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8 流石にいっぱいいっぱいでした

キリのいい所まで入れたら9000字越えてました。



 月子さんが右に並び歩くシェールと手を繋いでアフレイドの後についてほてほて歩けば、元々見える距離にあった館に直ぐ到着した。


 この館、遠目の時は、歴史のありそうな美しい洋館……だったのだが、近くで見るとなんだか酷く煤けていた。その最たる原因は、外壁に付いた砂埃でも、よくよくみれば無数に架かっている蜘蛛の巣でもない。沢山の窓だ。窓枠に嵌め込んであるのは硝子に見えるのだが、それがどれもこれも汚い。とにかく汚い。汚れに覆われて窓から中が見えない有り様だ。


 一体どれくらい拭いていないのだろうか……と月子さんが汚れの経過年数をじりじり考え込んでいると、シェールが声を掛けてきた。


「ルキ、中、はいるのよ。」

「……う、うん………マジか」


 玄関扉は既に開けられていて、奥からガヤガヤと子供の声が聞こえる。アフレイドと、後から歩いて来ていた幼生達は、既に中に入っていったようだ。

外の明るさに反比例して扉の奥は暗幕がかかっているように暗く、よく見えない。

 シェールに手を引かれ、月子さんは嫌々ながらも後に続いた。


「うっ」


 一歩足を踏み入れた途端、キョーレツな埃臭さに襲われた。月子さんは空いている左手で慌てて口と鼻を押さえた。が、完全には覆いきれず、僅かな隙間から埃が鼻腔に侵入してくる。先に入った幼生達が埃を舞い上がらせたのだろうが、尋常ではない息苦しさに月子さんは戦慄を覚えた。


(こ、これは……、数年放置の空き家レベルに掃除をしていない!!)


 息を詰め戦慄いている月子さんをよそに、シェールは彼女の手を引いたまま、暗い通路を力強くずんずんと奥へ進もうとした。月子さんが力の限り踏ん張っているにも関わらず。


「…………ふぐっ、」

「ルキ?」

「うぉええぇえっ! げほっごほぐふっげほ! はっくしゅん! へくしゅっ、ぶへっ」


 耐えられなくなった月子さんは腰をくの字に折り曲げ盛大にえづき、(むせ)、くしゃみを連発した。婦女子としてイササカ恥じ入る事態になっているがそれどころではない。

それにシェールがびくっ、と驚き、繋いでいた手の力が緩んだ。遠く「どうしたっ」というアフレイドの呼び掛けが聞こえるが、重ねて言おう。それどころではない。

 月子さんは入ってきた玄関を豪快に飛び出した。


「じ、ぬぅううう!!! 」


 ぜえぜえぜえはあぜえはあ


 少々の埃では人は死なないと思っていたが、多量の埃でなら絶対に死ぬ。

汗と涙と鼻水を垂らしながら、月子さんは四つん這い……orzの姿勢でそう思った。俯いた下に見えている石畳らしきものは土に塗れていて、箒で掃かれた様子は一切ない。玄関回り等を掃き清める習慣も此処では誰も身につけていないのだろうなぁ、と苦しみながらも月子さんは予想した。


 ぜーはー言いながら彼女が虚ろな……いや、空ろな目で虚脱していると「ルキ! 何事だ!?」とまたもアフレイドの声が聞こえ、それと被り、タタタっ、と小さな足音がして、傍らにしゃがみ込む気配がした。シェールだ。

 彼女は月子さんの顔をぐいと覗き込む。


「ルキ、どこか、いたいたい?」


 覗き込まれた方は堪らない。


(勘弁してけろ、今の顔を……ずずっ、と吸い上げても止まらない鼻水が垂れ流しになっている顔を覗き込むのはやめてけれぇぇ!)


 必死に顔を背ける月子さん。

 身を乗り出して更に覗き込むシェール。

 玄関から出てきたらしいアフレイドの「シェール、なにがあった!」という声が追い討ちをかける。

(男子はいま来んでええんじゃー!!)

