035_門まで、の意味
律は、奈緒たちより先に来ていた。
待合の椅子で端末を開き、前回の試験を見ている。奈緒が声を掛けると、画面を止めて立ち上がった。
「おはよう。早かったね」
「少しだけ」
映像の横に、短いメモがあった。
右と言わない。霧か、目で見たか。
奈緒が目を留めたことに気づくと、律は端末を胸へ寄せた。
「忘れそうだから」
「私も書いとこうかな。戦い始めると、覚えてたことも飛ぶし」
奈緒が端末を取り出す。
千景は隣で、予約した区画と時刻を確かめていた。
今日は可動標的ではなく、施設で練習相手を募った選手三人に入ってもらう。盾と剣、槍、弓。誰もが地形を見て動き、こちらの進路を塞いでくる。
「九十秒以内に、四人とも北の門を通過。途中で誰かが退場したら終了ですね」
千景が条件を読み上げた。
「うん。相手には門を守ってもらう。敵を全員倒す必要はないけど、通してはくれないと思う」
奈緒は律を見た。
「昨日みたいに横の道を見てもらえる? 今日は私たちも前へ進むから」
「分かった」
接続の案内が出る。
律が端末をしまい、千景の後ろについて歩いた。
◇
試験区画の中央には、赤い屋根の倉庫があった。
南から北の門まで、倉庫の東西を二本の道が通っている。東の道は広い。西は倉庫と外壁の間に挟まれ、石の水槽が一つ置かれていた。
門は倉庫の裏側にある。出発地点からは、上の梁しか見えなかった。
哲史が東へ進む。奈緒と千景が続き、律は水槽のある西へ向かった。
開始音のあと、すぐに槍の穂先が現れた。
倉庫の東角から、相手が突いてくる。
哲史は盾で槍を外へ流した。相手は深追いせずに引き、横から盾を持つ男が前へ出る。
道幅いっぱいには並ばない。槍の男が少し下がり、盾役の肩越しに穂先を向けた。
哲史が一歩詰める。
盾役も踏み出した。
盾同士がぶつかる前に、哲史の槍が低く振れた。石突が盾役の前脚へ迫る。
男は足を引いた。その空いた場所へ哲史が入り、盾の縁で相手の盾を横へ押す。
槍の男が援護に突いた。
哲史は身を沈めたまま、自分の槍の柄を立てた。
二本が擦れる。
相手の穂先が肩の上を抜けた瞬間、哲史は握りを滑らせ、短く持ち直した槍で盾役の脇を突いた。
「っ、待て!」
盾役の声が裏返った。
援護の槍はまだ引き切れていない。盾を戻そうとした肘の内側を穂先が通り、脇腹へ入る。
損傷表示が浮かぶ。
男はそれを見ず、盾を身体へ引きつけて退いた。
「近い。もっと離れろ!」
槍の男が二歩退く。
哲史は追った。二人は倉庫の東側を北へ下がっていく。
奈緒も角へ着いた。
倉庫の北端まで進めば門の前へ出られる。だが、最後の弓がどこにいるかは分からない。
千景は奈緒の前へ小盾を置き、倉庫の屋根と道の先を見た。
「律、弓は見える?」
「まだ。西の水槽まで来た」
返事は、前回より場所がはっきりしていた。
奈緒は頷き、哲史へ視線を戻した。
◇
律は水槽の横へ屈んでいた。
水面へ指を向けると、溢れた霧が西の道を這った。自分が通る分だけ薄く残し、先の角へ伸ばす。
倉庫を挟んだ向こうから、盾を叩く音がした。
律は音の方へ顔を向けかけ、門のある北側へ戻した。
白い端が揺れる。
何かが、角の向こうから霧へ入った。
「倉庫の裏。霧が動いた。姿はまだ」
「分かった」
奈緒の声がした。
律は弓を下げたまま、倉庫の西角へ近づいた。
北壁に沿って、木箱が積んであった。門の手前まで続く箱の列と、外壁との隙間からなら、門の前を覗ける。
弓を持つ女がいた。
門の柱の陰から、東の道へ矢を向けている。霧へ入ったのは、その女が踏み出した片脚だった。
「弓、門の柱。東を狙ってる」
律は身を引き、呼吸を止めた。
矢が放たれる。
倉庫の東側で、金属音がした。
「受けました」
千景の声に、律は息を吐く。
もう一度覗くと、弓の女は次の矢を抜いていた。だが、東の道を見て表情を変える。
盾役が北へ退いてきた。
その盾の下から、哲史の穂先が覗く。
女は弦を引くのをやめ、門の西の柱へ回った。
律が見ていた木箱の陰へ近づいてくる。
律はすぐに頭を下げた。
靴音が止まる。
門の前からは見えなくなったが、女は木箱一つを隔てた先にいる。律は外壁へ身体を寄せ、その横顔だけを確かめた。
東を見ている。
律は木箱の南側を通り、倉庫の北壁へ移った。そこから、北東の角が見える。
北東の角から壁に沿って来れば、門の手前の木箱まで、弓に姿をさらさずに進める。そこから門をくぐるには、箱の陰を出なければならなかった。
