041_取った場所を捨てる
車両の窓に、弓の先が出た。
哲史が盾を傾ける。乾いた音がして、縁を滑った矢が背後の柱へ刺さった。
「窓。後ろから二枚目」
律の声に、奈緒は車体を見る。
窓枠の内側には、もう誰もいなかった。さっき横切った影も消えている。三つ見えたから三人いる、とは限らない。同じ人間が座席の間を移ったのかもしれなかった。
千景が奈緒を柱の西側へ寄せた。
「ここからなら、車体で向こう側が切れます」
古い車両は南北に長く、ホームの東側を塞いでいる。西には柱の列と、幅の狭い舗装面。さらに外側は柵で、その先に低い線路が見えた。
正面へ走れば窓から撃たれる。車両の下を抜けるにも、向こうの足元を確かめられていない。
「律、西から北を見られる?」
「次の柱までなら」
律は弓を下げ、柱の陰を渡った。左腕の損傷表示が車体の反射と重なって見え、奈緒は一瞬だけ目を止める。律は左肘を曲げ伸ばししてから、柱の外へ顔を出した。
「車両の先に小屋。右側に通路がある。小屋の角までは、ホームを通れる」
「通路の先は?」
「曲がってる。ここからは見えない」
その先で、続けて二つ、硬い音がした。
窓の弓とは方向が違う。北の屋根越しに白い光が走り、何かが金属へ当たった。
奈緒は視界の端にある地図を確かめた。今いるホームは安全圏内だが、その北には資材置場が続いている。次もここへ残れるとは限らない。
「小屋の角まで行こう。窓の相手は追わない」
「了解」
哲史が柱から半身を出した。
弓が、今度は一つ北の窓に現れる。
出たのは弓だけだった。狙いをつける顔は枠から遠く、こちらの矢を警戒している。
哲史は盾を上げたまま、車両との距離を詰めた。
射手が窓の中で弓を下げる。近づく哲史を狙うには、窓枠へ身体を寄せなければならない。
律の弦が鳴った。
矢は枠の内側を叩いた。敵が引っ込む。
「千景、今」
奈緒は千景の背中について走った。柱を一つ越える。二つ目の柱へ小盾が収まったところで、自分も止まる。
哲史は窓の下から槍を突き上げなかった。
弓を引かせた窓から、さらに北の窓へ視線を動かす。車内を走る足音。座席に触れたらしい金属音。
「律、射手が北へ移った」
「見えた」
律も次の柱へ移った。哲史が車体から離れ、その後ろを横切る。
矢が来た。
盾を上げるだけでは間に合わない高さだった。哲史は膝を折り、盾ごと肩を落とした。矢が縁を叩く。傷の残る腕に衝撃が入り、口の端がわずかに引きつった。
奈緒は手を伸ばしかけて、止めた。
もう受けた動きを、後から直すことはできない。
哲史は盾を身体へ引き寄せて立ち直り、柱の陰へ入った。
「腕は?」
「上がる」
返事と同時に、盾が元の高さへ戻る。
その向こうで、車両北端の扉が開いた。
◇
出てきた男は、短い柄の斧を右手に持っていた。
扉の段を飛び降りず、一段ずつ足を置く。左腕の小盾が先に出て、その陰から哲史たちの位置を確かめた。
窓の射手が、男の頭上へ弓を構える。
「斧が来る。弓と二人、同時に見えてる」
律の報告が入った。
斧の男は哲史へ一直線には来なかった。柵側へ膨らみ、盾を押し当てられる角度を探す。哲史が小屋の壁へ寄れば、窓の射手には背中が開く。
哲史は男を見ながら一歩下がった。
車両北端を越え、小屋の南西角へ入る。壁に窓の射線が切られた。
斧の男も足を止める。
男の後ろから声がした。
「角に入るな。こっちで押す」
射手が窓から姿を消した。車両の北端まで出て、角の横へ射線を通すつもりだ。
待てば挟める。
男は斧を胸の前へ戻し、小屋の角を塞ぐことに徹した。哲史が北へ抜けるには、その前を通らなければならない。
奈緒は小屋の壁際で足を止めた。
千景が自分の前にいる。律は南側の柱から、射手が出てくる車両の端を狙っていた。
「哲史。弓は律が見てる」
「分かった」
哲史の槍が男の顔へ伸びた。
男は小盾で外す。穂先を大きく弾かず、斧を振れる幅だけずらした。
哲史の盾へ刃を掛け、そのまま引く。
男の背中側に、車両の端がある。哲史を半歩引き出せば、出てくる射手が狙える。
盾が引かれた。