 彼女の心の叫びは咽込む喉からは出なかった。


 と、そこへ予想外な救世主が登場した。


「キュイ、キュ!」


 存在を忘れていたアリクイもどきのトリダクティアが、彼女の手の先にちんまりと姿を現していた。そしてなんと、その口には彼女の鞄が銜えられていたのである。

 トリダクティアは月子さんと目が合うと、口からぼとり、と鞄を落とした。

 一瞬の間の後、月子さんは瞬時に鞄を掴むと雨蓋を撥ね上げ、中からポケットティシュを掴み広げてささっと鼻を噛み、新たな紙を顔に押し当てた。化粧直しはともかく、水分さえ吸い取ればまだ誤魔化しようはあるだろう。

 月子さんは紙を押さえながらトリダクティアの頭をそっと撫でくりまわした。そして、なんというデキる小動物だろうか、と感動していた。タイミングが良すぎて出来過ぎな感がある位だが、大変に助かったので文句はない。

 遭遇したての時は咬みついたトリダクティアだが、今回はキュッキュと短く鳴きながら機嫌良さげに撫でられている。


「ルキ、いたいたい?」

「や、埃吸い込んじゃっただけだから。もう落ち着いたから

「だから私がいつも言ったじゃないの! 汚いのきれいにしろってー!!」

 ね……、え?」


 大声に玄関の方を見ると、アフレイドと数人の子供の向こうに、腰に両の握りこぶしを当てて仁王立ちしている、宵闇色のロングヘアをした美少女がいた。

その場の注目を集めている彼女は右足をダンダンと踏み鳴らし、瑠璃色のロングドレスの裾がバッサバッサと捲れあがるのをものともせず(ドレスの下にドロワーズを履いているのが見えて月子さんは安心した)大声で続けた。


「生活補助の成体連中は追い出したんだから館の中も自分達できれいにすることになるのよ、って何度も言ったのに、あんた達は汚すだけだからこんな事になるのよ! 住んでる頭数が多けりゃ汚れるのも早いのよ! 盛大に汚すのがナナウトとバルバスとバティムでも、誰もきれいにしなきゃ体内器官が弱い種族は汚れと埃ですぐ死んじゃうのよ! そこの人間はその様子じゃ絶対弱いわよ? 死んじゃうわよ?」


 シェールは月子さんを見た。


「よごれと、ほこりで、しぬ。……てき? ルキのてきは、シェールの敵。」

「え、いや、敵というか……あの、個人差、いや個体差?はあるけども、人間は衛生環境が悪いといろんな病気に罹る確率が上がるから、汚れや埃を掃除せずに放っておくと、確かに良くはない……です」


 月子さんの答えに、その場に居た子供―――シェールを除いた幼生全員が一様に驚愕の顔をした。アフレイドまでが同じ顔である。おい最年長。

美少女はただ一人、ほらみろと言わんばかりの顔をしている。


「生命に関わるのか……」

「健康被害がでる前に汚いことに我慢出来なくなるのが普通だけどね」


 ぼそりと呟くアフレイドに、月子さんはそう返した。


 ロングヘア美少女の発言からするに、魔族で、更には子供であろうと、掃除の概念はちゃんとあるようだ。しかも彼女は掃除をしろと怒っていた様子。なら彼等が掃除をしない理由はなんだろうか?

単に面倒だからか、掃除をする意義がないか、健康被害がないからする意味がわからない、そんなところなのだろうとは思う。人の子供だって、日頃掃除をしている人を見ているのだから、じゃあ、掃除をするか?というと話が違ってくるものだ。

 だがしかし、こうまで住まいが汚くて気持ち悪くないのだろうか。ロングヘア美少女だけが例外なのか?

 そう考えながら月子さんがロングヘア美少女を見れば、彼女はすたすたと歩み寄って来ているところだった。


「えーとアナタ、人間さん。ルキ、でいいんだったかしら? あの埃まみれのままの館じゃ入るの絶対、到底、どうしたって、無理よねえ?」

「あーうん、無理、だね」


 ロングヘア美少女はニヤリと口を三日月に変えると、パン!と手を打ち鳴らした。 


「はい掃除決定ー!! あーよかったこれでいままでの怒りの元がひとつ消えるわ! 人間様様、ルキ様様ね! さあシェール、みんなに宣言してちょうだい! 館の掃除をし……

