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※暴行を思わせる表現がありますので、苦手な方はご注意ください
夜会会場の喧騒から離れて、ランドルフは王宮の奥へと向かっていた。
給仕の者から、父であるステュアート公爵が国王の元におり、自身を呼んでいると聞いたからだ。
「本日東側からは向かう事ができません。西側からお回りください」
「わかった。ありがとう」
夜会中に会合とは、何か緊急事態でもあったのだろうか。
とは言え、自分を呼び出すと言うことは――実は、それ程差し迫った話ではないのかもしれないな。『顔を見せろ』と言う程度かも知れない。
などと、何か呼び出しを受けるような理由を想定してみるが、いずれも釈然とせず(まあ、向かえばわかることか)と、少々早めに歩を進めていた。
助言があった通り西側を回り廊下に出ると、様子の不自然さにランドルフは一瞬足を止めた。
通常ならば立っているはずの位置に、警備の者が居ないのだ。
その、足を止めたランドルフを、ランドルフは見ていた。
――ダメだ。そっちに向かったら
だが、視界に映るランドルフは、腑に落ちない表情をしつつも再び足を動かす。
――その角を、曲がったら……
ランドルフは廊下の角を曲がった。
そして曲がった少し先に、何かが落ちていることに気づいた。
近づくと、蹲った女性が苦しそうに胸を押さえている。
――ダメだ。その女に関わるな! 離れるんだ!
「ご令嬢、どうかされたのか?」
「……ぁ、も、申し訳ございません……胸が、苦しくて……」
女は苦しそうに胸を押さえ、
「恐れ、入りますが……車寄せの方まで、支えて、頂けますでしょうか……?」
とランドルフに懇願した。
――それは嘘だ! 信じるな! ああ……ダメだ
ランドルフは女に肩を貸し、元の通路を戻り始める。
――頼む、待ってくれ。お前、その時思ったじゃないか『この女は何故ここにいるんだろう』って……そうなんだ、おかしいんだ。思い留まってくれ
そして
ある扉の前で
女は、少し休ませて欲しいと扉に体を預けた。その後
ランドルフを油断させた隙にいきなり扉を押し開け、ランドルフと中に倒れ込んだのだ。
それでも、倒れた瞬間はランドルフもアクシデントだと考えていた。
しかし、女はランドルフの身体にしっかりと絡みついた。扉が自然に閉まるまで、ランドルフの身動きが取れないように。
そこで漸く気づいたのだ――図られたのだ、と。
薄暗いその部屋の奥の方からだろうか、嗅いだことのない面妖な香りが漂っており、ランドルフの感覚を鈍らせつつあることに気づいた。
(……この奥に行ったら、俺は終わる)
そのゾッとする直感めいたものを断ち切るため、ランドルフは何とか意識を保ち、絡みつく女を振り解いた。
その拍子に室内の奥に視線を向けると、薄い煙の立つ怪しげな香炉と、数種類の瓶のようなものが視界を掠めた。
瓶はひと瓶だけ空き、倒れていた。
この女が飲んだのかも知れない。
後に、それらは催淫剤や精力剤の類だったと知ることになる。
女は、逃げようとするランドルフの腕に必死で絡みつき、どろりとした瞳を向け言った。
『一度だけ、どうかお情けを』
そして、にいと笑ったその顔。
その顔が、キャスリンの顔と重なった。
「……っうわっ!!」
自身の叫び声と共に悪夢から目覚めたランドルフは、視線の先に見慣れた天井があることに心から安堵した。
酷い汗が身体中から吹き出しており、こめかみに触れると“ぬるり”とした感覚が指から伝わった。
暫し、あの状況から逃れる事ができたというのは実は夢だったのではと、恐ろしい記憶の混濁があった。だが、全身から吹き出していた汗が引ける頃にはその考えも消え去り、ランドルフは落ち着きを取り戻していた。
「――若? どうかされましたか?」
と、扉の向こう側からノックの音と共に侍従のレイモンドに呼びかけられた。
その変わりのない声、いつも通りの光景に、ランドルフは更に安堵を深める。
「何でもない。少し、夢見が悪かっただけだ」
「――左様でございますか。何かあればお呼びください」
そして、扉の向こうの気配は消えた。
昨日のアレのせいだろうな――と、ランドルフは微かに震えている手で額を覆う。
スタンスフィールド子爵家の次女、キャスリン。
あの令嬢の媚びた目つき、不自然に弧を描く笑顔の口元はあの時の女とそっくりだ、とランドルフは身震いをする。
だが、思い起こさせるとはいえ、まさか絡められた腕に嫌悪し身動きが取れなくなる程にあの時の影響を受けていたとは思わなかった。
初めてキャスリンと出会った夜会で、ランドルフは見知らぬ女に襲われかかった。
未遂に終わり内々に処理を済ませ――王室との話し合いにおいても『公表せず内部で処理する』とした後、庭園で落ち着きを取り戻している時に突然現れた令嬢、それがキャスリンだった。
偶然ランドルフを見かけ、近付く機会を得ようとしたのだろう。少々マイルドだが、ほぼあの見知らぬ女と同じ人種だ。
それにしても、昨日腕に絡み付かれ続けたあの時、クリフォードが助け舟を出してくれなければ流石に震えが出ていたかもしれない。
持つべきものは、気心が知れた頭の回る友である。
(“友”と言っても、悪友に近いかも知れないけどな)と、笑みが湧き上がる。
そうは言っても――エメライン嬢は譲れない、とランドルフは思う。
挨拶を、と控えめに伸ばされた指先を捉えた時。
慣れていないのだろう、一瞬ビクリと引くような動きがあった。
キャスリン嬢の、あの全ての桃色をふんだんに盛り込んだドレスなんかより、装飾のない質素な、そして控えめなエメラインの方が好感が持てた。
いや寧ろ、あの状態から磨き上げ、美しく飾り付けたら――どれほど人の目を惹くだろうか。
ランドルフはその後、エメラインについての妄想を膨らませることに暫く時間を費やした。
そうして、つい先程まで苦しめられた酷い悪夢の事を、エメラインという美しい女神が頭の中から消し去ってくれたのである。