哲史は逆らわず、引かれた側の足を前へ置いた。
斧の男が目を見開く。
遠かったはずの盾が、肘の内側まで入っていた。斧を返そうにも、柄と腕の間に盾の上端がある。
男は柄を立て、身体を開いた。斧を取り戻すより、哲史の横を抜けて距離を作る。
その足の先へ、千景の小盾が出た。
千景は奈緒の前から二歩も離れていない。男が逃げたい壁沿いを、盾の幅だけ塞いだ。
男は足を引き戻した。
哲史の槍が短くなる。
握りが柄の中央へ滑り、小盾の下から穂先が入った。脇腹に損傷表示が開く。男は歯を食いしばり、右腕を折り畳んで斧を引き抜いた。
「射て!」
車両の端から弓が出た。
律が先に放った。
射手は顔を引き、矢を車体へ当てさせた。弓を戻したときには、哲史と斧の男の位置が入れ替わっていた。
狙えるのは、味方の背中だった。
男は自分を遮蔽にされたことに気づき、膝で哲史の足を押した。斧も上がる。まだ倒す気を捨てていない。
哲史は男の肩へ盾を当てた。
斧の刃が頬の横を抜ける。
突き上がった槍先が、男の顎の下へ届いた。
青い格子が走った。
男の身体がほどけるのを待たず、哲史は壁の陰へ戻った。背中が収まった直後、矢が角を削った。
「四」
律が撃破表示を見て言った。
奈緒は息を吐いた。勝てる位置を、四人で取れた。千景が盾を戻し、奈緒の前を埋める。
車両側では、射手が矢を番え直していた。
「寄るな」
誰かへ向けた声が聞こえる。
「角は駄目だ。小屋の東を回れ」
新しい足音が二つ、車両の向こうへ遠ざかった。
哲史は追わず、槍の握りを戻した。
◇
東側へ回る足音が、しばらく途切れなかった。
千景は奈緒を小屋の壁へ寄せ、律が南の柱から合流するのを待った。射手は車両の端から動かない。弓を構えたまま、誰かが角を出るのを待っている。
哲史が盾の端を見せると矢が飛び、引っ込めると止まった。
前へ来ない敵を倒すには、こちらが壁を離れる必要がある。
「このまま、北へ抜けたい」
奈緒が言ったとき、安全圏の更新が表示された。
次の円は、北の資材置場を中心にしている。
小屋も車両も、外だった。
奈緒は地図を広げた。西は柵と線路を越えなければならず、東へ回れば先ほどの敵と鉢合わせる。小屋脇の保守用通路が、北へ出る最短の道になる。
「律。通路の出口を見て。窓の弓はこっちで見る」
「分かった」
律が小屋の西壁を北へ進む。
哲史は南の角に盾を残し、千景は奈緒と一緒に壁沿いを移った。誰か一人が北を見に行く間、残る三人も南から目を離せない。
律が小屋の北角でしゃがんだ。
そこから低い擁壁に挟まれた通路が伸びている。途中で右へ折れ、出口だけが北へ開いていた。
律は曲がり角まで進み、弓を身体に寄せて外を見た。
「出口正面、角盾と剣。右に横倒しのドラム缶。その後ろに長槍」
声が一度切れた。
「左奥、木箱の上に弩。こっちを向いた」
短い風切り音。
律が顔を戻し、矢が擁壁へ突き立った。
「三人見えた。資材置場の奥は未確認」
奈緒は唇を結んだ。
先ほど北で聞いた音は、ここだった。
出口を見つけたのと同時に、出口を押さえている敵へこちらの位置が伝わっていた。
「角盾、近い?」
「出口から三歩くらい。左に鋼材の束がある。そこまで行けば、弩は切れる」
哲史が南を見たまま言った。
「こっちの弓は動いてない。通路へ入ると追ってくる」
「待つと、東からも来る」
奈緒は返し、千景を見る。
「出口を抜けて、左の鋼材。哲史が正面、律が弩。私と千景で続く」
「奈緒さんは、私の左後ろへ」
千景が盾を上げた。
奈緒は頷き、通路へ入る。
最後に哲史が小屋の角を離れた。射手が追ってくる靴音を聞きながら、三人を追い越して先頭へ出る。
曲がり角にいた律が、壁へ背をつけて道を空けた。
「盾は正面。槍は右。弩は左奥」
「出口の上、射てるか」
「そこなら」
哲史が身を低くする。律はその肩越しに弓を構えた。
奈緒には、正面の角盾の下半分が見えていた。敵は出口を完全には塞いでいない。通路から出たところを右の槍と左の弩で挟むため、三歩ぶんの空間を残している。
角盾を押し返すだけでは足りない。
あの三歩を、一度で詰めなければならなかった。