「シェ、そーじ、する。」

 え?」


 シェールは立ち上がって館を見た。台詞の途中を切られたロングヘア美少女はシェールの顔を凝視している。それを無視してシェールは続けた。


「シェが、そうじ、する。ルキの敵、よごれ、ほこり、みんなしょうめつ。……滅、」

「うわあああそれ待つんだぬー!! 館消えるにょおお!」

「えっ?」

「わああああ!!」

「伏せろ!」


 突如シェールの前に飛び出て来た金髪美少女の叫びに月子さんが驚いた直後、爆発のような凄い音と同時に、館中の扉という扉、窓という窓から暴風が噴き出した。一緒に、家財道具だか衣類だか俄かに判別できないが、物が外へと吹っ飛んでいく。幼生達は素早く地に伏せ、頭部を抱えて丸くなっていた。


(あ、私、なんか膜っぽいので守られてる)


 ぽかんと目の前の光景を見ていた月子さんは、自分が暴風の影響下にないことに気が付いた。前方には仁王立ちのシェールの背中があり、彼女と自分を中心に、うっすらと琥珀に光る膜がある。恐らくこの保護膜は、シェールが先刻施していた遮断壁と似たような代物だろうか。

視界の右脇に金髪が目に入りそちらを見ると、金髪少女がダンゴムシ状態で固く丸まっている。彼女も膜の中にいるので、暴風に晒されずに済んだようだ。

 アフレイドの居たところへ目をやると、彼は立ったまま片腕を風除けにして館を見ている状態だった。暴風で衣服の裾や髪がバッサバッサと煽られている。

友人がやっていたゲームのムービーにありそうな立ち姿だ、と月子さんが眺めていると、突如落雷のように男の怒鳴り声が轟いた。

 

「シェ―――ル!!! てめぇいきなり館ん中に嵐起こしやがってなんのつもりだぁぁ!」


 風が弱まりつつある中、声の主は無残に扉がなくなった正面玄関を背に立っていた。ナベルスである。

 2メートル近い背丈に骨格がしっかりして筋肉質な身体、白と黄の間のような肌色。目はくっきり二重のやや垂れ目で虹彩は金と緑、程々に太く濃い眉と睫毛は漆黒、口は大きく、白い歯がみっちり並んでいる。鼻も歪みなく真っ直ぐだが、鼻先がぽってりとして全体的に大きいのが妙に和ませる顔立ちに見せている。髪は漆黒に焦げ茶色が混じった癖毛で襟足にかかる程度の短髪だ。

が、その頭髪は今、荒らされた鳥の巣のように爆発していた。言うまでもないが竜巻に引っ掻き回された跡だ。着ているヘンリーネックのシャツに似た上衣とラフな脚衣も、なんだかよれよれだった。


 彼は他の幼生達がアフレイドとヨーランの後を追う中、一人館に残っていた。外から聞こえるあらゆる音を無視してごろ寝を決め込んでいたらガヤガヤと気配が戻ってきたので、あー戻ってきたのか、と思っていたら、その気配が一斉に外へ移動した。なにやってんだ、と思ったところへ突然、館内で竜巻が発生。暴風(と埃とその他もろもろ)に巻き込まれるようにして外へ出てきたのだ。


 ちなみに何故彼がシェールの仕業と決め付けているのかと言うと、同じようなことが出来る幼生はシェールの他には一人しかおらず、そちらは館の中に竜巻を発生させるようなイカレた質ではないからである。


 ナベルスは一応、まだ幼生だ。 月子さんの認識基準からはそう見えなかったが。なので彼女は思った。幼生(こども)しか居ないという話だったが、彼がもしやヴラウバルトとかいう成体(おとな)の魔族だろうか……いや、でも、ちっとも狐っぽくない。どうといえば、熊とか虎とかライオンとか、そういう見た目だなあ、と。そしてもうひとつ。