「倉庫の裏から、門まで行ける」
言ったとき、東から大きな衝突音がした。
◇
奈緒の目の前を、槍の柄が横切った。
千景が小盾で受け止める。
哲史に押された槍の男が、奈緒へ狙いを変えていた。
「千景、鉤剣!」
奈緒は鉤剣を返す時刻へ補正を掛けた。
柄へ鉤が掛かる。
男は引けず、両手で槍を持ち直した。哲史がその背後から肩へ盾をぶつけ、向き直る前に槍を突き込む。
一人目の退場表示が出た。
残り十秒。
盾役は北東の角へ下がっていた。背中の向こうに門が見える。
「律、弓はどこ?」
奈緒は倉庫の壁際で止まった。
門の手前まで近づけるのか、それとも、そのまま外へ出られるのか。弓が移動したあとの門を、奈緒はまだ見ていない。
弓の女が立っていた柱は、ここからでは盾役に隠れている。
「木箱の向こう。壁沿いなら、門まで通れる」
律が答えた。
奈緒は、倉庫の角から門へ視線を動かした。
門まで、と言った。弓を避けて外へ出られる道があるのだろうか。
確かめようと口を開く。
奈緒が千景へ顔を向ける前に、盾役が足を踏ん張った。
哲史の槍を盾の面で受け、歯を食いしばる。
もう逃げず、角の幅を身体で塞ぐつもりだった。
哲史は槍を引かなかった。
穂先を押しつけたまま柄を斜めへ倒す。盾の縁が傾き、男の視界から哲史の右手が消えた。
短い剣が、盾の裏へ入る。
男の目が見開かれた。
二人目の退場表示。
哲史は剣を抜き、北の門へ向き直った。
弓の女は矢を下ろしたまま、柱の後ろへ退いていた。
終了音が鳴る。
奈緒と千景は、まだ角の南にいた。
律も木箱の手前から動けていない。
哲史は門の前で、槍の穂先を下げた。
◇
「ごめん。門までって、手前の木箱までのつもりだった」
映像を開く前に、律が言った。
奈緒は再生ボタンへ置いた指を止める。
「手前までだったんだ。私、そのままくぐれる道があるのかと思った」
「そこまでは行けない。言葉が足りなかった」
律は自分の映像を開いた。
木箱まで続く倉庫の北壁が映る。
「この木箱まで来てほしかった。門の手前で、弓から隠れて待てるから」
律の指が箱の陰を辿り、門へ向かって外へ出た。
弓の女が、その先へ矢を向けている。
「ここから先は、弓を押さえてもらわないと出られない」
千景が隣の画面へ、奈緒側の映像を並べた。
同じ時刻、見えているのは槍の男の両腕だった。
その向こうには哲史と盾役がいる。木箱は一つも映っていない。
律は二つの画面を見比べた。
奈緒が端末へ線を引く。東の道から北壁へ回り、木箱の前で止まる線だった。
「この木箱までは来てよかったんだね。私には箱が見えてなくて、どこまで進んでいいか分からなかった」
「はい。壁に沿えば、私も弓だけに盾を向けられます」
千景は試合終盤の、自分の足を見た。
奈緒と一緒に止まっている。
哲史が盾役を倒すまで、倉庫の角を越えなかった。
「哲史を待っちゃった」
奈緒は小さく息を吐いた。
「前で倒してくれてる間に、私たちも進むはずだったのに」
哲史は、律が門を覗いた場面へ戻した。
弓の女が移動する。律も木箱から北壁へ移っている。
「俺が盾を倒す前に、そこへ着いてたんだな」
「うん」
「なら、次は角を開けたら進んでくれ。門の弓は俺が押さえる」
奈緒は頷きかけて、地図を見直した。
「待って。次も同じ場所にいるとは限らないよね」
再試験では、相手に初期位置を変えてもらうことになっていた。
木箱の移動も、相手が選べる。
「私、律に横を見てきてって頼んだだけだった」
奈緒は地図の門へ丸を付けた。
「門をくぐれなくても、手前に隠れて待てる場所があれば教えてほしい。そこまで進んでおけば、哲史が弓を押さえたらすぐに出られるから」
律は丸を見たあと、倉庫の二つの北角を指した。
「壁のこっち側と、向こう側。呼び方、決めていい?」
「うん。どう呼ぼうか」
「東角。西角。門は、門」
「木箱は動くから、その都度場所もお願いします」
千景が付け加える。
律は頷き、自分のメモへ書いた。
奈緒も端末を覗き込んだ。
「あと、私の返事がなかったら、聞こえてないかもしれない」
「もう一回、呼ぶ」
「お願い。無視してるわけじゃないから」
律の口元が、少し緩んだ。
「それは分かる」
哲史は立ち上がった。
隣の区画で、対戦相手も準備を終えている。
盾役の男と目が合うと、相手は笑って自分の脇腹を押さえた。
「次は、そんな近くまで来させないからな」
「お願いします」
哲史が答える。
男は仲間のところへ戻ると、すぐに地図を開いた。




