007_アンハナを使わせてください
藤代奈緒が書いた募集文は、画面を三度スクロールしても終わらなかった。
初戦の翌朝だった。
机の端には、昨夜から増え続けた感想を表示するスマートフォンが伏せてある。奈緒はそちらを見ず、今度は選手募集の入力欄を埋めていた。
「長い」
「必要なことしか書いてない」
「希望キャラクター、公式戦歴、原作の読了範囲、参加できる曜日、連携経験、使いたい能力、避けたい戦術――」
哲史は途中で読むのをやめた。
「全部を一度に募集する気か」
「三人探すんだから、条件は先に出した方がいいでしょ」
「先に一人だ」
奈緒の作業机へ、自分の端末を置く。
表示したのは、初戦終盤の競技映像だった。
乾いた舗装路。畑側の三人へ向かうハウ。その背後で、一人になったマリへ弓が上がっている。
哲史は、自分が前へ出た瞬間で映像を止めた。
「最初に埋めるのは、ここだ」
停止画の中央には、誰もいない舗装だけが残っていた。
「アンハナ?」
「俺と動けて、お前の前へ戻れる」
奈緒は募集文へ目を戻した。
並べていた条件を、一つずつ消していく。
最後に残ったのは、希望キャラクターと、公開済み原作を読んでいること。それから、短い一文だけだった。
『ハウの補佐と、マリの遊撃護衛を担当できるDANCERを募集します』
「掲載する原稿は?」
哲史が聞くと、奈緒は公開済みのページをめくり始めた。
アンハナが盾を上げる場面。鉤剣で敵の槍を絡める場面。マリの横に立つ場面。
奈緒の指が、また次のページへ動く。
哲史は止めなかった。
派手な一枚絵を選びかけて、奈緒は戻した。盾で攻撃を受ける大きなコマも外した。
募集するのは、強そうに見えるアンハナではない。
初戦で空いていた場所へ入れるアンハナだった。
やがて奈緒は、自分で一コマを選んだ。
ハウが画面の奥へ踏み込み、その背後でアンハナがマリの死角へ回る、小さなコマだった。
募集欄が公開された。
◇
最初の通知は、十分も待たずに届いた。
そのあとも、奈緒のスマートフォンは続けて震えた。
応募欄に並んだ希望キャラクターは、ほとんどがハウだった。
《フレアクラウン》を五人倒した映像を見て、自分ならもっと派手に使えると書いた者。公式戦の戦績を添え、奈緒をDANCERから外せば五人を集められると提案した者。別の人気作品へ登録を変えることを加入条件にした者もいた。
どれも、競技で勝つ方法としては筋が通っている。攻撃能力のないマリを外し、実績のあるDANCERを五人揃えれば、二人で出場するより勝率は上がる。
ただし、それでは『英雄王と囚われの龍姫』で戦うチームではなくなる。
「勝つだけなら、こっちの方が早いね」
奈緒が、公式戦経験の多い応募者を開いた。
「そうだな」
「断るけど」
「目的が違う」
強い選手を集めることと、奈緒の漫画の五人を揃えることは、同じではない。
哲史は希望キャラクターを一件ずつ確認した。
最後の方に、一つだけ違う名前があった。
アンハナ。
応募者は、久瀬千景。二十歳。公式戦歴はあるが、現在の所属チーム欄は空白だった。
応募文も短い。
『ハウが前へ出る次のコマで、アンハナはマリの左後ろへ入っています』
その下に、初戦の停止時刻が記されていた。
『この場面では、その位置が空いたままでした。あの矢へ戻る役ならできます』
最後の一行だけが、改行されている。
『アンハナを使わせてください』
奈緒は、自分が募集欄へ載せた小さなコマを見た。
「ここ、読んでた人がいたんだ」
「一人いたな」
「どう返す?」
「身体が間に合うか見る」
◇
その日の午後、三人はFICTA登録施設の訓練区画にいた。
久瀬千景は、黒い髪を低い位置で結んだ女性だった。
挨拶を終えると、自分の経歴を話すより先に、壁面へ初戦の映像を出した。端末の操作にも、接続区画の確認にも迷いがない。
「作品が好きです、だけなら応募文に書けました」
千景は映像を読み込ませながら言った。
「今日は、チームに必要かを見てもらいに来ました」
千景は映像を三度止めた。
一度目は、哲史が畑側へ出た位置。
二度目は、市街地側から奈緒へ射線が通った位置。
三度目は、哲史が奈緒の前へ戻ったため、畑側の出口が閉じた位置だった。
「アンハナなら、全部を解決できるとは思っていません」
千景は、二度目の停止画へ指を置いた。
「この矢へ戻る役はできます」
「なんでアンハナなの」
奈緒が聞いた。
「ハウを一人で前へ出さず、一緒に前線へ出られる。それでもマリが狙われたら、離れた場所からマリの前へ戻って守れるからです」
「マリの横に残るんじゃなくて?」
「ハウを一人で前へ出さないために離れる。離れたあと、マリの前へ間に合う。そう描かれていました」
奈緒はすぐに返事をしなかった。
自分が描いた人物の役割を、初めて会ったDANCERの口から聞いている。
哲史は接続区画を開いた。
「言うのは簡単だ。実際できるかをみる」
