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またもや遅れてしまいすみません
「お姉さま! こちらにいらっしゃいましたのね!」
扉の向こうの喧騒に静まり返っていた室内に、扉が開け放たれた音と令嬢の甲高い声が響いた。
それと同時に、桃色の塊がエメラインとイライアスのところまで進んでくる。
「お姉さま、お元気そうではありませんか! お迎えに上がりましたわ。さあ、帰りましょう!」
エメラインは呆気に取られて言葉を発することができずにいる。
その隣で、イライアスは眉間に深い皺を刻み、目の前まで進んで来たキャスリンを睨みつけた。
そして少し離れた場所で、ランドルフとクリフォードは考えが追いつかない様子でキャスリンを凝視している。
「キャスリン」
「はい、お姉さま。馬車を待たせていますわ。すぐに邸に向かうことができましてよ。荷物をまとめる時間は必要かしら。いいえ、後で送っていただけば良いですわ。皆様にご挨拶を済ませたら、お暇しましょう」
「キャスリン」
「あ、もしかして何かお持ちになりたいものがあるでしょうか? でしたら少しはお待ちしても良いですわ!」
「キャスリン、まず、皆様にご挨拶をなさい」
「ご挨拶?」
キャスリンは呆けた表情で首を傾げる。
「何のご挨拶?」
はあ、とエメラインは小さく溜息をついた。
「今、お部屋の中にはこちら、王太子殿下と、公爵令息のお二人がいらっしゃるのだから、まずはご挨拶をするのが」
「あっ、ランドルフさまっ」
キャスリンはランドルフの方に向かう。
そして引き気味のランドルフの腕に絡みついた。
「ご無沙汰してます! 会いたかったです!」
ランドルフの隣にいたクリフォードは、顔は動かさず視線だけキャスリンの方へ移動させた。
まるで異様なものを見つけてしまったかのような目である。
ランドルフは身体を引きながらも、キャスリンから逃げることができないでいた。
「キャスリン、男性のお身体に妄りに触れてはいけませんわ。以前からお話ししているではありませんか。それに王太子殿下へのご挨拶は」
「ランドルフさま、どうしてこちらへ?」
「姉君へダンスのレッスンの相手として僕たちは伺っているのですよ、ご令嬢」
キャスリンはエメラインの言葉を無視し、ランドルフに腕を絡めたまま媚びた目を向け続けていた。
そんなキャスリンの問いに、クリフォードは平坦な声で横から答える。
クリフォードの返答を受けて、キャスリンはランドルフを見つめたまま更に言葉を発した。
「お姉さまに? 何故? でしたら、わたしにも相手してくださいませ」
「姉君は王太子殿下の婚約者候補としてダンスのレッスンも必要とされるからですよ」
「お姉さまにダンスの相手をするなら、わたしにもしてほしいです!」
強請るように、キャスリンはランドルフを見上げている。
ランドルフは青ざめた額に汗を浮かべている。見上げているキャスリンと目を合わそうとしないのだが、身体は硬直し逃げることができないでいる様子だ。
「私の婚約者の候補となっている姉君とご令嬢が同じ立場であるとでも?」
イライアスが一言キャスリンに言葉を投げた。
すると、ランドルフを見上げていたキャスリンは反応し、視線をゆっくりとイライアスへと移す。
「はい」
キャスリンは満面の笑みで答え、「だって姉妹ですもの」と言葉を追加した。
その時、扉付近でどうするべきか考えあぐね、室内に入れずにいた邸内の従者がかき分けられた。
「君たちすまないね。まさか、侯爵家を走り回る令嬢が存在すると思わなくてさ」
ダンフォード侯爵が顔を見せ、若干呆れたような声を発した。少し息が切れている様子なのは急いで追いかけてきたからであろう。そしてその背後にはレベッカの姿も見られ、キャスリンを睨むように見ている。
更にその後に、室内を伺っているジェレミーの姿がある。キャスリンを抑えたい気持ちはあるのだが、今自身が室内に入って行くことの可否を判断できないでいる様子であった。
