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「まさか、あそこで走るなんて」


 ジェレミーは、先日のダンフォード侯爵邸での出来事を想起し呟いた。


 ブラシを当てられ気持ちよさそうに首を伸ばしていた目の前の馬は、ジェレミーの呟きに小さく反応する。

 その様子に微笑みで返し、撫でるようにブラシを体に沿わせると、馬は体を寄せて瞬きを減らす。



 あの日、キャスリンは終始気が急いている様子を見せていたのだが、侯爵邸に到着してからはそれが顕著に見えた。

 そもそも、門衛の目を掻い潜ろうとするなど通常は自殺行為と言えるだろう。直前にエメラインの名前を聞いていなかったら、注視するだけでは済まされず、令嬢とはいえ即捉えられていたのではないだろうか。


 あの時点でさえ大変恐ろしかったというのに、とジェレミーは目を閉じる。


 ダンフォード侯爵や、その令嬢に対する対応。

 特に、令嬢であるレベッカ嬢への言葉の返し。

 また、身内が世話になっているところに『姉を返して欲しい』とは。


 ジェレミーは当日のキャスリンの振る舞いや言動を思い出し、最早過ぎ去った出来事ではあるのだが、改めて鳩尾の辺りが重く軋む。

 従者である自分でさえ不敬かどうかなど判断できる。

 天真爛漫というより、あれではただの傍若無人である。


 しかもその後、彼らを振り切って屋敷の奥に進んでいくなど――あの場にいたのが使用人だけだったのが幸運だっただけであり、もし近くに衛兵などがいれば即座に捉えられたであろう。

 あの足の速さには舌を巻いたが。令嬢らしからぬ身体能力の高さである。


 キャスリンの自由奔放で危なっかしいところは、ジェレミーにとって魅力に感じるところもある。

 だが、本気で危ないという事になると話は別だ。


 ――しかし、とジェレミーは思う。


 行き倒れていたジェレミーに手を差し伸べ、自分のところに来いと言った勝ち気な少女。

 夢中になって食事をとる自分を、満足そうに眺めていたその表情。


 キャスリンは自分の恩人である。見捨てることなど絶対にあり得ない。

 世界中の全ての人間がキャスリンを咎めたとしても、自分は、自分だけは、側で護るつもりだ。

 既に失っていてもおかしくはない命、キャスリンの命を護るためならば差し出しても構わない――犬死にだけは遠慮したいが。


 そして、それ以上の思い。それは、ずっと隠し続けなければならない類のものが、ジェレミーの心の中には確かにある。




 そのとき、ジェレミーはキャスリンについている侍女に背後から呼びかけられ、振り向いた。


 侍女はキャスリンがジェレミーを呼んでいるので、キャスリンの私室に向かうよう告げる。


 ジェレミーは馬の背をひと撫ですると溜息を一つついた。

 そして用具などを整えると馬を馬房に戻し、厩舎を離れてキャスリンの私室へと向かった。


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