3-15 遥かなる光の国をめざして
全身の至る所が軋むような感覚に襲われて、目が覚めて闇のなかで息をして。またあの日の夢を見て。そして僕の身体は、まだ思うように動かなくて。それでも夜は明けてゆくし朝がやって来て、僕は今も戦い続けている──
メキシコ生まれの和製ルチャ・ドールが世界で旅して戦ってきた記憶と記録。栄光と挫折、反骨と野心、退廃と混沌。
強く明るいメッセージを放ち続ける著者の素顔、心の裏側に潜む苛烈な生い立ち。悪戦苦闘の青春。
そして探し続け目指しているのは、いつか見た光の国。
太陽と情熱の国から愛をこめて送り出す渾身の自叙伝。
〝約束する。必ず僕はリングに還る。そのときも、あなたに一緒に居てほしいから〟
Re:Birth
この本を手に取ってくれてありがとう。
僕が故郷の横浜を飛び出しメキシコに渡ったのは高校卒業してすぐ。18歳の春だった。それから20年以上が経ち、僕は今もメキシコに居る。
プロレスラーとして、メキシコ流にいえばルチャ・ドールとしてデビューしたのは2005年12月25日。あっという間だ。色んなことを昨日のように思い出す。
とはいうものの書き始めてみると細かい記録や試合結果などは意外と覚えて居なくて、我ながらいい加減なもんだと呆れるやら苦労するやらだった。そういうわけで今回この本を書くにあたって、長年にわたり僕を取材してくれている小清水記者にご協力をいただいた。業界歴も四半世紀を超えたベテラン記者とタッグを組み、改めて振り返ってみた僕のルチャ・ドールとしての人生は波乱万丈。国内外で七転八倒しながら生き抜いてきた日々は読み物としても面白いんじゃないかと思う。実際そうやって生きてきた僕は、面白かった。だからそれを読者の皆様にも楽しんでいただけたらうれしいな。
ルチャ・ドールの浅井龍哉が生まれたのは2005年12月25日のメキシコ・ナウカルパン州ハルディンにあるアレナ・ナウカルパンという場所だけど、その僕こと浅井竜也が生まれたのは1986年4月7日の愛知県豊橋市。先ずはそこから振り返ってみたい。愛知で生まれ、横浜で育ち、メキシコで再生するまで。そしてそのメキシコで遂に倒れ、戦線離脱を余儀なくされるまで。
思い出すことすら辛いときもある。だけど僕は今も戦っている。思うように動かず、まるで他人の物のような体と。折れそうな心と。過去の栄光や記憶たちと。これでは三対一のハンディキャップマッチ……僕一人では正直とても勝ち目がない。
だから、僕と小清水記者と、もうひとり。これを読んでくださっているあなたが三人目の仲間になって、ぜひ一緒に戦ってほしいんだ。
その代わり、今の僕が持つ思いは、ありったけ詰め込んだ。仲間に隠し事はしないし、あなたを裏切らない。決して。
約束する。
必ず僕はリングに還る。そのときも、あなたに一緒に居てほしいから。
1.喫茶店の看板息子
1986年4月7日。僕は愛知県豊橋市で生まれた。
お陰様で母子ともに健康。モンキーポッドと名付けた喫茶店を営む祖父母と看板娘だった母のもとで、3歳年上の姉・千夏と一緒に育った。
豊橋駅のすぐ近くから水上ビルって呼ばれてる細長い建物群があって。駅から順番に茶色の豊橋商事ビル。次が白い大豊ビル。国道を渡った先が赤っぽいレンガの大手ビルで、我が家とお店はここだった。水上ビルが出来た当時からあって、ご近所さんや常連のお客さんたちでいつも賑わっていた。僕も赤ん坊のころからそこで揺りかごに入れられて〝接客〟していたのだそうな。近くには路面電車も走ってて、僕は市電と呼ばれるそれが大好きだった。そんな風に家族からも周囲からも可愛がられて育った幸せな幼少期に、なるはずだった。
店はB棟の一階で、二階がそのまま祖父母の住まいだった。僕たち家族は同じ団地の四階に住んでいた。六畳二間の和室ふたつに台所と風呂場くらいの小さな部屋で、洗濯機や物干し場は外の通路にあって、夏になるとそこから祇園祭の花火大会も真正面で見られた。こうして書いてみると狭いながらも楽しい我が家なんて言葉を思い出すけど、残念ながらそれは当てはまらなかった。僕が生まれた頃、すでに家庭は機能不全どころか崩壊していた。
理由はたった一つ。僕の父親だ。
喫茶店は繁盛していた。団地の人たちは勿論、近くに大きな会社や役所もあったからモーニングもランチも忙しかったしオヤツの時間が過ぎるまで祖父母と母は働きっぱなしだった。
この祖父母は父方で、母方の実家はすぐ近くでオートバイ屋さんをやっていた。姉はこっちに魅せられて入り浸った末に店も継いで、今では新川オートの三代目店主となった。ただこの当時、姉が母方のバイク屋に入り浸ったのも僕が喫茶店で看板息子してたのも、元はと言えば自宅になんかとても居られなかったからだ。
父親は仕事もせず家でずっと酔っ払ってて、家族にはすぐ殴る蹴るの暴力を振るうし罵詈雑言は浴びせるしロクな人間ではなかった。みんなもそれを知っているのだが、触れるとまた大変なので腫物どころか呪物ぐらいの扱いだった。だから店でもどこでもアイツのことは触れないのが当時の暗黙の了解だった。