「暴風……サイクロン掃除機……」

「(さい…?)」


 うっかりそんなことを口走った月子さんと、それを聞いて疑問符を浮かべる金髪美少女・ビュセルを余所に、シェールはナベルスを安定の無表情で見据えて言った。


「シェ、ほこり、外にだしたの。ルキの敵、なのよ。しんじゃうの。だめ。シェ、守る。」

「ああ? なにが誰の敵で死ぬって……そいつが人間か」


 シェールの後ろの月子さんを見たナベルスは直ぐに察したようだった。まあ、見ない顔だし、分かるのは当然だろう。月子さんは軽く会釈をした。ナベルスはそれに反応を示さず、横目でアフレイドを見やる。


「で? アフレイド説明しろや」

「ルキのような人間は汚れや埃で身体異常を起こしやすい故、掃除をしなければ今の館には入れない、べーリットがそう説明したのだ。実際ルキは館に入るなり異常を起こして外へ退避した」

「それで竜巻起こすってなんだよ。中ぐちゃぐちゃになってんぞ」

「シェ、かげん、した。」

「はあ?」

「あたしが止めなかったら館ごとぶっ飛ばされてたにょー!」


元気よく挙手して言うビュセルに、ナベルスは苦虫を潰したかのような顔をする。そして、爆発している自分の頭髪を両手でわしわしと描き回して直しながら、周りに聞こえるように言った。


「そういう意味の手加減かよ。済んだんなら人の寝床掻き回したのさっさと元に戻せ。シェールはぶち壊すばっかなのはわかってるから他のにやらせろ、さっさとな」


 風はすっかり収束し、蹲っていた幼生達は皆起き上がっていた。月子さんが辺りを見渡すと、竜巻の暴風で飛ばされたらしい、館のどこかにあったであろう布や衣類、紙、本、小物、なにかの破片、更に扉や窓枠等が其処彼処に散らばり、更には、木々の隙間に挟まったり、枝にひっかかったりしている。結構な有り様だ。

大きな家具類は見当たらないが、建物の中はどうなっているのだろう、と彼女が館に目を向ければ、扉と窓のあった所は見渡す限りほぼ全て、ぽっかり刳り抜いたように口を開けていた。


(うわあ……これはなんぼなんでも、専門職を呼ばないとちょっと無理では……)


「あの………ちょっと待っていてもらえるのなら……僕が片付ける、よ」


 幼生の中から一人、頭から足元まで黒で統一した小さめの少年が、彼―――ナベルスに話し掛けていた。べーリットという名だったロングヘア美少女が少年の側へ行き、「イ=タン、いいの?」と声を掛ける。(イ=タンていうんだ)とまたひとつ名前を記憶に留めながら月子さんが見ていると、彼と目が合った。

「え、と……」

 目を泳がせながらイ=タン少年は言った。


「それで、あの………人間さんは、目を瞑っていて、ください……。魔族でも、怖がる者がいるので、念のため……」


 後ろを向いて目を閉じていろ、とアフレイドに言われ、月子さんは少年とアフレイドに頷くと、仁王立ちで膜を張ったままのシェールを背に、館とは逆を向き目を瞑った。

そして静寂。



 ザワ、ザワ、ザワザワザワ――――― ウオォオォオン


 何か(・・)が這いずる気配がした。低周波にも似た音の波が辺りを支配し、パキ、メキリ、と物が軋む音がする。背筋に、鳩尾に、氷に触られたような妙な震えが走る。

足元から何か(・・)が這い上がってくるような感覚を覚え、月子さんは思わずブーツの脛を擦った。


 これは、いったい、なんだ。


 ザワワワ、ザワ―――――ズザザザザザザザ、メリメリメリ、メキ、ミシッ



 音と気配は暫く続いた。それが数十分か、小一時間程だったのか、体感なので本当のところはわからない。また静寂が訪れ、「いいわよー」というべーリットの声にゆっくりと振り向くと、館とその周辺は何事もなかったかのように元の様相を取り戻していた。

 


「おわったの。中、はいるのよ。」


 シェールは、呆然としている月子さんの手を掴むと、さっさと歩き出した。辛うじて掴んだ鞄を手に、なすがままよろよろと引っ張られて行く。途中、座り込んでべーリットに背中を擦られているイ=タンの横を通り過ぎたが、彼の表情を伺うことは出来なかった。

 

 ポーチを抜け、それなりに重量がありそうな正面玄関の扉を一人で力強く開き切ったシェールに手を引かれ、エントランスホールへ入った。埃がさっぱり無くなったようで、安心して空気が吸えた。

