003_逃げているだけの英雄王
森林は、もう混んでいた。
「風、南東。地表は湿ってる。燃えるのは倒木と、上の枝」
《フレアクラウン》の斥候が告げた。
視線の先では、別チームの五人が岩場を背にしている。炎を警戒し、木の密集した場所を避けたつもりだった。
砲撃役が腕を横へ払う。
火は出ない。
代わりに、岩場を囲む倒木の表面から水気が飛んだ。樹皮が乾き、細い煙を上げる。斥候が示した風下だけ、燃えやすい道がつながっていく。
「準備完了」
五人の中央では、聖女が両手を組んでいた。
目を閉じない。仲間からも、広がり始めた煙からも視線を外さない。
岩場から放たれた矢が、その聖女を狙った。
「正面」
斥候の声が終わるより早く、女騎士が聖女の肩を引いた。矢が二人の間を抜ける。
聖女は両手を解かなかった。
砲撃役の腕にあった浅い傷が塞がる。
熱を含んだ風は五人の肌を焼かず、煙だけが口元を避けて流れていた。
IGNIS――カイル・アーデンの姿をした高城蓮が、右手を上げる。
「|《起点付与》」
五つの火種が、離れた倒木へ同時に灯った。
一拍遅れて、炎が岩場を囲む。
火は大きい。
だが、広がる先は斥候が読み、燃える場所は砲撃役が作っている。逃げ道に見える一か所だけが、最初から残されていた。
炎だけを見れば、派手な大技だった。
その一瞬を作るまでに、五人全員が別の仕事を終えている。
敵の五人がそこへ殺到する。
「右へ三歩」
斥候の声と同時に、女騎士が炎へ飛び込んだ。
肌は焼けない。煙にも足を止めない。
逃げてきた一人の武器を弾き、体勢を崩す。女騎士の一撃が胸元へ届く直前、青い格子が割って入った。
敵の身体が光へほどける。
継続不能判定。強制離脱。
撃破通知が上がるたび、観客席の歓声が重なった。
派手な炎の中心で、五人の誰も互いの動きを邪魔していない。
最後の一人が離脱すると、IGNISはすぐに火を絞った。聖女はまだ両手を解かない。回復と耐熱、防煙を維持したまま、次の索敵を待っている。
「市街地中央、二名」
斥候が高い枝の上から市街地を指した。
「同じチームです。同行者なし。ロビーにいた二人組」
IGNISは、森林の外へ視線を向けた。
市街地の屋根の間を、槍と盾を持つ英雄王と、龍姫が走っている。
「次は、あの二人を取る」
命じたのはIGNISだった。
◇
その二人は、さっきから一度も敵へ向かっていなかった。
「また来た」
奈緒の声に、哲史は振り返らない。
三人組が、一本後ろの路地へ入ってくる。先頭の杖に光が集まり、哲史の背中へ狙いが定まった。
「右」
二人は角を曲がる。
哲史が空中へ薄く水を散らし、横風で押し広げた。路地一本の幅が、白い霧で埋まる。
飛んできた光弾は二人の横を抜け、壁を砕いた。
哲史は反撃しない。
霧が濃いうちに次の角へ入る。視界を切っただけで、また距離を取った。
「また逃げたぞ!」
観戦席では笑い声が上がっていた。
中継画面に映るのは、敵を見つけるたび背を向ける英雄王だ。二人しかいない。戦えば人数差で潰される。そう見える材料は揃っていた。
『二人編成の英雄王と龍姫、まだ撃破はありません! 市街地へ降りた判断はよかったですが、さすがに戦えないか!』
別の路地で、哲史は落ちていた金属板を槍の石突で叩いた。
硬い音が、建物の間を走る。
追ってきた三人が音の方へ向きを変えた。その間に、哲史たちは反対側の階段を上がる。
奈緒はマリの力を自分へ使った。
段差を踏む足、手すりをつかむ指、着地する膝。見つけたずれをまとめて削り、哲史の後ろへ食らいつく。
「いつまで逃げるの」
「最初の収縮が始まるまで」
「そのあとなら戦う?」
哲史は、視界の端にある残り時間を見た。
「追ってきた三人が、別のチームと先にぶつかる」
「どうやって」
「通る道を一つにする」
残り時間が一分を切った。
◇
二人を追う三人組が、交差点へ出た。
そこから先は、左右二本の道に分かれている。
左の路地には、哲史が新しく作った霧が残っていた。その奥では別の四人組が、後ろから来る敵へ魔法を撃っている。白い中から戦闘音だけが響き、人数は見えない。
右の道だけは見通せる。
三人は迷わず右を選んだ。
哲史は、自分たちが抜けた右の道には手を加えなかった。
潰したのは、その先の広場を迂回できる脇道だった。
脇道の地面が持ち上がり、崩れかけた外壁を押す。落ちた瓦礫が、追手の曲がり角を塞いだ。
三人組は、そのまま小さな広場へ進むしかない。
霧の奥にいた四人組も、広場の北側から安全圏へ走っていた。
残り時間が消える。
