)の利一郎は、小屋並びを抜けて町へ入ると、武家屋敷街へと進んでいく。


 残念だ、と斗助は嘆息する。

 利一郎が道中にふいと路地へ入り、懐紙に何やら書きつけたかと思うと、道端の石を包み込み、塀の中へ向けて放り投げたのだ。

 その行動が何を意味するのか、放り投げた先を考えると容易に想像がつく。

 城番になるであろうと話に出た侍の邸であったからだ。


「密告か」

 声をかけた斗助は、同時に一足飛びで塀の上へと駆け上がり、投げ文を掴み取っていた。

「と、斗助……」

「覚悟」


 塀を飛び降りざまに、斗助は懐から出した短刀を振り下ろした。

 流石に利一郎も忍びの端くれ。辛うじて避けると、倒けつ転びつと見せながら、別の石を拾い上げて鋭く投げつけてきた。

 これを短刀で弾いて落とす間に、利一郎の姿は路地の奥へと入っていく。

 二人とも土地は熟知している。この先には、竹林が広がるのみ。


「方波見忍び衆は終りだ。意地を張ってどうする」

 風に揺れる竹藪を背に、やや息が上がる利一郎はいつの間にか苦無を手にしていた。

 追いついた斗助の一刀をがっしりと受け止めるあたり、年齢に似合わぬ膂力はあるらしい。

 しかし、押されている。


「忍び同士で、殺しあうのか」

「お前もそうしてきただろう」

 忍びの修行の中でも、任務の中でも。

「しかし……」

「我らが殿さまがこれを選んだのだ。おれたちを自由にした」


 忍びたちは自ら任務を選ぶことはない。本来ならば。

「だから、おれたちは生き方を、死に方を選んでやるのだ。おれたちが生きてきた証を残してやる」

「城主にでも収まる気か、捨てられたガキの出自で」

「だからこそ、威張りくさった侍には良い薬だろう」


 言葉が終わる前に、利一郎は自ら膝を折り、後ろへと倒れながら足を絡めて斗助の身体を倒した。

 裾絡みなどと呼ばれる体術だが、巧者がやると一瞬で形勢が変わる。

 常人相手であれば、首を掻き切られて終りだろうが、相手は同じ忍び。技も熟知している。


 素直に倒されながら、斗助は相手の膝頭を柄で叩いた。

「あっ」

 と声を上げた利一郎の片足が伸び、拘束が緩む。

 直後、斗助の脛が利一郎の股間を強かに蹴り飛ばした。

 苦悶し身体を丸めたところで、斗助の短刀が相手の首筋をまっすぐに貫いた。


 ぎろり、と利一郎の目が斗助を見た。見たが、それが彼の最後の動きだった。

「……あんたがもう少し若かったら、もっと手間取っただろうさ」

 忍びの死は、あまりにも呆気ない。

「そう恨みがましい目をするなよ。遅かれ早かれ忍びは死ぬ。そうだろう」

 返事はいらない。彼らには当たり前のことだから。

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