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エメラインが手紙を書き終え顔を上げると、丁度侍女が封の準備を整えたところであった。
「ありがとう。でも……」
エメラインが印章の、紋章が刻まれた面をチラリと確認する。
「ダンフォード侯爵家の印章をお借りするわけには」
「レベッカ様よりそちらをお使い頂くようにと申しつかりました。ですが……もし気に病まれるようでしたら印は付けずにお送りしますか? あまりお勧めはできませんが……」
「そうね……」
少し悩む様子を見せると、ノックの音が響いた。
侍女が扉を開けると、レベッカが顔を見せる。
「もしかしたら、シーリングに悩まれるかしらと思って」
レベッカがふわりと笑った。
その微笑みを見て、(本当に、色んなことを察して動いてくださる)と、エメラインはレベッカへまた一つ感謝を重ねた。
体調を崩したという名目でダンフォード侯爵家に滞在することになってから、エメラインは様々な手厚い対応をレベッカから受けている。
身の回りの一揃えは勿論のこと、自ら選んだ有能な侍女を即座に付けてくれた。
また、広い交友関係の中から今後の社交において後楯になってくれそうな女性たちを招いて茶会を開き、エメラインの人脈の拡大に貢献してくれたのだ。
積極的に社交の場に出ていくことがなかったエメラインにとって、これは今後大変有益なことと思われた。
もしも王太子殿下の婚約者となり、後に王太子妃になるようなことがあれば、社交の場に出て行かない訳にはいかない。その際に助けとなってくれる人々がいるならば、それに越したことは無い。
(もしも、王太子殿下のお申し出に頷くことになったら)
エメラインは頬を赤らめつつ思う。
今の身分から考えれば大変不相応な話だ――そう、その事がエメラインのドレスの裾を踏みつけて前に進まないよう牽制している。
初めてイライアスに出会ったあの夜会で、エメラインはまるで雷が身を貫いたかのような衝撃に慄いた。
あの日確かに“運命”というものを感じたのだ。
その後の出来事が薄くしか思い出せない程に、出会いは衝撃をもって強く脳内に刻みつけられた。そして、イライアスに会う程に、会話をする程に、その想いは強くなり胸を甘く苦しくさせる。
「シーリングが無い手紙は不自然ですし、エメライン様は当家に属する方になる可能性が高いのですから、やはりそちらをお使いになってくださいな。当家に滞在されている証明にもなりますし」
ね? とレベッカはエメラインと目を合わせた。
エメラインは未だ頬を軽く上気させたまま控えめに頷く。
(早めに心を決めて、お返事を差し上げなければ――彼女のためにも)
レベッカの、恋のためにも。
エメラインにもわかっていた。レベッカが誰に恋をしているのか。
そしてその思いを察し胸を痛めた。
自分がいなければ、とも考えた。だが、レベッカはその考えを持つことは決して喜ばない筈だ。
彼女が自分にしてくれたあれこれを瞬時に無意味なものにしてしまうであろうその考えは、浮かび上がったとしても打ち消すべきものである。エメラインは、レベッカが心を尽くしてくれたことに感謝し報いたいと思っていた。「自分がいなければ」、それはその心遣いの全てを否定することになる。
だから、出会った愛する人を受け入れたいと思っていた。
そう思いながらも、やはり身分差に身が引けてしまうという矛盾。
本当に自分で良いのかという、自分自身に対する不信感のようなもの。
そんな暗い思いに反して、どうしようもない消えることがない初めての恋心。
そういった様々なものが、エメラインの中でぐるぐると混ぜられ未消化なまま停滞していた。
エメラインはレベッカの気遣いに感謝をする度に「当家にも利することですのでお気になさらず」と配慮の言葉を伝えられた。
側にいる時間が長くなる程、レベッカへの信頼は増して行く。利益だけで行動するような人物では決してない。
エメラインにとって、レベッカの存在は日を追うごとに大きくなっていった。
であるのに、自分は彼女の心の負担が軽くなるであろうたった一つのことでさえ提供できずにいる。
そのことが心苦しくてならなかった。
そして、クリフォードについては、
(何故、自分自身のお心を偽っておられるのか)
そう、憤りさえ感じていた。
エメラインはあの夜会での挨拶の後、自分達に群がる令息令嬢を散らしてくれたランドルフとクリフォードを思い出す。
(あの時の、クリフォード様のお顔――)
エメラインに寄って来た令息たちを見て仕方なさげに笑みを浮かべていたクリフォードは、同じようにレベッカへ彼らが群がり始めると瞬時に顔色を変え、蹴散らしたのだ。
それでも、クリフォードはエメラインに好意を抱いているような振る舞いを未だに続けている。
エメラインは思う。自覚がないというのは大きな罪であると。
(だけどわたくしにできることは、進退を明確にしてクリフォード様にわたくしのことを諦めてもらうことくらいでしょうか)
もどかしい事、とエメラインは考える。
そして恐らく、もどかしさに身悶えしているのは自分だけではないだろうと思われた。
「仰る通りですわね。お気遣いありがとうございます」
エメラインは印章を受け取る。それから「お借りします」と言葉をかけると、温められて柔らかくなった蝋の上に印章を静かに押し当てた。
手紙には、エメラインが大変恐縮してしまう程に侯爵家で大切に対応してもらっていること、王太子殿下の婚約者になれば恐らくこのまま侯爵家にお世話になることになり、会うことはままならないだろうということ、最後に今までのお礼を付け加えた。
そして封書を別にして、キャスリンにも「もっと仲良く、一緒に楽しいことをしたかった」という趣旨の内容を認めた。
そちらには「先日のような失礼をしてはいけない」と諌めるような言葉も入れている。
キャスリンのあの来訪時の態度は王家や侯爵家より抗議があって然るべきものではあったのだが、『今回に限り』との但しを付し、不問とされた。エメラインのお陰で許されたようなものである。
だが、二度目は無いだろう。
キャスリンが理解してくれればいいのだけど、とエメラインは溜息を一つついた。




