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その日、スタンスフィールド子爵家に一通の封書が届けられた。家紋の封蝋はダンフォード侯爵家からであることを示している。
昨日の夜会では、子爵と夫人、キャスリンは王太子イライアスへ挨拶をし、国王陛下からの勅語や王太子からの成人するにあたっての一言などを一通り耳に入れ、関わりのある貴族らと多少の交流をしたのち邸へ戻った。
キャスリンは自分の取り巻きの令息たちとダンスなどを楽しんでいた様子だったが、子爵はエメラインが身近にいないことで気もそぞろであった。また、貴族たちの言葉に『仰る通りでございます』などと持ち上げながら会話をするなど肩が凝って仕方がない。
夫人であるイライザはいつの間にかいなくなっていたのだが、それは常のこととて意に介さずにいた。
イライザが言っていたようにエメラインは会場で連れ帰る予定だったのだが、侯爵令嬢からあのように言われては仕方ない。
その後見つけ出した夫人や後ろ髪引かれる様子のキャスリンを馬車に押し込み、御者に速やかに戻るよう伝えたのだ。
(まあ、夜が更けない頃には戻ってくるだろう)
子爵は楽観的にそう考えながら、自邸に戻ってきた。
だが、その考えとは異なり、帰宅し執事から聞いたのはエメラインを暫く預かるとの連絡があったということであった。詳細は封書にて翌朝届けるとのこと。
流石に夜半に訪れる訳にも行かず、子爵はまんじりともせずに朝を迎えたのであった。
「これはどうしたものか」
開いた封書を手にした子爵は、そのまま放心したように空を見つめた。
その様子を見たイライザはそっと封書を取り上げる。
目を通し無言のイライザの手からひったくるように封書を奪ったキャスリンも、急ぎ内容に目を通す。
その封書には、
エメラインが夜会で人の気に当てられて体調を崩したこと
侯爵家の侍医に診察を受けさせると、重度の過労と栄養失調とのこと
子爵家に返すと再び仕事に携わる可能性があるため暫く当家で預かる、そして代わりに侯爵家の優秀な人材を送る
と言った内容が記されていた。
「何よ、これ……!」
キャスリンは叫び、扉にほど近いところに立つ二人の男を睨みつける。
いかにも有能そうな人材二名が全く同じ様子で佇んでおり、キラリと縁の光る銀縁と金縁の眼鏡をそれぞれ摘み上げた。
「こんなの認めないわ! お父様、お姉さまを迎えに行ってくださいませ!」
甲高い声が部屋に響いたが、すぐに男のうち一人が子爵へ声をかけた。
「――スタンスフィールド子爵殿」
突然声をかけられて驚いたのか、子爵は一歩後退り返事をする。
「はっ、はい!」
「業務が滞っているのでは。今すぐ取り掛かりましょう」
「私共が手伝います故、執務室へ向かいましょう」
その感情の篭らない声色に微妙な圧力を感じ、子爵は「はいぃ……」と声を上げ、扉に向かう。
男二人も眼鏡の位置を直しながら後に続いた。
しばらく後、執務室から全く出てくる気配のない子爵を気にしたキャスリンが執務室を覗くと、子爵は額に汗を浮かべ唸りながら書類に向かっていた。
キャスリンにとって初めて見る父親の姿だった。今まではその役目は姉であるエメラインのものであったからだ。
眺めていたキャスリンは視線を感じ、ふと顔を上げると、子爵のほど近くに新しく机を並べている男二人とバッチリと目が合った。
二人の眼鏡がきらりと光る。
「「ご令嬢」」
「ひっ」
思いがけず声がかかったキャスリンは、一瞬怯んで扉から離れた。
「ご令嬢、少々宜しいでしょうか」
銀縁の眼鏡の方の男がキャスリンに入室を促した。
恐る恐る入室したキャスリンは促されるままに男たちに近づく。
「この」
金縁眼鏡の男が自身の目の前にある書類の一点を指差す。
「“ドレス代金”の金額ですが、これは一体どんなドレスを作ったらこの値段になるのでしょうか」
キャスリンは困惑した表情で「それは」と微かな声を吐き出す。
「昨日の、王太子殿下のパーティーのためのドレスですわ。失礼のないように、ドレスの不備を何度か手直しさせました。その手間賃が加わっているのですわ」
「そのようなことがあったとしても、常軌を逸しています」
銀縁眼鏡の男が口を挟む。
「通常、貴族令嬢のドレスの金額の目安はトレンドにもよりますがこの半分程度になりますね」
パラパラと手元の帳簿をめくりつつ言葉が続く。
「貴家は装飾品の類に金額をかけすぎです。少し自制していただかないと」
チラリ、と銀縁眼鏡の男は書類からキャスリンへと視線を移す。
「今回は仕方がありませんが、今後は控えていただくことを念頭においてご購入を――そうですね」
銀縁眼鏡の男はサラサラとメモ用紙に何かを書き付ける。
「子爵令嬢でしたらこの程度の金額が妥当なところだと思います」
キャスリンはメモを受け取り「こんなのあり得ない」と真っ赤な顔をして呟き、乱雑な足音を立てて部屋を出ていった。
その様子を見送り「よくもまあ……この状態を保たせたものだ」と男がひっそりと溜息混じりに呟いたが、頷いた隣の男にしかその声は届かなかった。
キャスリンは足を踏み鳴らしながら自室へ戻り、イライラしながら爪を噛んだ。
「……っ、何なのよ!」
姉であるエメラインであれば。あの程度のこと、多少騒げば要望は通るのだ。溜息を吐かれる程度で済むし、それさえも咎めれば黙らせることができる。
それが、今は通らない。
「こんなの困るわ。お姉さまに戻ってきてもらわなくては」
キャスリンは眉間に皺を寄せて呟いた。
キャスリンが乱暴に扉を閉め部屋を退出すると、子爵はそっと書類から目をあげて彼らの様子を伺った。
すると、彼らも子爵を見ており、同時に眼鏡の縁を摘み上げてその位置をクイっと直した。それぞれの縁がきらりと光る。
慌てて書類に目を戻した子爵は「厄介なことになったものだ」と脳内で呟いた。
だが、更なる問題は寧ろ、その後に訪れた来客の案件の方であった。




