046_もう合わせなくていい
槍を戻す手が、胸の前で止まらなかった。
哲史は自分の右手を見かけ、すぐに視線を戻した。
正面から斧が来る。
半身になって刃を外し、盾を相手の肘へ添える。押したつもりはなかった。それでも男の肩は外へ開き、脇腹が見えた。
穂先がそこへ入る。
男が唸って下がった。
第三試合の最初の戦闘は、古い切符売場の前で始まっていた。
使われなくなった窓口が東西に並び、その手前には腰の高さの仕切りが残っている。四人が南の通路から広間へ出たところで、北側から来た五人と接触した。
敵は斧を先に出し、その背後に先の曲がった長柄を置いていた。右には短い槍。左の窓口に弓。もう一人の剣は、哲史の横を抜けようとしている。
男が斧を引き、後ろの長柄が伸びた。
哲史は盾を上げた。
先端の鉤が縁へ掛かる。
その瞬間、哲史の足は前へ出ていた。
引かれた盾についていく。左肩が斧の男の腕の下へ入り、短く持った槍が腹へ戻った。
男は斧の柄で哲史の腕を叩いた。前腕に浅い損傷表示が開く。
哲史は握りを緩めなかった。
男が斧を振るために肩を開くと、穂先は既にその内側にあった。
一人目が青い格子へ変わる。
鉤の男はすぐに武器を外した。盾を引くのをやめ、柄を横へ渡して哲史を止める。
右の短槍も近づく。
哲史は二人の間を見た。
鉤の男の前の手が、少しだけ右へ寄っている。盾を引いたあと、まだ握りが戻っていない。短槍はその手を避けて、こちらの左へ回る。
――そこ、空く。
右足を置いた。
槍の石突が横向きの柄へ当たり、左の盾がその下を抜ける。鉤の男の肘へ盾が触れたときには、哲史の胸も同じ位置へ入っていた。
近い。
けれど、窮屈ではなかった。
これまでは、盾を引いてから足を出していた。槍を短く持つときには、右の肘が鎧へ触れないか確かめていた。
今は、足が着くときには盾が収まっている。
肘を逃がす場所を探す必要もない。
――ああ、もう合わせなくていい。
鉤の男が後ろへ跳ぶ。
哲史の穂先が肩を捉えた。男は柄を落とさず、後ろの端を哲史の足へ払う。
足を引く。引いた右脚へ体重が移ると、そのまま腰が回った。
槍を戻した勢いが、次の突きへつながる。
二撃目で男の腕が落ち、三撃目が胸へ届いた。
青い格子が広がる前に、右から短槍が来た。
哲史はその穂先を見ていなかった。
相手の後ろ足が、床を蹴っていた。腰がこちらへ向く。右肩の力が抜け、腕が伸びる。
突きが来る場所へ、盾の縁を置く。
硬い感触が左腕を通った。
大きく受ける必要がなかった。切っ先を身体の外へずらすぶんだけ、手首を返す。
男の目が開いた。
哲史はもう、短槍の内側にいた。
男は武器を引きつけた。石突を哲史の腹へ当て、離そうとする。
哲史は盾を下げて受けた。
押し返す代わりに身体を回す。石突が滑り、男の腕が伸び切った。
そこへ槍が通る。
男が膝をついたところへ、穂先を返した。
楽だった。
息はしている。床を蹴る音も、槍の柄が掌を擦る感触もある。
さっきより速く動いているのに、窓口の射手が弓を上げるのまで見えた。頭の中で順番を並べるより先に、身体が次へ向いている。
――まだ、行ける。
「哲史、左の窓口。弓が奥へ下がった」
律の声がした。
哲史は一歩進みかけて、三人の位置を確かめた。
奈緒はどこだ。
千景は、さっき横を抜けた剣を止めているのか。
顔を向けると、音が一度に大きくなった。
弦の鳴る音。剣と小盾がぶつかる音。自分の息。
奈緒は南の仕切りの内側にいた。千景がその角で剣の男を受け、律が一つ西の窓口から矢を放っている。