空が低く鳴り、第一収縮が始まった。
三人組も四人組も、後ろへは戻れない。
哲史は霧の端、ちょうど人の肩がある高さへ、小さな雷光を二度だけ走らせた。
白い中で明滅した光は、こちらを狙うDANCERの発動光に見えた。
四人組の一人が先に撃つ。
炎の矢が霧を抜け、広場へ入った三人組の盾へ当たった。
三人組が足を止める。
霧の向こうから四人組が飛び出した。
互いに相手を見つけたあとは、哲史の光など必要なかった。
炎と氷が広場でぶつかる。
哲史と奈緒は、二つ先の建物からそれを見下ろしていた。
「あの雷、当てる気なかったの?」
「人に見えれば十分だ」
最初の撃破通知が上がる。
続けて二つ。
哲史の槍も、盾も、まだ誰にも触れていない。
奈緒は、霧の向こうで続く戦闘音を聞いた。
偶然ぶつかったのではない。
追手が選んだ道と、収縮を避けてきた四人の道を、哲史が同じ広場へ重ねた。
実況の声から、さっきまでの笑いが消えた。
『二チームが接触! 第一収縮と同時に、ここで交戦するのか――』
広場で戦う七人は、互いを倒すか、背中を見せて逃げるかを選ばなければならなくなった。
生き残って安全圏の内側へ進める道は、どちらにも同じ一本しか残っていなかった。
◇
哲史は、四階建ての建物の屋上へ上がった。
奈緒も続く。
街の向こうで、森林の外側が安全圏から外れていく。木々の間から、いくつものチームが市街地へ流れ始めていた。
哲史は、第二収縮までの残り時間を見る。
次に、森の上へ立つ煙を見る。
森林で《フレアクラウン》の撃破通知が止まってから、五人が隊列を組み直すまでの時間。
森林の戦闘地点から、市街地の入口までの距離。
収縮に追いつかれず、五人の陣形を崩さずに走れる速度。
視線が、一つずつ別の場所へ移っていく。
「何を数えてるの」
「森の五人が、ここへ来るまで」
奈緒は森林を見た。
さっきまで大きな炎が上がっていた場所から、五つの影が動き始めている。
《フレアクラウン》。
その手前では、霧を避けたチームが別の路地へ回り、広場の交戦を見たチームが進路を変えていた。
奈緒は、二人が走ってきた道を振り返る。
敵を見て退いた場所。
霧を残した路地。
音を鳴らした建物。
交戦が起きた広場。
ばらばらに見えた移動が、森から市街地へ入る道を一本ずつ消している。
市街地の中央には、まだ一度も戦闘が起きていない通りだけが残っていた。
「あの五人のために、あそこを空けたの?」
「五人が一番速く通れる」
「だから市街地に降りたの?」
「森から出てくる全員の道が見えるからな」
「でも、私たちはずっと追われてた」
哲史は、閉じてくる安全圏を見た。
森に残った各チームが、そろって市街地へ走っている。
「逃げてるのは、俺たちじゃない」
奈緒はもう、言い返さなかった。
二人は屋上を降りた。
前の霧が消えたあと、哲史は北の路地一本だけを水と風で再び白くした。そのまま、戦闘の起きていない中央の通りを東へ進む。
◇
「第一収縮、後方から来ます」
《フレアクラウン》の斥候が報告した。
五人の背後で、森林が安全圏の外へ沈んでいく。
「二人組は市街地中央を東へ移動。北の路地は霧で視界なし。南では二チームが交戦中」
IGNISは速度を落とさなかった。
次の安全圏は市街地の東半分にかかり、その次の予告円は畑と植栽帯へ寄っている。
北へ回れば時間を失う。
南へ入れば、交戦中の二チームを相手にする。
中央の通りだけが、二人組と次の安全圏を一本で結んでいた。
「誘導されてる可能性は?」
女騎士が聞いた。
「ある」
IGNISは即答した。
市街地の二人は、追われても慌てていない。IGNISにも、その動きがただの敗走ではないことは見えていた。
「それでも中央が最短だ。斥候を先頭。聖女を中央に置け。左右の間隔を空けるな」
二人を追う判断は変えない。
ただし、相手を侮って隊列を崩すこともしなかった。
五人は炎の消えた森を抜け、市街地へ入る。
遠くの通りに、槍と盾を持つ英雄王が見えた。
◇
奈緒にも、通りの奥の赤い光が見えた。
五つの影が、一定の間隔を保ったまま近づいてくる。
「本当に来た」
「追うと決めたのは、あいつらだ」
哲史は槍を持ち直した。
北の路地では霧が薄れ始めている。
南の交戦はまだ終わらない。
背後では収縮が進み、次の安全圏は市街地の先にある。
さらに先では、畑と植栽帯の境に、黒く湿った土が細い帯を作っていた。
いま五人が選べる道を、奈緒も一つしか見つけられなかった。
哲史は言った。
「これで、あの五人はここを通るしかない」




