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 執務室で監視され、ふうふう言いながら書類に押印していたスタンスフィールド子爵は、扉の向こうから聞こえる焦ったような声に反応した。


「旦那様。大変でございます」


 汗を浮かべながら、執事が子爵の側に進み寄る。


「な、なんだ。もうわたしはこれ以上何もできないぞ!」

「お客様がお見えなのですが」

「客だと!? 今わたしは忙しいんだ。見ればわかるだろう! 帰ってもらえ」

「いえそれが、王宮の方がいらしてまして」

「王宮? どういうことだ!?」


 子爵のほど近くに机を寄せ座っている二名が眼鏡を光らせる。


「子爵殿、ご対応された方がよろしいかと」

「こちらは一旦我らにお任せください」


 子爵は来客はともかくとして、この場から逃れられることに喜びを感じたらしい。

 ほのかに笑みを浮かべ、執事が開いた扉の向こうへ向かう。


「ご対応が終わりましたら、速やかにお戻りください」


 非情な言葉を耳にし、子爵は苦虫を噛み潰したような表情で「わかっている」と呟いた。



✴︎



(なぜ、王宮最高秘書官が……)


 応接室のソファーに座ったスタンスフィールド子爵は、額の汗を何度もハンカチで押さえた。対面には冷酷そうな顔つきの王宮最高秘書官である男が同じようにソファーに座している。


 今まで執務は全てエメラインにやらせていたし、不正などは無かった筈だ。

 だが何か預かり知らぬところでうっかり不正に繋がるような誤りでもあったのだろうか。

 つくづくエメラインが不在であることが悔やまれてならない――などと考えていると、目の前に座る秘書官が口を開いた。


「失礼ながら、そちらの令嬢は」

「キャスリンです!」


 秘書官に視線を向けられると、子爵の隣にいたキャスリンが満面の笑みで答える。



 王宮最高秘書官が訪れ執事と要件について話をしていた際、キャスリンは丁度その近くにおり、密かに会話を聞いていた。

 その際に『貴家の令嬢について重要な要件がある』という言葉をキャスリンは耳にした。


(先日の王太子殿下の成人祝いは婚約者探しの一環だと言っていたわ。ということは――)


 キャスリンは筋肉隆々で無骨な印象の、玉座に座る高貴な男を思い出す。


「王太子がわたしを見初めたというのなら、相手をしてあげてもいいわ。ランドルフ様の方が好みのタイプだけど」


 顔を緩めながら、キャスリンは独り言ち、身支度を簡単に整えると浮き足だった様子で客間に向かった。



(あんな冷たい目で見下ろすようにこちらを見ていたのに。きっと素直じゃない人なんだわ)


 キャスリンがふふふ、と楽しげに微笑むと、秘書官は表情を変えずにキャスリンに告げた。


「左様ですか。本日の要件につきましては令嬢とは無関係です。内々の通達になりますので、ご退出頂きたい」

「え、無関係? わたしこの家の令嬢ですけど?」

「貴家の長子であるエメライン嬢に関する要件になります。ご退出頂けますか?」


 秘書官は有無を言わさない様子でキャスリンに退出を促した。


 何か罪でも犯してしまっただろうかと悩んでいた子爵は、二人のやり取りで不正などを追求される訳ではないようだと理解し、安堵の表情を見せた。

 だが“エメラインが関わる案件”という言葉に、改めて表情を硬くする。


 キャスリンは、秘書官の態度に苛立ちを隠し切れない様子で室内の侍女と共に退出した。

 部屋の中にはスタンスフィールド子爵と夫人であるイライザ、そして王宮最高秘書官だけが残っている。


「わたくしは本日、国王陛下の意によって貴家へ伺っております」


 秘書官は徐に懐から書状を取り出し、子爵に向け「こちらをご覧ください」と差し出した。


 子爵は震える指先で封書を受け取り、王家の印章が押された封蝋をしみじみと眺めた。

 それを見てイライザがペーパーナイフを用意し、子爵に手渡す。

 書状を取り出し内容を確認すると、子爵は明らかに顔色を悪くした。


「これは……まさか……」

「はい、貴家令嬢エメライン嬢につき、陛下の強いご意向により、王太子殿下の将来のご縁談の候補としてお名が挙がっております」

「そんな……!」


 その時、イライザが口を挟んだ。


「まあ、貴方、落ち着いてくださいませ。婚約者候補と言っても、どうせ数多いる候補者にちょっと毛色の違うものでも混ぜておこうというようなお考えでございましょう」


 イライザの言葉を聞いた秘書官は薄く笑い、ゆるゆると首を振る。


「奥方、王太子殿下の婚約者候補はエメライン嬢お一人でございます」

「えっ……」

「では、要件は以上です。わたくしはこの辺で失礼」


 秘書官は立ち上がり、扉の方に体を向けた。

 ――が、何か思いついたかのように立ち止まる。


「もう一つお伝えするのを忘れておりました。エメライン嬢が婚約者として確定されましたら、いずれかの高位貴族と養子縁組をしていただくことになると思います」

「――なんですって!?」

「後楯がないまま王宮に入られるのはご本人のためにもなりませんから――それとも、適切な後見人にお心当たりでも?」


 子爵と夫人はぐっと喉を詰まらせる。


「その後の対応などは養家との話し合いになります。なお、養家は今現在エメライン嬢が滞在されているダンフォード侯爵家の可能性が高いでしょう。あくまでも可能性ですが。――では、失礼します」


 秘書官が扉に向かうと、慌てて子爵が扉を押し開いた。軽く会釈をすると、秘書官はその向こうへ足を踏み出す。

 見送りのために、子爵は秘書官の後に続いた。


 イライザが背後で扉を閉め、二人の後に続こうとしたところで、ひらひらとした装飾の目立つ桃色のドレスを翻し去って行こうとするキャスリンに気づいた。


(まあ。あの子ったら立ち聞きをしていたのね)


 イライザはニヤリと唇の端を上げ、小さくなっていく淡い色の背中を見つめながら思った。


(わたくしが何も行動を起こさずとも、キャスリン(あの子)が勝手に事を起こすでしょう)




 キャスリンは自室へと足を速めながら、どのような方法を取ればエメラインから全てを奪うことができるのかと考えていた。



 激しい屈辱と妬みで満ちた心の泉から、むくりと邪悪な悪魔が生まれ出るのは、もう間も無く――


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