「千景が止めてる。弓へ行って」
奈緒が言った。
哲史は頷き、左へ走った。
先ほどの滑らかな感覚は、少し遠くなっていた。右の肘を意識し、槍を短く持ち直す。
それでも、射手へ近づく道は空いている。
律の矢で窓口の陰へ押し戻された射手が、北側の出口を目指した。哲史は仕切りの切れ目を通り、出口の横へ回る。
射手は走る方向を変えた。
戻った先に律の矢が来た。
柱へ寄ってかわす。その足が止まったところへ、哲史の槍が届いた。
射手は弓で柄を押し、腰の刃を抜こうとした。哲史は槍を引かず、盾で弓を挟んだ。
片手が塞がる。
射手が弓を捨てたときには、穂先が胸へ戻っていた。
四つ目の退場表示が開いた。
振り向くと、南の仕切りの前で千景が鉤剣を返していた。
剣の男は、味方が続けて落ちたのを見て逃げようとしている。奈緒へ向かうふりで小盾を押し、反対へ身体を開いた。
千景は追って踏み込まず、鉤を男の剣へ掛け直した。
男の腕が引き止められる。
剣を捨てた男へ、小盾が当たった。仕切りに足を取られ、肩が落ちる。千景の刃がその隙へ入る。
男は立ち直ろうとしたが、もう一度小盾で押され、最後の一撃を受けた。
五人目が格子へ変わった。
千景はすぐに奈緒の方へ戻った。
「腕、掠りました。動きます」
袖の上に浅い表示がある。奈緒が頷き、哲史を見た。
「哲史は?」
「こっちも、少し」
斧を受けた腕を上げる。
ただの確認なのに、腕が重く感じた。
先ほどは、こんなふうに重さを測っていなかった。
哲史は指を開き、槍を握り直した。
何かをしたのだろうか。
いつもより力を入れた覚えはなかった。むしろ、入れていなかった気がする。
「今の、三人続けて?」
律が聞いた。
哲史は倒した場所を順に見た。
「……そうだな」
斧。鉤。短槍。
確かに三人いた。
自分の中では、次に置ける足場がずっと続いていただけだった。
◇
北へ進んだ四人は、荷物用の昇降路の脇で次の敵に会った。
広い坂を挟み、左には窓のない倉庫、右には鉄の柵がある。坂の上に弓と二人の前衛。下の通路には剣を持つ女と、投げ刃を構えた男がいた。
哲史が盾を出すと、坂の上の二人は距離を取った。
追えば上から弓が来る。
哲史は坂の途中で止まり、南へ下がるふりをした。
下の剣の女が、律へ向けて動く。
「律、倉庫の角へ。私たちも寄る」
奈緒が言った。
千景が奈緒を倉庫の壁へ通し、律はその一つ北の角へ入った。三人が同じ場所へ固まるのではなく、壁のこちらと向こうを見られる位置に分かれる。
剣の女は追う足を止めた。
律を狙おうとすれば千景がいる。千景を回れば、角の律に横を見せる。
上の弓が、三人へ射線を通すため柵側へ移った。
哲史が坂を上がった。
上にいた盾の男が前へ出る。背後の短槍は、哲史が近づくまで突かない。
哲史は盾へ槍を当て、坂の右側へ身体を寄せた。
男も右を塞ぐ。
哲史の槍が盾から離れ、左の足首へ落ちた。
男が足を引く。坂に沿って後ろへ引いた踵が、身体より先に上へ上がる。
腰が起きた。
哲史は盾を下から押し、短く持った槍を腹へ入れた。男は受け身を取ろうと下がるが、哲史は坂を一歩上がり、退く速さに合わせて追撃した。
盾の男が格子へ変わる。
短槍が来た。
哲史は柄で外し、相手の胸へ盾を当てた。男は坂を下る側へ跳んで逃げようとしたが、その先に律の矢が刺さった。
男の足が止まる。
哲史は横から入り、短槍を持つ腕を盾で身体へ押しつけた。相手の穂先は外を向き、自分の槍だけが内側へ入る。