でも店が終われば家に帰らなくちゃならない。顔を見ればまた怒鳴られて殴られる。食器や窓ガラスが割れたり、悲鳴や罵声が響いたりするから、近所の人たちも触れないようにしてても聞こえないふりまでは出来なかった。あの頃ドメスティックバイオレンスなんて言葉があったか分からないけど、誰も通報したり助けてくれたりもしなかった。というより、まだそんな意識が無かったのだろう。
そして事件が起きた。
僕の6歳の誕生日からすぐ。姉はいつものように学校が終わると、そのままバイクの家(母方の祖父母宅を僕らはそう呼んでいた)に直行して不在だった。
幼稚園の送迎バスが店の前の道路に停まったら出迎えに居るはずの母が居ない。が、昔というのは呑気なもんで、僕は一人でバスを降りた。何しろ店は目の前だ。
そしてドアを開けて「ただいま!」と満面笑顔の僕が見たものは、凄惨な有様へと変わり果てたモンキーポッドの姿だった。
年季の入った籐椅子はへし折れて、洒落たガラステーブルも砕かれて、インベーダーゲームの筐体も画面が割れて真っ黒で、飲み物が入ったままのグラスや名物だった鉄板焼きナポリタンがこぼれた鉄皿が床に散らばり、祖父母も母も居なかった。
無人の店内につけっぱなしのラジオだけが明るいお喋りを続けていた。
ついこの間ここで僕はお誕生日会をやってもらったばかりだった。幼稚園や団地の友達も沢山来てくれて、お客さんも集まってくれて、とても楽しかった。それと同じ場所だとは全然思えなかった。まるで長い間ほったらかしにされたように何もかも滅茶苦茶な店の中で茫然としている僕のところへ、隣で学習塾をやっていたケイコさんが来て事情を話してくれた。ランチタイムに突然、泥酔した父親が店まで下りてきて暴れた揚げ句、母や祖父母にも怪我を負わせたのだ、と。周りにお客さんが居てもお構いなしだったそうだ。
すぐに警察を呼んで、僕の家族を自分の教室に匿ってくれると同時にバイクの家にも電話をかけて、絶対に千夏ちゃんをそこから出すなとも言ってくれたのもケイコさんだった。いつもオヤツの時間には店に戻ってくるから、もし来ていたら巻き添えを食っていたかもしれない。家族の手当てもしてくれて、ケイコさんには今でも感謝している。
漸くこれが決定打となり、僕たちは離れて暮らすことになった。
でも事件のあと祖父母はみるみる衰弱していった。幸い軽傷だったものの大勢に迷惑かけたから、と店も閉めてしまい生き甲斐を失って……半年も経たないうちに僕の大好きだった祖母は他界し、年が明けぬうちに祖父も後を追った。家族も、店も、遂には心まで壊された母とともに、しばらくはバイクの家に母子三人で居候することになった。でも、いつまでもここには居られない。何しろあの団地から信号ふたつ渡って、角をひとつ曲がったらすぐなのだ。子供の足でも5分で着く距離にあんな奴が居ると思うだけで、母は震えや嗚咽が止まらなくなり、時には突然嘔吐することすらあった。
悔しかった。
仮面ライダーやジェットマンみたいに、自分も強ければと思った。
力とか戦うとかいうことを初めて意識したのは、多分この時だったと思う。自分も散々やられたことだから、体を動かす感覚や痛みの感じは肌で理解していた。でもこれを、どう言い表せばいいのか分からず、もどかしかった。
それが全部分かったのは僕らが親類を頼って横浜の弘明寺に引っ越してからだった。元町で小さな会社をやっていた母の兄であるヨシヒロおじさんの家には、おじさんが趣味で集めていた色んなビデオカセットが沢山あった。映画、アニメ、ドラマ、スポーツ、なんでもありだ。そこで僕が見つけたのは、ウルトラマンが出てくるVHSテープだった。
あの当時ウルトラマンはテレビ放送こそしてなかったけど雑誌やビデオで見ていたし、家にもおもちゃが沢山あった。特にウルトラセブンが好きだった。
でも、そのビデオに出てきたウルトラマンたちは覆面をかぶった人間だった。相手はタイガーマスク。新日本プロレスの蔵前国技館で行われたWWF世界ジュニアヘビー級選手権、つまりプロレスの試合だった。満員のお客さんが歓声を上げ、まばゆいライトに照らされたリングが戦う二人を待ち受ける。そして死力を尽くして勝負を挑む。ビデオは次の試合を映し出した。そこに映っていた人物こそ、僕の人生を決めてしまった張本人だった。イギリス出身の彼は常人離れした筋肉を身にまとい、タイガーマスクを滅茶苦茶に痛めつけボコボコにしてしまった。ウルトラマンどころかこれでは筋肉の怪獣だ。でも、タイガーマスクは負けなかった。何度でも立ち上がり勝利を掴んだ。ときに大怪我をしてもリングに帰ってきたとアナウンサーが叫んでいた。
ウルトラマンに導かれた光の国はリングの上にあった。それが僕にとって力の象徴であり、やがて目指す旅の道しるべになった。
人間の僕でもウルトラマンみたいになれるんだ!
いや、僕はあの強い彼のようになりたい!
リングの上ではタイガーマスクを睨みつけるイギリスの戦う貴公子、ダイナマイト・キッドの姿があった。





