25
またもやお待たせしました……
「お嬢様、お湯加減は如何ですか?」
花弁の浮かぶ芳しい湯に沈められたエメラインは、ゆっくりと瞼を押し上げた。
右側を見ると、声をかけた侍女が柔らかな表情でエメラインに向かって微笑んでいる。
バスタブを挟んで反対側には別の侍女が優雅な手つきでエメラインの手指にマッサージを施しており、また頭上では豊かな泡で包み込まれた頭部を揉みほぐしている侍女がまた一人いる。
(レベッカ様が仰っていた“幸せ”って、この事かしら)
エメラインはぼんやりとした思考の中で睡魔に襲われつつ考える。
だが、何かを考えようとしても、甘美な微睡に覆い隠されてしまう。
エメラインは諦め、思考を手放す前に「とても、気持ちいい――」とだけ返答を返すと、そのまま重い瞼に贖うことをやめてしまった。
頬を紅に染め、幸せそうな吐息を吐いたエメラインを見、侍女たちは目を見合わせてクスリと笑った。
✴︎
――貴方は幸せになるべきです
「……幸せ、に?」
エメラインの反芻にレベッカは静かに頷く。
そして刺繍入りの美しいハンカチをエメラインに差し出した。エメラインの頬を濡らす涙の跡を思っての行動だった。
エメラインはそれを躊躇いながらも受け取り、頬に数回押し当てた。
「エメライン様」
レベッカが心配そうにエメラインを見つめる。
「わたくしのせいではあるのですが、涙はもう止めなくてはいけませんわ。わたくしの持論なのですが、淑女が泣くのを許されるのは5分のみと思っておりますの。だって、目が腫れてしまうではないですか。部屋から出ることができなくなりますわ。特に、本日は共に王太子の祝賀会に出席しますのよ。なので――」
す、と目の前に小さな懐中時計が示され、エメラインは出されたそれを凝視する。
「よろしくて? もしまだ涙が止まらないようでしたら、この時計を5分間見続けてくださいませ。涙を流すのはその間のみですわ」
突拍子もない話に呆けた顔を見せたエメラインに、レベッカはふふんと軽く顎を上げる。
「5分時計を見ていますと、泣いていることが馬鹿らしくなって大抵止まるのですわ。わたくし、いつも悲しい時はそうしますの。さ、ご覧になって」
ずい、と懐中時計を差し出されたエメラインはまじまじと受け取ったそれを見つめると、吹き出した。
「レベッカ様はお美しい上に面白い方でいらっしゃるわ」
「あら、ありがとう。でもわたくしはいつでも大真面目ですわよ。――ああ、ようございましたわ。涙が止まりましたわね。では、次回悲しくなった時は思い出してくださいませね。5分ですわよ? 効果は抜群ですわ」
レベッカは懐中時計を仕舞い込むと外の様子を見て「あら」と声を発した。
「そろそろ到着ですわ」
見ると、門番によって開かれた門に馬車が入っていくところであった。
「エメライン様、到着しましたらお忙しいですわよ?」
「えっ? それはどういう……」
「隅々まで美しくしていただきましょうね」
にやり、とレベッカは不敵な笑みを浮かべる。
そして、エメラインは到着するなり侯爵家の侍女たちに連れられ、今バスタブに沈んでいるのである。
✴︎
「お久しぶりでございますぅ、エメラインさまぁ」
白髪混じりの頭髪をふんわりと頭頂でまとめた初老の女性が、バスタブの侍女たちから解放されたエメラインに歩み寄った。
「マダム・ロレッタ……何故、こちらへ?」
にい、と笑ったその女性――マダム・ロレッタは嬉しそうに返答をする。
「それはこちらに呼ばれましてぇ、エメライン様のお召し物を整える為でございますよぅ」
マダム・ロレッタは今最旬のドレスメーカー“ロレッタ”のオーナーである。いち針子から努力を重ねて今の地位を築いた苦労人で、デザインの素晴らしさ、立体的な型紙、縫製、どれをとっても一流中の一流と名高い。
風貌は小柄などこにでもいそうな老女なのだが、従業員に対しては愛情がありながらも大変手厳しいと言われている。少し間延びしたような話し方が特徴である。
エメラインが何故この女性と顔見知りなのかというと、ロレッタは妹のキャスリンが必ず依頼するドレスメーカーで、ドレスを作るとなると必ずマダム・ロレッタを呼びつけるからである。
エメラインもたった一着だけドレスを依頼したことがある。その一着はエメラインの一番のお気に入りで、大切に大切に着用している。それは今日、先程まで着用していたものである。
「スタンスフィールド子爵邸に伺った際には、いつもエメライン様のお召し物も手がけることができるだろうかとワクワクしながら参りますのに、いつもキャスリン様や奥方さまのドレスのみで残念に思っておりましたのですよぅ。本日のお声がけがもう嬉しくて嬉しくてぇ」
エメラインがマダム・ロレッタが来訪していたことを知るのは、いつも彼女が退去した後であった。
当然、ドレスを作成するのはキャスリンと夫人のイライザのみで、エメラインには声すらかからない。
一着のみ作られたのは『一枚くらいはまともなドレスがあっていいだろう』という父である子爵の言葉からであった。
「ダンフォード家からのご依頼でいらしたのですか?」
「左様でございますよぅ。レベッカお嬢様のお召し物も準備万端でございますよぅ。ふふふふふ」
マダム・ロレッタが含んだような笑い声を上げる。
「さ、エメライン様、こちらがお嬢様のためのドレスでございますよぉ。微調整をさせていただきますので、こちらへどうぞぉ」
エメラインはマダム・ロレッタに促されるままに続きの部屋へと向かった。
部屋の奥にはトルソーに着せた豪奢なドレスが鎮座しており、エメラインは息を呑んだ。
シルクサテンを使用したドレスは胸元がV字に開いたガウンのような形状であり、袖は二段のパゴダスリーブ。胸元の空き部分はパネルのような胸衣が取り付けられており、ガウンの空き部分の縁にも胸衣にも絹糸で繊細な刺繍やレースが施され、小さな造花が縫い付けられている。造花の中心には小さな宝石が縫い付けられ、キラキラと光を反射して輝いており――
そして、そのドレスの色は淡い色合いのピンク色だった。