「哲史、右足。出口の段を越える一歩だけ、合わせる」
「頼む」
哲史の目が、盾の奥にいる男を捉えた。
律が矢を放つ。
左奥の弩が下がった。
哲史が走った。
◇
段差を踏み越える右足が、狙った位置へ収まった。
身体が浮かない。
哲史は盾を胸へ寄せたまま、角盾へぶつかった。
敵の踵が砂利を削る。
角盾の男は、踏ん張るのを途中でやめた。正面で受け切れば足が揃う。左足を引き、哲史を右の長槍へ流そうとする。
哲史の槍先が、その剣を持つ手へ伸びた。
男は手首を引いた。穂先が掠め、浅い損傷表示が開く。剣を落としはしなかったが、反撃が遅れる。
右から長槍が来た。
哲史は角盾の縁を押し、男を二人の間へ入れた。長槍の穂先が止まる。
その一瞬に、哲史は左へ抜けた。
鋼材の束まで、二歩。
奈緒も千景の後ろで段を越える。出られる、と思った。
木箱の上に弩が戻っていた。
狙いは哲史ではない。
出口から二番目に出た、小盾の千景だった。
「左!」
律の声で千景が盾を上げる。
右の長槍も動いた。哲史の背中ではなく、千景の脇を突く。小盾を左へ向ければ、右は開く。
哲史が鋼材へ向かう足を止めた。
身体を返し、出口側へ盾を差し込む。
長槍が盾へ刺さる角度で当たり、傷の残る腕が押し込まれた。肩の表示に新しい損傷が重なった。
それでも穂先は、千景へ届かなかった。
「行け。鋼材の裏」
千景が奈緒を押し出した。奈緒は鉄の束の端を回り、膝をつく。千景もすぐに滑り込み、出口側へ小盾を向け直した。
律は通路に残っていた。
矢をもう一本番えたとき、後ろの曲がり角で足音が止まる。
「後ろ、来た」
振り返る前に、霧の薄い端が二つに割れた。律は壁へ寄った。角から出た刃が、弓を持つ腕の横を抜ける。
短剣を逆手に持つ男だった。その後ろ、小屋側の角には車両の射手が見える。同じ色の肩布をつけた男が先行し、弓を引く余地を潰しに来ていた。
律は矢を番えたまま弓を押しつけた。敵が刃を引く。その間に後ろ向きに二歩、出口へ下がる。
哲史が角盾を押し返し、声を飛ばした。
「律、左へ出ろ!」
律が段を越えた。
奈緒から、その左肩が見えた。あと一歩で鋼材の裏へ入れる。
木箱の弩が鳴った。
律は腰を落としたが、背後の剣を避けた直後で、左足がまだ段に残っていた。胸の端に損傷表示が開く。体勢が崩れ、鋼材へ向けた腕が下がった。
追いついた短剣の刃が、背中へ入った。
青い格子が律の肩を覆った。
「弩、装填――」
声が途切れた。
奈緒の視界から、律の名前の表示が一つ消えた。
次の瞬間、出口へ出た短剣の男が、横へ跳んだ。資材置場の長槍が、今度はそちらを狙っていた。
二つの敵チームが組んでいるわけではない。通路から出てくる人間を、出口側の三人が順に撃っている。
短剣の男は擁壁へ引き返した。長槍の男も追わず、穂先を哲史へ戻す。
その間に哲史は、鋼材の端まで下がっていた。
「北へ抜けられるか」
奈緒は鋼材の裏から先を見た。
次の遮蔽物は、木箱が二段に積まれた場所。間には車輪の跡がついた裸の地面がある。木箱の陰まで走れば、出口の正面からは切れる。
「木箱まで、五、六歩」
「千景と行け。弩を下げる」
哲史が槍を構えた。
長槍の男が横へ動く。角盾の男は、さっきより遠い位置で剣を立てた。
哲史は二人を追わず、穂先を左奥へ向けた。弩の射手が腰を引く。投げる動きに見えたのだ。
奈緒は鋼材から出た。
千景が先に小盾を向け、その背中を追う。
哲史は槍を投げなかった。
右の長槍が伸びた瞬間、柄を戻して下から払った。穂先が頭上へ跳ねる。盾で長槍の男の肘を押し、その身体を射手との間へ運ぶ。
「撃てない、下がれ!」
弩の射手が叫んだ。
長槍の男が柄を引きながら退く。
奈緒は木箱へ着いた。すぐ後ろで千景の盾が音を立てる。
通路側の射手が、出口の角から撃ってきていた。
千景の小盾に矢が残る。もう一本が脚を掠め、損傷表示が開いた。
千景は足を引きずらなかったが、止まるときに木箱へ肩を当てた。
「大丈夫です。ここは、私が」
奈緒が振り返る。
哲史と、自分たちの間に長槍があった。