そのせいか幾らか冷静になれた月子さんは、歩きながら周りを見たが、内部の汚れは諸々酷かった。手垢、黴、泥汚れ……色の掠れた血痕、等。汚れ以外は経年劣化が見られる程度だ。

 踊場のある階段を上がると、サッカーコート程もある、だだっ広いホールを中心にして四方の壁に扉が並び、壁面の合間に伸びている四本の廊下の先にはまだ更に扉があるようだ。どこもかしこも手垢や乾いた泥土で汚れているが。

 シェールはホールを挟んで階段の目の前にある廊下を進み、突き当たりにある、他より少し大きな、黒檀に似た扉を開けると、月子さんを引っ張り込んだ。


「ここ、シェ、のへや、なのよ。」

「おぉー……………広いね……」


 天井が高い二十畳ほどの部屋に、ばかでかいベッドがひとつ。

 窓はあるがカーテンはない。ベッドの上にクッションがふたつ、みっつ。でも、テーブルと椅子はない。白い壁に、幾何学模様が美しい床。でも汚い。壁収納(クローゼット)の扉はあるが、生活臭はない。なんというか―――侘しいな、というのが月子さんのこの部屋への感想だった。


(これが断舎離しまくった人のお部屋です、って言われたんならいくらか納得するけども、魔族とはいえ、ちんまい女の子の部屋だってのは、ねえ……薔薇とゴシック装飾ゴテゴテにガイコツ人形だのコープスアイテムだの置かれた方がまだ安心できる)


 ゴスロリ大好きで、ホラーゴシックも愛していた友人Mのアパートは、12畳1DKにして(まさ)しくそのような部屋だった。とても個性的で、とても自分ワールド全快で、魂の輝きに溢れた空間だった。此処は何処の世界とも知れぬ魔族の棲家で、21世紀の地球の日本に住む日本人約一名の個人的な感想でしかない、と言えばそれまでだが、この部屋の様相は、シェールの表情の無さと同じものを感じさせた。

 シェールはベッドまで歩くと、軽く跳ねてその上に腰掛けた。そして月子さんも横に座らせようと手を軽く引いたのだが、彼女は踏ん張って頑なに従わなかった。部屋の主はシェールはともかく、全身汚れまくっている自分が人様の寝具に触るのは無理だ。


 くい、と手を引かれ、ふるふると首を振る、という動作をお互い無言で何度も繰り返し、そろそろ月子さんが疲れだした頃、アフレイドが姿を見せた。


「先程から見ていたが、無言でなにをしているのだ、二人して」


 扉は開けっ放しだったので、入り口から二人の妙な行動を観察していたようだ。


「アフレイド、さっさと衝立入れてそこの端に立ててちょうだい」


 彼の後ろに、更にべーリットが顔を出した。なにやら大きな荷物―――盥に、大きな花瓶のような陶器と布の塊だ―――を胸の前に抱えている。二人は部屋に入ると右隅に行き、べーリットが抱えて来た荷物を置く傍ら、アフレイドが脇に抱えていた衝立を荷物を囲うように開いて置いた。

こうか、もっと離して空間取って、という遣り取りが終わると、アフレイドはべーリットに退出するよう促され、扉をきちんと閉めて出て行った。


「ルキ、だったわね、私はべーリットよ。あなたみたいな人間は清潔を好むようでよかったわ。私の種族は清潔さや綺麗さを好むのだけれど、ここの幼生は殆どが汚すばかりで頭に来ていたのよ。是非力を貸してちょうだい。館には浴場があるけれど汚くて使えないから、こっちで魔法水を使って。シェール、彼女は沐浴して着替えて綺麗になればあなたの寝床に入れるから待ってちょうだい」


 衝立の向こうから出てきたべーリットは一方的に、そう、二人に話し掛けた。シェールが一つ、こくりと頷くと、月子さんを西洋式に手招きしながら衝立の向こうに戻っていく。

促されるまま衝立の裏に来た月子さんに、べーリットは、先程抱えて来た盥へ瓶から水を移しながら話を続けた(月子さんは、それは花瓶ではなく水瓶というものだと気が付いた)。


