004_一歩ぶんの火
中央通りの奥で、五つの影が横へ広がった。
「前方、霧。幅六メートル。二人はその先」
《フレアクラウン》の斥候が告げる。
哲史が退きながら水と風で作った新しい白い壁は、路地一本を塞いでいた。
「次は、霧ごと通りを焼いてくる」
奈緒が言った。
「分かるのか」
「『火種師』なら、見えない相手を点では狙わない」
砲撃役が両腕を開いた。
霧の手前、通りの左右に赤い光が並ぶ。斥候が風向きを告げ、女騎士が聖女の正面へ出た。聖女は組んだ両手を解かない。
最後にIGNISが指を鳴らした。
「|《起点付与》」
通りの幅いっぱいに炎が立った。
熱せられた空気が霧を押し上げる。白い壁が薄れ、槍と盾を構えた哲史の姿が現れた。
炎は大きかった。
それでも、女騎士の進路だけは空いている。砲撃役の袖も、前へ出た斥候の背も焼かない。五人が次に立つ場所を避けて、火だけが通りを埋めていた。
IGNISが技名を口にした瞬間には、斥候はもう身を低くし、女騎士は炎の切れ目へ足を向けていた。
次に何が起きるか、振り返って確かめる者はいない。
大きな炎は、敵を焼くためだけにあるのではなかった。どこから入って、どこを味方へ空けるのか。離れた五人へ、一目で同じ形を伝えている。
「右へ」
斥候の声で、五人が同時に動く。
女騎士が炎の切れ目を走り、砲撃役が左を焼く。逃げ道を片側から順に消しながら、聖女を中心にした陣形は崩れない。
哲史と奈緒は右の路地へ入るしかなかった。
「ありきたり」
奈緒が吐き捨てる。
「だから五人とも迷わない」
哲史は速度を落とした。
奈緒は反論しかけて、やめた。
派手な技名も、見慣れた大火力も、奈緒には考えることをやめた表現に見えていた。
だが、いま目の前にいる五人は、分かりやすいからこそ一度も合図を取り違えていない。
追いついた女騎士が、剣を横薙ぎに振る。
哲史は槍を突かなかった。
石突で女騎士の手首を叩く。剣筋が外れた瞬間、盾を相手の顔へ押しつけた。
視界を塞ぎ、足を払う。
女騎士の身体が傾く。
だが、倒れなかった。
「左足、半歩」
斥候の声が飛ぶ。
女騎士は見えないまま足を引き、重心を戻した。砲撃役の火が哲史の槍先へ走る。哲史は仕留める前に盾を引き、奈緒の前へ戻した。
聖女の両手は、まだ組まれている。
女騎士の赤くなった手首が元の色へ戻った。熱も煙も、五人の動きだけを避けている。
「盾の外、二時」
斥候が次の角度を告げる。
砲撃役が、哲史の盾の外側だけを焼いた。避けて槍を右へ振れば、そこには女騎士の剣がある。
哲史は槍を引く。
IGNISが空いた地面へ火種を置き、退いた哲史の足元を遅れて燃やした。
一人の攻撃を避けるたび、別の一人が次の選択肢を消す。五人は同じ攻撃を繰り返していない。それでも、誰が次に動くかは全員に伝わっていた。
哲史が槍を切り返す。
奈緒には、その動きに生じるずれが全部見えた。
踏み込む右足。引いた左肩。盾を戻す角度。槍を握り直す指。煙を吸わないために短くなった呼吸。
マリの力を、それぞれへ薄く分ける。
哲史の足がわずかに速くなる。肩が正しい位置へ戻り、槍の穂先もぶれなくなる。
それでも、女騎士の後ろへ届く前に五人の陣形が閉じた。
全部を直した。
だから、どれも決定打になるほどは直らなかった。
「全部じゃない」
哲史が盾で火の粉を払う。
「俺の次の一歩だけ見ろ」
女騎士が踏み込んできた。
その右後ろでは斥候が哲史の退路を読み、さらに奥ではIGNISが新しい火種へ手を伸ばしている。
奈緒は、哲史だけを見た。
次に右足を置く場所。
炎と女騎士の剣先の間に残った、靴一足ぶんの隙間。
踏み切りが少し早ければ剣へ入る。遅ければ火が閉じる。
ほかのずれを捨てた。
哲史が踏み込む。
右足は、炎が閉じる直前の隙間へ正確に収まった。
盾で女騎士の視界を切り、槍の柄で斥候の進路を塞ぐ。二人の間を抜けた哲史は、聖女を狙わず、その横を走り抜けた。
「逃がすな」
IGNISが命じた。
五人はすぐに向きを変えた。
哲史の前には、街の終わりが見えている。
石畳が途切れ、その先から畑と低い植栽が始まる。境界には雨水の残った黒い土が、細い帯のように続いていた。
奈緒も哲史の意図に気づいた。
逃げるための一歩ではない。
五人を、あの土まで連れていくための一歩だった。
◇
「地面が変わる。湿った土です」
斥候が速度を落とさず報告した。
「陥没なし。通った跡も、置かれた物もありません」
「間隔を維持。地面への攻撃を警戒」
IGNISの指示に、四人が応じる。
罠の可能性を捨ててはいない。
それでも、次の安全圏は黒土の先にある。背後からは収縮が迫り、哲史たちも目の前にいる。ここで止まる理由はなかった。
哲史は黒土の帯へ踏み込んだところで振り返った。
奈緒を背後へ下げる。
槍を盾の内側へ抱え、右手を背へ回した。
「三番、パージ」
背中で短い金属音がした。
三番のショートソードだけ、保持機構のロックが外れる。哲史は柄をつかんで抜き、足元の黒土へ突き刺した。
刀身の半ばまで、湿った土へ沈む。
「剣を捨てた?」
奈緒の疑問へ、哲史は答えなかった。
槍を右手へ戻し、黒土に刺した剣へ左手を向ける。
白い雷が落ちた。
敵ではない。
雷は三番の剣を走り、濡れた地面へ消えた。
土が低く鳴る。
《フレアクラウン》の五人に損傷表示は出ない。地面も割れず、炎を止める壁も生まれない。
『雷撃は地面! 狙いを外したのか!』
実況が叫ぶ。
「目くらましです。前進できます」
斥候が判断した。
IGNISは一瞬だけ剣と土を見た。
「聖女を中央に。踏み込め」
正面の哲史へ意識を戻す。
女騎士が先行し、聖女が続く。砲撃役は左右へ火を広げ、斥候は奈緒の位置まで視界に収めていた。
実況は止まらず、足音も重なる。
けれど奈緒の知覚の中で、そこからの時間だけが異様に引き延ばされた。
聖女の右足が、黒土を離れる。
靴底に貼りついていた泥が細い糸を引いた。糸は伸びきる前に切れ、黒い粒がひとつ、ゆっくりと地面へ落ちていく。
女騎士の剣は、もう振り上げられていた。
砲撃役の両手では、次の赤い光が膨らみかけている。
斥候の唇も動いていた。
誰も止まっていない。
それでも聖女の爪先が次の着地点へ近づくまでが、奈緒には一枚ずつ紙をめくるように見えた。
靴底と地面の隙間が、指一本ぶんまで狭まる。
そこには、まだ何もなかった。
濡れた黒土のくぼみで、消え残った雷の白が途切れた。
一拍遅れて、哲史が雷を通した土の一点から、別の青がにじんだ。
青白い火が、ひとつ揺れた。