◇
訓練用の亜空間は、長方形の石床だった。
中央に腰の高さの壁が一枚。奥に近接用の訓練標的が一体。左右の壁際には、矢を放つ射撃機が一基ずつ置かれている。
哲史の身体は英雄王ハウへ変わっていた。
後方には龍姫マリの姿をした奈緒が立つ。
その間に、アンハナがいた。
奈緒の視線が、小盾を握る千景の左手へ止まった。
装備も輪郭も、奈緒が描いたままだった。けれど、盾はわずかに外へ開き、重心は前へ寄っている。原稿の中なら、指の角度まで奈緒が決めてきた。
奈緒の右手が、宙でわずかに動いた。いつものように直しを入れかけて、その指を下ろす。
千景の左手には小盾。右手には、刃の内側が深く曲がった鉤剣が握られている。
千景は、守護対象に奈緒を選んだ。
「始める」
哲史が前へ出た。
千景も続く。
奥の標的が、長柄の武器を振り下ろす。哲史が柄を受ける前に、千景の鉤剣が横から入り、武器を持つ腕を外へ引いた。
標的の正面が開く。
千景は自分で斬ろうとしない。小盾を標的の肘へ当て、開いた進路を哲史へ渡した。
哲史は標的を倒さず、その横を抜けてさらに奥へ走った。
補佐としては遅れていない。
千景と奈緒の間には、腰の高さの壁が残る。
右側の射撃機が動いた。
「右が先。肩の高さ」
奈緒の声が飛ぶ。
弦が鳴った。
千景が振り返る。
最初の一歩で石床を蹴り、壁の端へ向かった。
奈緒へ戻る間だけ、その足が急に速くなる。
床を踏む音は消えない。正面の壁も消えない。
千景は壁の端を回り、実際の通路を通って奈緒の前へ出た。
三歩すべてが石床へ着いている。それでも、最初の弦が鳴ってから矢が届くまでの短い時間へ、無理に足音を詰めたような速さだった。
左腕が上がる。
小盾の斜面へ矢が当たり、奈緒の右へ逸れた。
一射目は届かない。
「左、次が来る」
奈緒が告げた。
千景は、右へ逸れた一射目を追わなかった。
外へ開いた小盾を戻すより先に、左側の弦が鳴る。
二本目の矢が、奈緒の胸へ向かった。
千景は退かなかった。
盾ではなく、自分の右肩を射線へ残す。
矢が肩口へ刺さった。
千景の視界に、右腕の損傷を知らせる表示が開いた。
奈緒には届かなかった。
「停止」
哲史の声で射撃機が下を向いた。
近接標的も動きを止める。
千景は肩の矢を見てから、奈緒へ振り返った。
「守れました」
「身体で受け続けたら、次は千景が倒される」
千景の表情が止まった。
反論はしない。視界の隅に開いた損傷表示を見て、小盾を下ろした。
「不採用ですか」
「左の矢が来るのは聞こえてた?」
奈緒が聞いた。
「聞こえていました」
「盾を戻せないのも?」
「分かっていました。私が受ければ、マリには届かないので」
守れなかったのではない。
最初から、自分を次の一射まで残す方を選んでいなかった。
「奈緒へ戻る判断は合ってた。到着も間に合った」
哲史は、床に落ちた一射目と、千景の肩に残る二射目を順に見た。
「二本目を身体で受けたら、次は守れない。直すのはそこだ」
「一射目を外へ流しすぎるな。盾を戻せなければ、二本目は右手の鉤剣で止めろ」
「直す前提で、ですか」
「それとも、肩で受ける方を続けたいのか」
「続けたくはありません。ただ、あれが一番確実でした」
「それで守れるのは、一度だけだ」
千景は肩の矢を見た。それから、右手の鉤剣へ目を移す。
「分かりました。次は一射目を外へ流しすぎません。盾を戻すのが間に合わなければ、二本目は右手の鉤剣で止めます」
哲史は奈緒を見た。
アンハナを描いたのは奈緒だ。
その人物を、別の誰かへ預けるのも奈緒だった。
奈緒は小盾と鉤剣を見てから、千景へ向き直った。
連載中にも、打ち切られたあとにも、アンハナを動かしてきたのは奈緒一人だった。
その動きを読んだ誰かが、いま目の前で同じ空白へ戻った。
けれど、同じ動きではなかった。
千景は、奈緒が描いた通りに戻り、奈緒が描いていないやり方で二射目を受けた。正しいところも、直すところも、もう原稿の中だけにはない。
奈緒の指先が、千景の肩の矢へ向きかける。何かを言う代わりに、その手を下ろした。
「アンハナを、あなたに任せたい」
千景が目を見開いた。
「はい」
◇
接続を解除すると、千景の肩から矢が消え、視界の損傷表示も閉じた。
「藤代さん」
「なに」
「よろしくお願いします。さっきの『はい』だけでは、足りない気がしたので」
千景は、今度は深く頭を下げた。
奈緒は少し遅れて、「うん」と返した。
登録画面には、五つの枠が並んでいる。
今泉哲史。ハウ。
藤代奈緒。マリ。
久瀬千景。アンハナ。
千景は、自分の名前が三段目へ入るまで画面から目を離さなかった。
残る二枠には、灰色の未登録が残った。
壁面では、加入試験の映像が最初から再生されていた。
哲史が前へ出る。
奈緒への射線が開く。
映像を止めると、初戦では誰もいなかった奈緒の前に、今度はアンハナが立っていた。