「この魔法水はかけるだけで汚れを落とすようになってるわ。軽い体の傷もこれで治るし、人間でも多分同じだと思うけど、試してみてちょうだい。体を拭くのは其処の敷布の右のを使って。着替えは左ね。あなたの夜着と普段着にできそうなものをいくつか持ってきたけれど、ヴラウバルトに持って来させないと此処では新しい服は手に入らないから、これでなんとか賄って」


 月子さんは話を聞きながら、盥から離して隅っこに置いてある布を見た。見えていた布の塊は、服と清拭布を包んだ敷布だったようだ。

「人間は水と食事も必要だったかしら? お茶は飲める?」

「ああ、……ええと、手間でなければ水とお茶、両方貰ってもいいですか。お腹は空いてないので、食事はいらな」

「べーリット。シェ、ルキと、干しくだもの。」 

「干し果物? そういえば大量にあったわねえ。それならテーブルと椅子も持ってきましょうか。ルキ、あなたは汚れを落としていて。シェール、果物はあなたが運んだらどうかしら。ルキに食べさせたいのでしょ?」

「シェ、取りにいく。」


 二人が部屋を出て行き、月子さんが服を脱いで魔法水を使っている間に(髪や肌を撫でただけでお風呂に入ったようにきれいになったので驚いた)べーリットがテーブルと、椅子と、飲み物を持ち込み、月子さんが白い紐付き短パンと、生成り色の丈長ネグリジェのようなものを探し出し、着終えて衝立を出ると、ドライフルーツの大皿を前に、テーブルでじっと月子さんを待ち構えているシェールが居た。べーリットはテーブルからニ、三歩離れた所に立ち、そんなシェールをもの珍しそうに眺めている。

 月子さんはべーリットにぺこり、と頭を下げた。


「二人とも、お待たせしました。あの……お嬢さん、面倒見てくれて有難う。助かりました」

「お嬢さん? いやだわ、べーリットでいいわよ! それに畏まられても困るわ、シェールに消されてしまうもの。それより 『有難う』 ってなに?」

「えっ」

「ルキ。お水と、おちゃ。」

「あっ、はい」


 ルキに促され、彼女は慌ててテーブルに着くと、陶器のコップに入った水を呷った。思ったより喉が渇いていたらしく、水を飲み干してすぐさま、ティーカップのお茶にも手を伸ばす。べーリットは着席する気がなかったようだ。見れば、テーブルの椅子はニ脚だけだった。


 (魔族に 『ありがとう』 ってないのか!)


 なんと言えば理解してもらえるだろうか。親切にされた時のお礼の言葉? 嬉しい時の挨拶? 感謝を表す単語? いやいや、どれも伝わる気がしない……。


 うーんうーん、と考えるうちに、月子さんの頭が痛み出した。

 寝不足に、在りえない事態の連続。喉の渇きと一緒で彼女に自覚はなかったが、心身に決して軽くはない負荷が掛かっていたのだろう。ほんの数時間の出来事とはいえ、そろそろパンクしてもおかしくはなかったのだ。


 月子さんは、己の頭部にエネルギーが昇り過ぎて熱を持っているのが分かった。視界がぐわんぐわんとグラインドしている。


「ルキ、」

「あら、ちょっと……」


二人のそんな声を耳にしたのを最後に、月子さんの視界は見事に暗転した。










「―――ちょっと聞いてくれないか、マサコ。魔族には「有難う」がなかったんだ」

「月子、ちょっとなに言ってるのかわかんない。それよりあんた何処に居るのよ?」

「魔族の子供の合宿所」

「はあ?」




紐パン、短パン、ブリーフ、ボクサーパンツ等、西洋中世の男性下着(原型)は種類も遍歴もいろいろだそうです。(近代の下着遍歴との間にはまたごちゃごちゃある)女性の方はパンツ履いてなかったと一般的に言われていますが、履いていた絵もあるとか。で、ドロワーズ=ズロースはパンツとまた別らしい。

パンツは大事です、うん。

というわけで下着(下穿き)についてはここら辺を参考ベースにしました。

月子さんなら男子は褌推奨……はしません、たぶん。

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