短い応酬のあと、二人目の表示が開いた。
哲史は下を見た。
律がまだ倉庫の角にいる。その近くで千景が剣の女を止め、奈緒が坂の北を指していた。
走って迎えに行かなくても、矢がここまで来ていた。
坂の上の射手が哲史へ向き直る。
その肩へ、律の矢が当たった。
射手は片膝をついて弓を引いた。律が射るために顔を出す場所は分かっている。
しかし、その角から出たのは千景の小盾だった。
矢が盾へ当たる。
律は小盾の脇、低い位置から射た。
肩の損傷へ二射目が入り、射手が退場する。
剣の女はすぐに引いた。
千景を追って倉庫側へ出た分、坂へ戻るには開けた床を横切らなければならない。
哲史がその先へ降りた。
女は剣を捨てず、哲史の槍へ横から刃を当てた。柄を押して外を抜けようとする。
哲史は押された手を緩め、槍を掌の中で滑らせた。
女の剣だけが外へ走る。
盾で肩を押さえ、短くなった槍を戻す。女は身体を捻ったが、倉庫の壁へぶつかった。その間に、次の穂先が届いた。
哲史の撃破欄が七になった。
最後の投げ刃の男は、既に遠い柵の切れ目を抜けていた。
「追わない。倉庫の北へ出る」
奈緒の声で、四人が同じ方向を向く。
哲史は律の横へ並んだ。
「さっきの矢、助かった」
「見えたから」
律は短く返し、千景の盾に目をやった。
千景は奈緒を壁から出しながら、盾に残った矢を見ていた。
奈緒が哲史を見て笑う。
哲史も頷いた。
さっきまで遠くにいた三人が、近かった。
◇
最終盤の安全圏は、旧駅の西へ寄った。
四人は倉庫の間を抜け、屋根付きの連絡通路へ入った。そこから先は、古い作業場につながっていた。
中央の通路だけが二段ほど高く、左右の床には木箱と長椅子が置かれている。屋根を支える柱が通路の両側へ並び、北と南の階段から低い床へ下りられた。
奈緒は南の階段の脇で止まった。
律が西の床へ下り、長椅子の陰から北を見る。千景と奈緒は東側、哲史は中央に残った。
残り三チーム。
北側で戦闘音が続いていた。
金属を打つ重い音に、奈緒は顔を上げた。
大きな槌が、屋根の向こうで振り下ろされた。
続いて二本の剣。
退こうとした一人の身体が、青い格子に変わる。
残存表示が二になった。
「あの人たち」
奈緒が言った。
中央に二刀の男。その後ろに長槍。西側の柱に弓が見える。槌の男が中央へ戻り、東の床から小盾の男が上がってきた。
表示された相手のチーム番号も、第二試合の最後と同じだった。
向こうも四人に気づいた。
小盾の男が哲史を見て、一度足を止めた。
前の試合で最後に刺し合った相手だ。腹へ損傷は残っていない。男はそれでも、空いている手を一瞬腹へ寄せ、すぐに剣を構え直した。
「英雄王だ」
その声に、槌の男が顎を引いた。
二刀の男は右の剣を下げ、左を胸の前へ置いた。前の試合では、もう少し左右が近かった。
「一緒に寄らない。前は止めるだけでいい」
男が味方へ言った。
「弓を動かして、後ろを離す」
西の射手が柱の裏へ消えた。
哲史は、槌と長槍の間隔を見た。
どちらも近づいてこない。剣の男がこちらへ出れば、その両側を押さえられる位置にいる。
奈緒が中央の哲史を見上げる。
「律が動いたら、私たちも寄る。中央を横切るときは言う」
「分かった」
哲史は盾を上げた。
また会った。
負けたときの剣の重さは、まだ手の中にある。右膝を打たれ、踏み直せなかった感触も覚えていた。
だからといって、足を引きたくはならなかった。
もう一度やれる。
哲史は槍を構え、二刀の男へ進んだ。