「ご令嬢」
イライアスがキャスリンの方を向き、言葉を発した。
「エメライン嬢はスタンスフィールド家には戻らない」
キャスリンは怪訝な表情でイライアスの方を向いた。苛立ちを隠すつもりもないようだ。
「どうしてですか? まだ婚約者候補なんでしょう? じゃあ帰してください! お姉さま、皆お姉さまを待っているんです! お父様もお母様も、お姉さまが帰ってくるのを」
「搾取するものがいなくて困っていると?」
キャスリンはぐっと息を呑んだ。
が、すぐに表情を悲しげな様子に変え、「そんな、ひどいです」と掠れた声で呟く。
「だって、婚約者候補じゃなくなるかも知れないじゃないですか。そうなったらお姉さまはこちらに居づらいと思います! だから子爵家に帰ってきた方がいいと思うんです!」
イライアスはふっと笑って「その心配はいらない」とキャスリンに返す。
「あ、もし万が一殿下の婚約者候補から外れることがあったとしても、エメライン嬢はうちにいてもらうから」
ダンフォード侯爵も口を挟み、それをレベッカが首肯する形で同意する。
また、身体を硬くして言葉を出す余裕もないランドルフの代わりにクリフォードが、「そのようなことになったら、僕たちのいずれかがエメライン嬢に婚約を希望するだろう」と補足する。
それを聞き、キャスリンは思わず「え……?」と言葉を吐き出した。
「僕たちのいずれか……?」
キャスリンは改めてランドルフを見る。
ランドルフはその時になって漸くキャスリンの呪縛を解くことができ、そのことに安堵しつつ数度首を縦に振った。
「先日の夜会で、彼が姉君をエスコートしていたことは、ご令嬢もご存知だろう?」
ダンフォード侯爵が話を捕捉しキャスリンの記憶を呼び起こした。
キャスリンは愕然とした表情を見せ、それから怒りが湧いたのか紅潮へと転じさせる。
しばしの沈黙があり、ジェレミーがそれを破るように「お嬢様」とキャスリンに声をかけた。
すると、我に返ったのか、キャスリンは「ふん」と言葉を吐き出し、扉へと向かった。
扉から出る直前、キャスリンはエメラインの方を振り返った。
「お姉さま、その色は似合いませんわ」
言葉に反応したエメラインは、視線を少し落としてドレスを眺めた。それから隣のイライアスの方に顔を向けると、イライアスは微笑んで首を左右に振った。
「この間の夜会でも思ったのですけど。お姉さまは出て行った時に着ていた、あのような色合いの方が似合うと思いますわ」
レベッカは迎えに出た時のエメラインの服装を思い出し、口を挟む。
「キャスリン嬢は随分と古めかしいご趣味でいらっしゃいますのね? 色にも流行がございましてよ?」
キャスリンはレベッカを睨みつけながら扉を通り抜け、ジェレミーに「早く来なさいよ」と叫んだ。
その様子を見て、ダンフォード侯爵はやれやれと肩をすくめ、レベッカと目配せをする。
ランドルフは気の抜けたような表情でクリフォードにもたれて立っており、そしてエメラインの横に立つイライアスはキャスリンが見えなくなっても暫くその方向を睨みつけていた。
✴︎
キャスリンは音を立てて馬車に乗り込んだ。
そしてドスンと腰を下ろすなり、指を口元に寄せ爪を噛んだ。
「お嬢様……」
ジェレミーが咎めるような声を出すと、キャスリンは「うるさいわね」と睨め付ける。
どうしたら?
どうしたら、エメラインは子爵家に戻ってくる?
いや、あの令息たちはどうしたらエメラインを諦める?
それだけじゃ飽き足らない。全ての貴族令息からエメラインは“無し”と思わせるにはどうしたら?
全ての男がエメラインなど歯牙にも掛けないようにするには?
全ての令息、そして貴族諸家が忌避すると言ったら――それは。
(アレしかないじゃない?)
キャスリンの胸中の濁った沼から、黒い得体の知れない物体がぬうと姿を見せたのだが、
誰も、本人さえも、そのことには気づいていなかった。




